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無窮花(ムグンファ)~二度目の恋~【続・相思花】

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 そんな彼に娘を嫁がせたがる両班たちは多かった。許嫁はいたけれど、それを無視して当主は時の議政府の長を務める羹氏一族、領議政の弟刑?判書から娘を是非にと懇願されたこともある。
 だが、四歳で親同士が決めた許嫁を疎かにするつもりは彼にはなく、丁重に辞退した。彼の両親は両班の古い因習だとか身分だとかにあまり拘る質ではない。
 自慢の息子が気に入って連れ帰った花嫁にならば、間違いなく温かくソナを迎え入れてくれるという確信があった。ソンスの二人の弟たちもきっと義姉としてソナを好きになることは間違いない。親戚は反対するかもしれないが、そんなものは無視すれば良い。
 問題はソナ自身だ。どうやら、ソナは過去に辛い恋をしたらしい。あの様子では、昔の恋人は既に亡くなり、しかも尋常な亡くなり方ではないようだ。しかも、ソナは恋人の死を彼女自身の罪だと思い込んで、いまだに自分を責め続けている。
 いまだに忘れ得ぬ男がいる女を振り向かせるには、どうしたら良いのだろう。そんな問いに対する応えは科挙の勉強には出てこなかった。
 腹立たしい想いに駆られて横を見やると、隣の三人組の男たちがちらちらとソンスを窺っている。ソンスがひと睨みしただけで、彼らはそそくさと視線を逸らし、後はソンスの方を見ることもなかった。

