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無窮花(ムグンファ)~二度目の恋~【続・相思花】

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「―お前を危険に巻き込みたくない」
 ソンスの応えは簡潔明瞭だ。ソナは何故か急に突き放されたような気がして、ソンスを懸命な面持ちで見つめた。
「足手まといにならないようするわ。途中で泣いたりもしない。だから、お願い。私に協力させてちょうだい」
 ソンスがソナから、ついと視線を逸らす。虚空を見据えたままの姿勢で、彼は続けた。
「では、俺からも訊きたいことがある。昨夜のソナの変わり様だ」
 虚を突かれ、ソナは眼をまたたかせた。
「私の変わり様?」
 ソンスが振り向いた。
「昨日のお前の演技―、妓生を演じたときの化けっぷりは到底、付け焼き刃のものじゃない。お前は何者だ? 本物の妓生だったのか、それとも、天性の魔性を秘めた女なのか。さもなければ、あれだけ普段のお前と変われるはずはない」
 燃えるような焔を秘めたまなざしに射竦められ、ソナは身を強ばらせた。
―本物の妓生だったのか、それとも、天性の魔性を秘めた女なのか。 
 好きになった男から直接言われるには、あまりに酷い科白だった。
「―」
 ソナの眼に熱いものが込み上げた。結局、どこまで逃れても、?妖婦?、?魔性の女?という偏見は常にソナについて回るのだろうか。それは他ならぬ自分のせいなのかもしれない。私が根っからの本当の魔性の女だから―。
 黙り込んだソナを見つめ、ソンスが静かな声音で語りかける。
「お前が木槿村に来たのは今から三年前だと聞いた。それ以前のことは誰に何を聞いても、知らないという応えが返ってくるだけだ。お前はここに来る前はどこにいて、何をしていたんだ? 何故、ある日風のように現れて木槿村に居着いた?」
 ソナは涙の滲んだ眼でソンスを見た。
「あなたは知らない間に、私の過去を調べたの?」
「昨夜、泣きながらお前は俺に言った」
―私が彼を殺したの。私が百合の花を欲しいなんて言ったから。
 ソンスはソナの科白を繰り返した。
 ソナがフと自嘲めいた笑いを零した。
「昔の話よ。もう、忘れたわ」
 ソンスが意外そうに眉をつり上げた。
「忘れたはずの男を思い出して、お前は涙を流すのか?」
 ソナがソンスを見つめた。
「あなたにも過去はあるでしょう。結婚を約束していた女(ひと)がいたと話していたわね。同じことよ」
 と、ソンスが笑った。
「あれは親同士が決めた許嫁だ。物心つかない中に将来の結婚相手となっていた。俺は特に不足もないし、さりとて、格別な想いを抱いていたわけではなかった。ただ連れ添うならば、妻として大切にしようとは思っていた。その程度の女だ。だが、仕事のために結婚を少し先にしなければならないと告げた途端、婚約を破棄されたんだ」
 ソンスの許嫁というのがどんな女性だったのか。美人だったのか、気立てが良かったのか。自分でもいやになるほど気になる癖に、ソナはわざと強がりを口に乗せた。
 ソナは首を振り、小さな声で言った。
「あなたの過去なんて、別に知りたくもない。過去があるのはお互い様。だから、あなたも私の過去を詮索しないで欲しいの。ましてや、私がどこで何をしようと、あなたに干渉される筋合いはないの。もし、あなたが私をここで切り離すというのなら、それでも良い。私は私なりのやり方で、使道の悪政を暴く手立てを見つけてみせる」
 ソンスが息を呑んだ。
「ソナ!」
 彼は自らを落ち着かせるかのように深呼吸して続けた。
「一人で動くつもりなのか? それは止めろ。お前のようなか弱い女一人で、どうこうできる相手じゃない」
 ソナはキッとなった。
「あなたに干渉される筋合いはないって言ったばかりでしょう。私は私の好きなように生きるわ」
 ソンスの声が高くなった。
「本当に俺たちは、それだけの関係なのか? お前がどんな目に遭っても、俺が平気でいられるとでも?」
 その声に、周囲の客たちの視線が一様にソナとソンスに集まった。
「あの二人はできてるって専らの噂だよ」
「へえ、身持ちの堅いことで有名なソナがついに堕ちたのか」
「色男は特だねぇ」
 などと、興味と羨望の入り混じった囁き交わす声が聞こえてくる。女将のヨナがにやにやと計算高い笑みを浮かべて遠くからこちらを窺っているのが余計に癪に障った。
「止めてよ、そんな大声出して。他の人に誤解されるじゃない」
 ソナは紅くなりながら、その場を逃れるように去った。
「どうして思うようにいかないんだ!」
 俺はただ心配なだけなのに。ソンスは続く想いを無理に飲み下し、腹立ち紛れに拳を小卓に打ちつけた。弾みで、小卓の上の器が小刻みに揺れる。
 元許嫁と婚約していた頃から、そうだった。難しい学問は得意だし、皆が読めないような漢籍ですら、五歳ですらすらと読みこなし、父母は?神童?と歓んだ。科挙にも十代の若さで主席合格し、天才といわれた。しかも滅多に出ない満点合格であったため、時の国王から特別に褒美を与えられたほどの俊才として将来を嘱望されてきた。
 なのに、女を口説く科白の一つが浮かばない。だが、以前はそれで良かった。元許嫁の歓心を惹くために甘い言葉を囁こうとはつゆほども思わなかったのに、ソナ相手には何か気の利いた科白一つでも言いたいと思ってしまう。
 あの黒曜石のような蠱惑的な瞳がキラキラと輝く様を見たいと思う。恐らく、ソナは意識していないのだろうが、彼女は生来、男を魅了する類の女だ。多くの人はそのような女を?魔性の女?とか?妖婦?とか呼ぶ。
 その言葉もあながち間違いではないのかもしれないけれど、ソンスはソナをそんな風には思わなかったし、思いたくなかった。今まで都だけでなく諸国を巡り、美しいといえる女たちには数限りなく出逢ったが、ソンスが心動かされた女は一人としていなかった。
 別に女嫌いというわけではない。人並みに女への興味も性欲もあると自分では思っている。そんな彼の心の壁を瞬く間に突き動かし心の中に飛び込んできたのがシン・ソナという娘だった。
 その時、ソンスもまた漸く気付いたのだった。
―俺はあの娘にどうやら惚れたらしい。
 ソンスは科挙に史上最年少で満点合格を果たし、国王殿下に謁見、盃と金包を賜るという栄誉を与えられた。
 あのときのことを思い出すと、流石に滅多なことで心を揺るがさない彼も感動で胸が震える。
 先代国王永宗はまだ若く、自分より数歳年上なだけだと聞いていた。若輩の身で御前に出るなど畏れ多くて顔さえ上げられずにいた自分に、若い王は気さくに声をかけてくれた。
―国王殿下の御意である。面を上げるように。
 お付きの内官に促され、恐る恐る顔を上げた彼に、王は直接声をかけた。
―まだ十代でありながら、今回の快挙は見事なものであった。そなたのような逸材はまさに国の宝。これより後も精進し、この国のためにその能力を存分に活かしてくれ。これからの朝鮮を造るのはそなたのような若い官吏なのだから。
 かいま見た国王は噂に違わず美麗で洗練されたいかにも貴公子然とした青年だった。
 穏やかな雰囲気の争いを好まないという評判おりのような大人しげな人だったように記憶している。