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阿修羅に還れ  第一章

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 昨夜のけだるい空気が重たげに残り、酔客だろうか裏路地の隅で着物の前をはだけたまま寝込んでいた。
 分寿を探していると、急に左の路地から小柄な男が出て来て足重に北野天満宮の方へとぼとぼと歩いていく。
「おい、伝助じゃないか?」
 斎藤も小柄な男の暗い背中を見ている。伝助が出てきた路地を覗くと、分寿の木札が表戸に下げられている。人影はなくあたりは静まり返っている。この静寂の中を置屋へ入っていくのはためらわれ、逆に伝助の後姿が気になった。
 斎藤をその場に残し、歳三は一人で伝助を追った。何故、斎藤を残して一人で来たのか歳三自身にもわからなかったが、なんとなくそうしなければいけないような気がしたからだった。
 伝助は天満宮の境内を突っ切り天神川の際まで行き、そのまま梅の木の根元にしゃがみこんだ。歳三は離れたところから見ていた。
 伝助は懐から手拭いを取り出すと、のろのろと立ち上がり土手を下りはじめた。音をたてないように歳三も近づく。伝助は手拭いを咥えて半分に割くと木の枝に縛り付けた。首をくくろうとしているのだ。
(あっ)
 歳三は脇差を抜くと走り寄り、枝と伝助の首の間に張りつめた手拭いを切った。
 ごろごろと伝助の身体は川に転がり落ちて止まった。何が起きたのかわからない様子で浅瀬から身を起こした伝助は激しく咳き込んだ。そしてうつろな目をあげ、土手にいる歳三を見た。
「おい、伝助・・・」
 伝助は川の水に浸かったまま大声で泣きじゃくり始めた。
「お嬢様ーっこの伝助が悪いのです、うわーん」
 北野天満宮は梅の名所。
 菅原道真がこよなく愛した梅が春一番に咲く。
「北野天満宮は梅の名所だそうだ、来年は見てみたいものだな」
 梅の花が好きな歳三が、上七軒への道すがら悠長にもそんな言葉を口にした。今はそんな自分にさえ腹が立っていた。
(自分はなんと甘かったのだろう、こんな事態を想像もしなかったというのか)
「帰るぞ!」
 待つように言われ、寺の門柱にもたれ腕組みをしながら斎藤はあたりを眺めていた。凄まじい剣幕で帰ると言い放った歳三は、すでに斎藤を後に歩き出している。
 いったい何が起きたのかサッパリわからない斎藤は慌てて歳三を負った。その背中には憤怒が吹き上がっている。
 土方が伝助を追っていき、何かがあった。
 そして土方が極限まで怒りを滾らせている。
 その怒りは今、さっき来たばかりの道を壬生に向って出口を求めて歩いている。

「俺は殿内を斬る、今夜だ」
 そこに居合わせた誰もが、ギョッとして土方の顔を見た。
 茶碗酒を煽っていた芹沢とその一派、永倉、原田、井上源三郎、そして沖田総司が談笑していた所に、土方が戸を開け突っ立ったまま言い放ったのだ。
 土方は元々が優しい男だ。
 気さくで口を開けば物の言い方もソツがなくどこにでもいる好青年なのだ。時々は何を考えているかわからないところもあるが、それはかえって歳三の魅力となり女性を引き付けるものでもあった。
 殿内を斬る、と言った土方の顔は別人だった。
 総司の隣に座り込んだ歳三の肌は怒気を含んで赤く染まっている。伏し目がちの目からは滴が零れるのではないかと思わせるほど儚い危うさがあった。下唇をかみながら何かをこらえている表情は、これから人を斬りに行くと宣言した者のものではない。
 そこに居合わせた誰もが、土方の心の揺れを感じていた。総司も、井上源三郎も、斎藤一も、近藤さえも黙って理由を聞かずに土方の思いに行動を伴にしようと決心していた。
 口を開いたのは芹沢鴨だ。
「一人で、やる気か」
 土方の顔を見た芹沢は、その気持ちが変えられぬ事を知った。
 元々、殿内を浪士組から外すことは全員の合意であった。だが、はじめはそれを受けて手を下すと言っていたのは沖田総司のはずだった。
 この時代、浦賀に黒船が来てから外国との間でなにかと生臭い事件が起き、志士と呼ばれる過激な尊攘派は今の今まで使う事もなかった武士の魂、いわゆる腰の両刀を使う機会が出てきたのである。
 徳川の治世が長く続き武士の魂である腰の両刀は、ただの飾り物として死ぬまで使う機会もなく武士達は生涯を終えてきたのだ。武家の子として生まれた沖田総司でさえ名剣士と言われながらも刀を振るったことなどない。だから、「斬りましょう」と総司は自分で言い出したのだろう。
 しかし、この場に居合わせた男達は、この時代に生を受け生きている。この先、京で何が待ち受けているのかそれは誰にもわからない事だが、腰の刀を抜かずして歩いては行けないいばらの道が待ち受けている予感が男達の心を震わせていた。
「私も行きます、土方さん」
 総司の言葉に全員が頷いた。

