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無窮花(ムグンファ)~二度目の恋~【続・相思花】

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 その夜、ソンスはソナの家に泊まった。明け方、まだ夜が覚めやらぬ時刻に、ソナは一人起き出して扉を開けた。そのまま庭に出てみると、早い朝のまだ蒼さの漂う庭先には、ひっそりと木槿の花が浮かび上がっていた。
 木槿は強い花だと昔からいわれてきた。一日で散ってしまうこともあるけれど、一つの花が終わればまた次の花が次々と開き、花が絶えることがない。花期の長さでも知られている。もちろん、数日に渡って咲き続ける花もある。
 この村でも、早咲きのものは五月半ば過ぎから咲き始め、遅咲きともなれば秋口まで愉しめる。
 今はまだ暁方とて、薄紅の木槿の花はひっそりと蕾を閉じて眠りの底にあった。
―木槿の花言葉を知っている?
 昨夜、ソンスの逞しい腕の中で問いかけた科白を今更ながらに思い出す。
―いや、知らないな。申し訳ないが、そういうことには疎いんだ。何ていうんだい?
 彼の問いに対して、ソナは応えた。
―一片丹心。あなたのことをずっと一途に愛していますっていうのよ。
 ソンスはそこで眠そうな欠伸をした。あまり花言葉には興味はないのだろうと、ソナはその話はそこで止めた。
 ソンスの安らいだ寝顔を眺めながら、ソナの面に久々に花のような微笑が浮かんでいた。
―あなたと幸せになるわ、ソンス。
 今度こそ、愛する男をけして不幸にしたりはしない。ソンスがソナを守ると誓ってくれたように、ソナもソンスを守りたい。
 初めてソンスに抱かれた夜、ソナは心に誓った。
 ひとしきり木槿の花を見つめてから、ソナは家の中に戻った。ソンスはまだ熟睡している。むき出しになった裸の肩が夜具から覗いている。ソナは掛け衾(ぷすま)を引き上げ、その逞しい肩を覆った。
 初夏とはいえ、まだ早朝は気温が下がる。風邪を引かせてはいけない。そして改めて、この男が自分を情熱的に幾度も抱いたのだと思いだし、頬を染めた。男に抱かれたのは三年ぶり、ハンと死に別れて以来だった。
 この年月、ソナは自分の身体が性の歓びなど忘れ果てたと思い込んでいたのだけれど、そんなことはなかったらしい。ソンスに抱かれ、身体中に隈無く触れられただけで、ソナの身体は瞬く間に燃え上がり、かつて憶えた官能の歓びを思い出した。
 かつてなく満ち足りた幸せな朝だった。ソナは愛する男が目覚めたときのためにと、温かな朝食の準備に取りかかった。思えば、ハンは国王だったから、いつも共に食事をするということはできなかった。
 二人の愛はいつも切なさと隣り合わせにしかなく、何かしらの哀しさを孕んでいた。それはハンが国王という至高の地位にある人だったからなのか、それとも、二人の恋の哀しい宿命だったのか。今となっては判らない。
 ただ振り返ってみれば、ハンも我が身も短い恋を生涯を随分と生き急いでいたような気がしてならない。短い恋の終わりを、ひとときの至福の瞬間の中に潜む哀しさを、ただひたすら求め合い身体を重ねることで忘れようとしていた。あれは無意識に自分たちの恋に未来はないと悟っていたからなのだろうか―。
 それでも、ソナはイ・ハンという男性とめぐり逢い、烈しい恋に落ちたことを後悔はしない。たとえ稀代の妖婦として歴史に名を刻まれようとも。
 国王永宗をその色香で誑かし、王の生命を縮め国を傾けた美姫として歴史に記載されたソナの悪名もいつしか人々に忘れ去られるときが来るだろう。そして、シン・ソナという悪女は激動の歴史の河の底に沈み、ひっそりと眠りにつくのだ。
ハンが弱い男であったとはけして思わなかった。彼は彼なりにソナを全身全霊賭けて愛し尽くしてくれたのだ。それこそ、彼の生命を削り取ってしまうほどに。彼の死がソナを愛したゆえだと言われれば、まさに、そのとおりなのかもしれない。それが、ソナが妖婦と誹られる所以になった。
 争いを好まぬといわれる思慮深い穏やかな王がただ一つ、短い生涯で何人にも譲らなかったのが三人目の王妃選びについてだったのだ。大妃や領議政にどれだけ迫られても、最後までハンはこれだけは譲らず、ソナをいずれは中殿に立てるつもりでいた。
 ハンのあまりにも早すぎる崩御でその深遠な計画は挫折してしまったけれど、ある意味、彼はソナとの約束を果たしてくれたのだ。
 恋人ハンの死はソナの人生の終焉でもあった。彼の死以降、ソナは自分の人生は終わったと思い定めてきたのだ。こんな我が身が再び誰かに恋をする、男性を愛せる日が来るとは考えたこともなかった。
 ソンスと出逢ったことで、ソナは新たな生命を得たに相違ない。
 こうして愛する男と共に眠り、二人だけで朝を迎え、良人のために朝の支度を調える。ソナがずっと望んでいたごく普通の夫婦の暮らしがそこにあった。
 ソナは思わず込み上げてきた涙を拭い、いいそいそと厨房へ赴く。ソンスがソナの涙を見ればまた慌てるだろうが、これは間違いなく歓びの涙なのだ。

