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阿修羅に還れ  第一章

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 斎藤一は歳三以上に物を言わない。同年代の沖田や藤堂ともまた違った若者だった。父親が旗本家に奉公しながらいったいどう育てたのか、金には無頓着だったし考えが読めずにどう接していいかわからないところもある。だが、近藤や歳三ら、年長者には黙って従う素直なところもある。
「浪士組に加わるんだな?それならそれではっきりとそう言え!」
 歳三がきっちりした返事を斎藤一に求めると
「はい」
 と短いが決意を含んだ返事が返って来た。
「仕方ない、道場の吉田殿へは私から文を書こう」
 と近藤が言うと、
「江戸の親父さんには自分で文を書くんだ。いいな?」
 歳三の厳しい言葉に背を丸めて頷く。
 近藤は道場主で入り婿という身の上のせいか、人当たりはすこぶる良い。誰にでも声を掛け笑顔を向けるから、知り合いという類の者がやたら多い。だが、いかんせんツメが甘かった。斎藤一の一件にしても吉田某に文を書くまでは良いが、江戸の親についての助言をしなければ、斎藤の身を預かる者としてはいささか中途半端だ。
 
 斎藤一が浪士組に加わり、京都残留希望者は二十四名となった。
 清川八郎は江戸へ戻る前夜、浪士組全員を集め集会を開いた。
 浪士組は集まったものの、残留組は馬鹿に余裕のある表情を滲ませている。
 老中の板倉伊賀守が、京都守護職の会津藩主松平容保に残留組を預かり、差配することを命じたのである。清川八郎の策に乗って、再び江戸へ戻るなど幕府側が踊らされたことを善しとしない考えもあったろう。
 残留組の余裕とは反対に、清川八郎の顔色は冴えない。それでも持ち前の大きな通る声を張り上げた。
「この度、生麦事件で英国は強硬な談判をはじめ、次第によっては軍艦を差し向けるとまで脅迫いたしている…」
 何故、イギリスが軍艦を持ち出して幕府に脅しをかけてきたか、賠償金をめぐって幕府と薩摩藩とイギリスが揉めに揉めている。そこへ間の悪いことに、イギリス人を斬ったことに対して薩摩の島津久光を外国嫌いの孝明天皇がほめてしまったのである。無位無冠の島津久光を孝明天皇はわざわざ出御してまで労を賞したのだから異例中の異例であり、薩摩藩を図に乗せてしまったのだ。これをきっかけに薩摩藩は誰も思いつかぬ独自の道を歩み始めてしまう。攘夷でも佐幕でもない道に・・・。
 そんな幕府と薩摩とイギリスの問題に、朝廷に建白書を取り上げられていい気になった清河が首を突っ込み、自分が世の中を動かせると妙な錯覚を起こしたか浪士組を率いてイギリス軍艦の大砲の盾にしてしまえと画策したのだ。
 この辺の詳しい事情は、暇で身体と時間を持て余している試衛館派は山南敬助からたっぷりと聞かされていた。だから、清河の演説がバカバカしくて妙にしらけて聞こえたようだ。
「我々は京に残留し、本来の目的である上様の警護をいたす。清河殿は遠慮なく東帰され攘夷実行されるがよかろう」
 なかばあざ笑うように芹沢鴨が言い放ちその場を立つ。
 清河は京都残留組が会津藩のお預かりとなる情報は得ていたが、自分の思い通りに動かそうとした浪士組から離脱し本来の目的を遂行すると残留組に公言され立ち去る彼らを奥歯をぎりりと噛んで見送るより他に術がなかった。
 芹沢鴨、この男は知っている。
 今の幕府や幕藩体制では何をやっても攘夷実行など出来はしない。水戸から始まったといっても言い過ぎではない攘夷思想だが、どれだけ多くの水戸の男たちが幕府や藩というものの前に血を流し倒れてきたか。だからと言って弱体化はしているものの、なお強大な力を持つ幕府がこの国を動かしている事実をどうすればいいものか。それはいまの芹沢鴨にもわからない。
 