 二度目の恋

 ソナは持参した風呂敷包みを解き、差し出した。絹店の若旦那チョ・トクチョルは心もち目を眇め、ソナの刺した刺繍をじっくりと検分する。いつもは人懐っこい雰囲気の彼の纏う雰囲気がガラリと変わるのはいつもながらのことである。
 緊迫した時間が流れ、トクチョルが大きな息を吐き、ソナを見た。
「いつもながら、見事なものだ。特に今回のは素晴らしい。短期間によくこんな大作を仕上げられたね」
 手放しの賞賛に、ソナは頬を上気させた。
「ありがとうございます。木槿も百合も私の大好きな花なので、つい気合いが入ったのかもしれませんね」
 トクチョルが破顔した。
「気合いが入りすぎたとは、いかにもソナらしいね。どうだろう」
 と、ソクチョルが提案したのは、ソナにとっては思いも掛けない話だった。トクチョルの叔父、つまりチョ商団の頭首(ヘンス)の実弟が都漢陽で絹店の出店を任されてやっている。今回、ソナが仕上げた額入りの刺繍の一つを都の店で高値を付けて売り出したいというものだった。
 願ってもない話で、ソナはもちろん二つ返事で承知した。どちらの作品を都に送るかはソナに一任されたため、ソナは考えた末、薄紅の百合の花が一対と二匹のつがいの蝶が戯れている刺繍の方をトクチョルに渡した。
「高値を付けて売るとすれば、上流両班の奥方たちを狙ってのことになる。それならば、芸術作品らしく、銘が必要になる。何という銘にしようか?」
 トクチョルの問いに、ソナは少し考えて応えた。
「相思花と」
「相思花、か」
 トクチョルは繰り返し、頷いた。ソナは微笑んだ。
「百合の花は想い出の花なのです。二本の百合は互いにあい想う恋人たちの姿を、一対のつがいの蝶は末永く互いが共白髪になるまで添い遂げられるようにとの祈りを込めた作品です」
 蝶は朝鮮では縁起の良いものとされる。これを買い求めてくれた女性が恋い慕う男と末永く添い遂げ、幸福な刻を紡いでゆけるようにと願って、ひと針ひと針心を込めて作った作品だった。
 私とハンはついに最後まで叶わなかった見果てぬ夢。その夢をせめて他の誰かが叶えてくれたら―。ソナの儚い希望の籠もった百合の花なのだ。
 トクチョルが感に堪えたように言った。
「なるほど、このたおやかでありながらも気品のある百合の花にはふさわしい銘だ」
 そこで、ふと彼のまなざしがやわらいだ。
「ソナ、以前から君に訊きたいと思っていたんだけれど」
 ソナは顔を上げてトクチョルを見つめた。
「はい、何でしょうか?」
 と、トクチョルは何故か少し紅くなった。
「い、いや。君は木槿村でも身持ちが堅いって有名なんだってね」
 ソナの訝しげな視線に、トクチョルが更に紅くなった。
「君ほどの美人で働き者なら、嫁の貰い手もたくさんあるだろうのに、何故、嫁に行かないのかなと思って」
 ソナの美しい面にさっと翳りが落ちたのをトクチョルは見逃さなかった。
「ごめん、別に問い詰めてるわけじゃないんだ。俺はまどろっこしい言い方が苦手だから、単刀直入に言うよ。以前からソナに決まった男がいないのなら、嫁に来て欲しいと思ってた。どうだろう、チョ氏の嫁に、俺の妻になって一緒にチョ商団を盛り立てていってくれないかな?」
 ソナは信じられない想いでトクチョルを見つめた。
「私がチョ商団の嫁に―? 信じられない話です」
 言葉どおり、夢のような話だった。地方都市とはいえ、この町は都にも引けを取らないほど賑わっているし、その町で随一と呼び声も高い商団の跡取りの正妻に迎えられるなんて、後にも先にもこれほどの良縁はないだろう。
 何より、トクチョルは誠実な男だ。彼と夫婦になれば、今度こそ願っていたとおりの平穏な日々が手に入る。やがて子どもが生まれ、母となり、穏やかな年月を紡いで老いていける。 
 今、ここで?はい?と頷きさえすれば、幸福で穏やかな一生が手に入るのは判っていた。しかし、次の瞬間、ソナの口から零れ落ちたのは、自分でも予期せぬものだった。 
「私には願ってもない良いお話だと思います。ただ、私には好きな男がいるのです」
 トクチョルの人の良さげな面にあからさまな落胆の表情が浮かぶ。
「そう、なんだ。もしかして、先ほどの百合の花と関係がある? 君は百合の花を忘れられない想い出の花だと言っていたね」
 ソナは微笑んだ。
「確かに、あの刺繍は亡くした恋人を想いながら刺しました」
 トクチョルの顔がやや生気を取り戻した。
「昔の恋人が忘れられないというのなら、それでも良い。俺も君にとって、ただ一人の男になれるように努力するから」
 ソナは頭を下げた。
「申し訳ありません。私の好きな男というのは、その死んだ恋人のことではありません」
 トクチョルの肩が落ちた。
「何だ、君が好きな男というのは、生きているヤツなのか」
 言ってから、?ごめん?と謝ったのも彼らしい。ソナの瞼にはその時、ハンではなくソンスの顔がはっきりと浮かんでいた。
「こんなことを言うのはかえって失礼かもしれませんが」
 ソナは前置きしてから、言葉を吟味しつつ言った。
「若さまは、とても良い方ですし、私も尊敬しています。ただ、その気持ちは殿方に対する?好き?というのとは少し違うように思います」
 トクチョルは眉尻を下げ、情けなさそうに笑った。
「つまり、良い友人にはなれそうだけど、恋人にはなれないということ?」
 ソナはペコリと頭を下げた。
「申し訳ございません。こんな良いお話を断ったら、きって天罰が下ると思いますけど」
 トクチョルが笑った。
「ソナは逃げるのが上手だね。そんな風に言われたら、こっちも怒ろうにも怒れない」
 結局、?相思花?と銘の付いた刺繍画が都に送られることになり、木槿の方はこの町の本店で売られることになった。いつもの倍は手間賃を貰い、ソナは絹店を辞した。