 四条大橋は安政四年に架けかえられた石橋である。
 祇園を出てこの橋を渡っていくと、右側に三条大橋が見え北山の美しい山並みを見せる。
 だが、夜の四条大橋は暗い。橋の上にはむろん灯りはなく、鴨川の流れる水音が耳に届きようやく橋の上なのだと気付く。橋には祇園の雅な灯りや賑やかな喧騒が届くことはなく、東の空にほんのりと静かな月がのぼろうとしていた。
 橋のたもとにさしかかった殿内は橋の真ん中あたりを歩いていくが、歩みはいささか揺らいでいた。
「私は追い抜いて前へ」
 四条大橋のたもとで一旦立ち止まり、沖田が声を潜めて囁く。
「俺も前だ」
 歳三の確信めいた一言に、下弦の月は東の空に淡く昇った。

 祇園の料亭「山緒」に殿内を呼び出したのは近藤勇であった。
 だが、殿内が山緒に着いた時、近藤勇が一人ではない事を知り露骨に嫌な顔をした。少し前、祇園でちょっとした事があった時「俺に見られた事を忘れるな」と脅し文句を吐いた土方歳三がいるのだ。
 そいつが忘れたように愛想の良い顔で、酒の酌を始めた。
(まぁ、あの芹沢鴨もいないことだ大したことはあるまい)
 元々、江戸の試衛館一派など殿内の頭の中では物の数に入っていない。近藤勇の人を寄せ付ける人間的な魅力、土方歳三の秘められた可能性、沖田総司の神の領域とも思える剣技。そして試衛館一派の絆。
 今の殿内に想像もつかないのは、試衛館一派を知ろうとしなかったからだ。だが、水戸天狗党の出だという芹沢鴨は殿内の心の中では(あいつは人を斬って来た奴の目だ)と思いがあった。
 この夜の話題はもっぱら浪士組の行く末について差しさわりのない事ばかりで「殿内先生、殿内先生」と近藤が持ち上げる。
 近藤が酒のすすめ上手なせいもあって、殿内はいささか量をすごした。たとえ試衛館を侮ってはいてもこれ以上はまずいと思い、盃を伏せた。
「おや、今夜はもうお終いですか」
 酌をしようとした手を土方が止め殿内の顔を見た。その目が座敷内の灯りにキラリと光った。
「いや、もう充分。馳走に相成った」
 そそくさと席を立とうとする殿内の背に何やら冷やりとしたものが伝った。殿内を何かが追い立てた、そこに居てはいけない何か、早く身を落ち着けられるどこか、明るい灯かりのもとへ。
 だが、殿内は今夜に限って一人だったのだ。いつも一緒の家里次郎がいない。(あいつは今夜は野暮用だとか言って、にやけて出掛けて行ったが・・・)
作品名:阿修羅に還れ  第一章 作家名:伽羅