  決戦と明かされる真実

 狭い庭はもう、かれこれ四半刻余り前から、随分と騒がしかった。それもそのはず、猫の額ほどの庭で、ソナは鶏を追いかけ回しているからだ。ソナは庭の片隅に野菜を植え、鶏を三羽飼っている。どちらも自給自足用で、その日暮らしの慎ましい生活には随分と助かっていた。
 雌鳥は毎朝、新鮮な卵を提供してくれ、それは食卓には欠かせないものだ。
 その大切な財産とも言える鶏の一羽をソナは先刻から追いかけている。
「待って、待つのよ」
 人と追いかけっこするように声を上げながら、この果てしない鶏とソナの戦いは延々と続くかに見えた。が、芝垣の戸に取り付けた鈴の音がチリリと音を立て、戦いは一時中断されるに至った。
「旦那さま(ソバニム)」
 そろそろ黄昏時である。蜜色の暖かな陽光を浴びて、ソンスが庭先に佇んでいた。自分の畑で収穫した野菜を町に売ってくると今朝方、出かけていったのである。
 彼の端正な顔も夕陽の色に温かく染まっている。それが常はやや厳しさと鋭さを滲ませた双眸を随分とやわらがせていた。
「ホホウ、随分と賑やかだな」
 ソンスが笑い、鶏とソナを交互に眺めた。その揶揄するような言い方に、ソナはムッと頬を膨らませた。
「そんな言い方は酷いわ。ソンスのために大切な可愛い家族同然の鶏を潰そうと思っているのよ?」
 と、ソンスが破顔した。
「鶏だって身の危険を感じているから、必死で逃げるのさ」
 ソナが小さく肩を竦める。
「騒がしいったらないの。良い加減に観念しなさい」
 ソナが腰に手を当て凄みをきかせて鶏に叫ぶと、茶色の雄鳥はココッと威嚇するように啼いた。一人と一匹のにらみ合いを見つめていたソンスが吹き出す。
「騒がしいのは鶏とソナのどっちだろうな」
「何ですって?」
 思わず振り上げた右手には鶏を料理するための包丁がしっかりと握られている。
 ソンスはその勇姿を見て、?おお、怖?と震えて見せた。
「まずはその物騒な得物を手放してくれないとな」
 あ、と、ソナは小さく舌を出し、包丁を家の縁に置いた。
「お帰りなさい、旦那さま」
 微笑むと、ふとソンスの表情がいつもと違うことに気付いた。怒っているわけではないようだが、精悍な面から一切の感情が消えている。
「どうしたの?」
 ソナはソンスに近寄り、彼の顔を見上げハッとした。