Lost Universe 01
スタジアムに着くや否や、ゲートの合間にあるベンチの前で立ち止まると、家から持ってきただぼだぼのレプリカユニフォームをスポーツバッグから取り出すと頭から被りながらも頭上にあるモニターへと視線を送る。
今日の相手はリーグ四位のウイニングス、リーグ十五位のスカーレッツからしてみればかなりの格上相手でもある。
ウイニングスは素早いパス回しからの速攻が武器で、攻撃も去ることながら守備にもある程度の定評がある。
最近のウイニングスの試合も開始十分以内に先制していたことが多かったので、三十分を過ぎた今でも互いに無得点なのは善戦と言えるだろう。
「……良かった、まだ試合は動いてない」
真夏はスカーレッツを象徴する真紅と漆黒を基調にしたユニフォームに袖を通しながらぽつりと呟く。試合が動く瞬間はこの目で見たいから。
ちなみに彼女のユニフォームに選手のネームや背番号は入っていない。
スカーレッツの選手は全員好きで、良くも悪くも突出する選手がいない……ある種、チームメイトが興味を持たない理由の一つであり不覚にも真夏も頷かざるを得ない部分でもある。
しかし真夏はお気に入りの選手がいないのは、顔や知名度の問題ではない――東部地方に住んでいた頃に追いかけていた選手の印象が強いのだ。
彼は代表選手として選出されるほどの実力を持っていたが知名度はあまり高くなく、プロリーグに詳しい者なら知っている程度。
一見地味な存在だが、それでもジャンプの高さと小柄な身体の割に当たり負けしないフットワーク、敵チームにも恐れられていたセンターバック。
真夏もこの地へ引っ越してくる前は彼のプレーを観にスタジアムへ通いつめ、彼の名前の入ったレプリカユニフォームを着ていた記憶がある。
しかしやむを得ない引越しのために彼を見る機会がなくなってしまったこと、それに去年の秋に突然彼が引退するというニュースを耳にしてからは意中の選手はいなくなってしまった。
それでも特別好きな選手はいなくてもチームが好きだから良いのだと、真紅のユニフォームを着た真夏が荷物を肩に掛けてゴール裏へと向かおうと振り返ったとき――真夏の目は驚きで見開かれた。
丁度真夏の数メートル先、通路の端の壁に寄りかかるようにして一人の青年が立っていた。
二十代半ばから後半か、端正な顔にどことなく冷たさを滲ませた青年の背は高く百八十センチはあるだろうか。
スカーレッツのユニフォームを着るでもなく、グッズを身につけるわけでもなく、Tシャツとチノパン、上には黒いコートを羽織るという私服姿。
青年はその場に立ち尽くし、ぼうっとしてモニターを見つめていた……その目は何かを探るようで、普通の目ではないことは確かだった。
真夏が驚いたのはその瞳だけではない、彼が見覚えのある姿だったから……彼女はぽかんとした顔で、無意識のうちに一歩、二歩と歩み寄る。
近づけば近づくほどに予感が確信へと変わる。真夏が彼の目の前に立ったとき、青年も彼女の姿に気づいたのか視線を頭上のモニターから彼女へと移したその瞬間。
「――あ、あの!えっと、その……青戸選手ですよね?去年の秋までスナイパーズでプレーしてた」
「……」
気がつくと真夏は青年へと声を掛けていた――震える少女の声に、青年――青戸は冷ややかな眼差しを向ける。
長旅の果てに西部へと降り立った青戸は荷物を駅前のコインロッカーへと詰めて財布一つでこのスタジアムへとやってきた。
元々プロサッカープレイヤーとして飯を食べていた青戸にしてみれば、やはり西部地方のサッカーリーグにも興味があったのだ。
同じ国の中で東西に分断されているこの状況では、プロサッカーリーグも東西別にそれぞれ開催されている。
それでも今から五年前までは、他国との試合の際は東西別に選手が選抜されて合同チームを組んでいた。それでも知らず知らずのうちに東西間の溝が出来て仲が悪かった状況で、五年前に行われた代表戦で悲劇が起きた。
最初は大したことのない口論から始まったが、それが大暴動へと発展して一名の死者と数名の負傷者が出たことは国際的な問題にまで発展してしまった……結局、この国は特殊例として東西別に代表メンバーを組むことを認められて今に至る。
普通に考えれば同じ国内で二つの代表チームが存在する異質な事態だが、世間はそれが“当たり前”として受け入れられている。
元々プロサッカーリーグは東西ごとに開催されていたのだから、どちらかに生まれ育った者にとっては大きな問題ではない……青戸のように地方を跨いだ人間が異質さを痛感するくらいで。
ちなみに同じ国といえど向こう側のプロサッカーリーグの話、ましてやそこに属するチームを応援するなんて裏切り行為に値する。
東部地方で生まれ育った青戸はニュース番組で東部地方の政治情勢やスポーツの試合結果を見てきたが、反対側の情報は一切流れて来ない。
西部地方へ移った今、今度は西部地方のことしか報じられないのだろうと思っていたときに突如現れた少女――真夏が向こう側の地方でプレーしていた自分のことを知っていたことはそれなりに驚きだった。
「ず、ずっとファンでした!」
「――」
頬を紅潮させてそう叫ぶ真夏の姿に、青戸は表情を変えずに小さく息を吐く……自分のことを知っている人物がいたことが予想外だったので、静かに彼は首を横に振った。
「……俺、もうスナイパーズの選手じゃないから。それに、ここは」
ここは西部だ。向こう側のチームの応援なんてしないほうがいいと忠告しようと思ったとき……真紅のユニフォームを着た真夏は小さく頷いた。
「分かってます。私も、ずっと東部に住んでましたから」
「……」
試合中ということもあり辺りに人はいないが、話題が話題なので声を落とす真夏の言葉を青戸は黙って聞いている。
「青戸選手はずっと下位に沈んでいたスナイパーズを上位常連にして、鉄壁とまで言わせるようになった守りとか、生で観ていなかったんですけど、六年前の代表戦で見せたスーパーディフェンスを見て」
「……」
六年前――あの事件よりも昔だと、青戸は若かりし日のことを思い出す――もしかしたらあの頃が自分の絶頂期だったのかもしれない。
サポーターと話す機会はあまり無かったため、自分のことを褒められることには慣れなくて――
「私、今学校で女子サッカー部に入ってて、青戸選手みたいなディフェンダーを目指してるんですけど……身長足りないし、うん、難しい」
「……」
「でも、去年のオフに青戸選手が引退するって話を聞いて、驚いちゃって」
「――」
へへっと笑っていた真夏が一転、寂しそうな表情を滲ませたとき、青戸もまた僅かに驚きの表情を見せる。
それは真夏と会話をはじめてから、初めて彼が表情を変えた瞬間だった。
「……こっちまで俺の情報が回ってくるのか?俺は代表戦にたまに呼ばれて途中出場する程度の選手だった……最近は呼ばれもしなくなったし、そもそも俺も代表戦は勿論スナイパーズの試合にすら出なくなったけどさ」
ここは西部地方、東部地方の話題はわざと避けているだろう場所で、自分の情報が流れていることに驚きを持ったのだ。
作品名:Lost Universe 01 作家名:ねるねるねるね