 策士清川八郎が江戸東帰組を率いて京を立った。
 残留組は京都守護職屋敷に出向き、直接藩主の松平容保公より「励むが良い」との言葉を掛けられ、ただの浪士の集団ではなくなったことの重みを感じていた。
 試衛館の面々も宿舎を八木邸に移し、芹沢鴨らと合流した。
 京都市中取締りのお役目を受けた浪士組は壬生浪士組と名乗ることにしたが、歳三はひとり眉間に皺を寄せている。ここのところ京、大阪に勤王の志士と名乗る浪人者や食い詰め者達が、攘夷実行の活動資金と称して、商家に金品をゆすったり脅し取る事件が増えていた。これは先の日米間の条約のせいで物の物価は高騰し国内の宝物さえ流失するという事態になっているからで、水呑百姓や扶持のない浪人らがまず困窮した。
 市中に起きているそれらの事件に対応するには守護職や所司代のような所帯の大きな組織より、すぐに稼働できる浪士組が適している。それはそうなのだが、いかんせん残留した浪士組の中にお役目に歩調を合わせない輩が、歳三には気に食わない。
 市中取締りについてある程度の組織化を図り、お役目を機能的に動かせるよう会合を設けようとするものの、
「そういうことはおぬし等の仕事、拙者は人と会う大事な用事があって忙しい」
 などとそそくさと出掛けてしまう。
「放っておけ」
 芹沢などはどっしり構え、殿内義雄など抜きで話をまとめよと山南に言いつけている。しかし、抜きで話をまとめようが幕府も鵜殿や会津藩から殿内が浪士組の代表のように思われていることに変わりはない。
 歳三は八木邸の広間から、斎藤一をそっと連れ出し台所横まで来ると懐に手を入れた。
「斎藤、お前にやってもらいたいことがある。殿内を追跡ろ、奴の行動のすべてを把握して俺に報告しろ」
 斎藤の目の前には歳三が差し出した一両があった。
「探索費用だ、これだけあればたりるだろう」
 浪士組として参加した折にもらった支度金の一部であった。斎藤一は江戸からの参加ではないから支度金はもらっていない、他の男達も島原や飲み食いにほとんど使ってしまいすっからかんだ。
 一両を手にした斎藤は嬉しそうに受け取ると、
「いつまでに?」
 と尋ねた。
「早い方がいい、一両日中にだ」
 そうして八木邸を出る斎藤を見送ると、広間に戻った。
(斎藤は上京したばかりの俺たちと違って、すでに京にいたんだ地理にも明るいし様々な状況に対応できるはずだ)
 これが、人を動かすことを得意とした歳三の京での初仕事であった。
 
 京は桜の見ごろを迎えていた。
 壬生にも桜は咲くが、男達の心を惹きつけるのはなんといっても花街の桜だろう。
「えーっ、土方さんは斎藤さんと祇園ですか?いいなあ・・・」
 沖田の声に土方が慌てて口に人差し指を立てた。
「総司、声がでかい。遊びじゃねえぞ」
「俺たちも一緒にお供しますよ、ついでに祇園の綺麗どころを物色できるしな」
 藤堂がおっかぶせるように言う。
「目立ちたくない。物色なら自分の才覚で行け」
 歳三はそれ以上は言わず、さっさと玄関を出る。
(平助は考えが軽い、悪い奴じゃねえんだが・・・)
 目立ちたくない歳三だが、歳三の容姿は花街の女たちの目を釘付けにする。江戸にいた頃は町人髷に薬箱を背負った行商人のなりだったが、京へ上るにあたって髪は総髪を後ろでひと結びにし、質素なまでも袴を着け二本差しに改めた。浪士というにふさわしい武士の姿になっていた。
 背丈もすらりと高く、黒髪豊かで、目鼻立ちも整っている、女でなくても振り返る男ぶりだった。
作品名:阿修羅に還れ  第一章 作家名:伽羅