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怪人と 1度もおまえに呼ばれなかった

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16 永遠の秘めごと



夢かうつつか
定かでないが

聞き覚えのある
足音は

勝手知ったる
足取りで

夜更けの
我が家に
侵入し

私の背中の
後ろに立った

死出の旅路に
発つ前に
気力が残って
いるうちはと

出来上がった
『勝者ドン・ジュアン』を

オルガン相手に
手直ししている
最中だった

「埋葬には
少々早い
何で来た?」

仮面はつけて
いたにせよ
振り向くほどの
用はもうない

「2人で行けと
あのとき
追い出されなければ

きっとあのまま
残ってた

今までかかって
あの人に

お詫びと別れを
告げて来たの」と

面食らうほど
大人びた
別人の声を

夢かうつつか
背中に聞いた

だからと
言って

死を待つ私に
今さら
何の用がある?

振り返って
見上げるなり

頭蓋は
胸に包まれて

仮面はいつか
外されて

むき出しの
髑髏を
華奢な両腕で

強く強く
抱きしめられた

人並みの
眼鼻口では
ないとはいえ

そんなにも
抱きしめられたら
息が詰まる
そう言いかけて

ほんとに一瞬
息が止まった

瞼と言うも
はばかるような

素顔の私の
右の瞼に
左の瞼に

それどころか

そんなことには
およそ不慣れな
歪みきった
唇にまで

瞳を濡らした
おまえが
そっと

柔らかい
あたたかいものを
押し当てたから
息が止まった

驚きすぎて
息が止まった

「この指輪は
返しません

どうしても
返せと言うなら
私を
ずっと
ここにいさせて

幸せを
祈ると言うなら
ずっと
あなたの
妻でいさせて」

消え入りそうに
はにかみながら

何とも
凛々しい
脅迫までして

歪んだ
私の唇を

何度も何度も
むさぼる人を

どうして2度も
手放せる?

心の底から
自分のものに
したいと願った
愛しい女を

どうして2度も
手放せる?

クリスティーヌ

もういい
指輪は
返さなくていい

おまえは私の
妻なんだろう?

だったら
外すな

2度と外すな

どこにも
行くな

妻なら
私のそばにいろ

ずっと私の
そばにいろ


………


たったひとつ
確かなのは

永遠の眠りに
ついて久しい
私の左の
薬指に

金の指輪が
今もあること

質素な金の
指輪がひとつ

まごうことなく
しかとあること

今となっては
そのほかは
すべてがおぼろ
埒もない

あの夜の
不思議な
出来事が

死出の旅路に
見た夢であれ

突拍子もなく
異なうつつであれ

すべては
彼女と
私の秘めごと

我ら2人の
永遠の秘めごと

余人の
野暮な詮索は

この
不調法なる
異形に免じて

悪しからず

どうか無用に
願いたい


   <完>