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怪人と 1度もおまえに呼ばれなかった

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8 名はエリック



地底の
我が家に
おまえを招く

こんな暴挙に
いつか出る日が
来ようとは

想像だに
しなかった

地下5階までは
馬に乗せ

向こう岸まで
少々遠い湖は
愛用の
小舟に乗せた

それでも馬に
乗せるまで
馬の待つ
螺旋道まで

鏡の裏から
延々つづく
洞窟まがいの
湿った通路を
歩かせねばと

意を決して
エスコートの
手を差し出した
私の姿は
傍目には

音楽の
天使どころか

おぼろげな
カンテラの灯に
浮かび上がった
無言の亡霊

顔には仮面
突き出した手は
黒手袋
体は全身
黒マント

声もなく
表情もない
無言の亡霊

案の定

足の1歩も
踏み出す前から
おまえは
その場で
気を失った

あまりに
“案の定”すぎて

打ちひしがれる
気力も湧かず

眠るおまえを
抱き上げながら

--それでも今が
もしかしたら
一番幸せ
なのかもしれん--と

自嘲半分
独りごちた

少なくとも

私と
天使と
怪人と

3者の奇妙な
つながりを

眠るおまえは
まだ知らないから

仮面の下の
私の素顔を

少なくとも

おまえは
あのとき
まだ知る由も
なかったから


(2)

「天使はどこ?」

「あなたは誰?」

「さっきの馬は
怪人に盗まれたって
みんな言うのよ
あなたの仕業?」

馬の上でも
小舟に乗っても

夢遊病者さながらの
青白い顔で
揺られたおまえが
叫んだのは

一風変わった
地底の我が家の
一風変わった
居間 兼 客間へ
招き入れた
ときだった

怒りに満ちた
その声なら
もう気を失う
恐れもあるまい

だから私は
答えたろう?

最大限
率直に
簡潔に

おまえの天使は
この私だと

そして
私が怪人だと

仮面は決して
外さないが
一応これでも
人間なんだと

名は
エリックだと

あれで充分
だったはず

おまえが
ここに
居る理由

私が連れて
来た理由

あれ以上の
説明は
必要なかろう

突っ伏して泣く
おまえが想像
してるとおりだ

身の程知らずの
男の衝動

たがが外れた
男の狂気

もっと言うなら

怪人の
想われ人に
おまえがなった
だけのこと


(3)

この世の
終わりを
見たような顔で

そんなに怯える
必要はない

約束しよう

5日の後には
自由を返す

必ず地上に
おまえを帰す

5日だけ
私といっしょに
ここで過ごそう

それでなくても
大事な賓客

おまえの意に
逆らって
指1本
触れたりしない
安心していい

その代わり

仮面には
おまえも
触るな

間違っても

仮面の下を
見てみたいなど
妙な気を
起こしてくれるな

私は
死んでも
外さない

おまえのためにも
私のためにも
その方がいい

最後まで
おまえの前では

エリックという
仮面男で
いさせてほしい


(4)

泣き疲れて

おまえは
きょとんと
聞いてたね

何から何まで
突飛すぎて
飲み込めないのも
当然だ

クリスティーヌ
歌ってあげよう

聞きたいなら
夜どおしでも
私が歌おう

世代
生い立ち
境遇
美醜

共通点など
何1つない
我ら2人が
意気投合する
唯一のもの

それが歌

天使と弟子で
培った仲

歌の誘いを
おまえは決して
拒まない

おまえの好きな
デスデモーナは
ハープに合うはず
お気に召すかな?

いつしか
聞き手が
寝つくまで

小一時間と
かからなかった

おまえも私も
一言も
しゃべらなかった

オペラ『オセロ』を
子守唄にして
眠るとは

さすがは私が
見込んだ歌姫
趣味がいい

誓って言うが

胡散臭い
催眠術など
私は歌に
込めなかった

あの夜
おまえは
純粋に

私の声で
眠ったのだよ

初めて
我が家で
過ごす夜

世間が恐れる
怪人の声で

おまえを
無理やり
地底にさらった
男の声で

おまえは
眠りに
ついたのだよ