ゼルジーとリシアン
「そいつはどうかな。見てみろ、周りを」パルナンは意地の悪い声で言った。
アップルパイの木も、ピーナッツバターの家も、すっかり水浸しでふやけてしまっていた。庭では、あの親切な乾パンの婦人までもが、溶けかかってぐったりとしているではないか。
「なんてことっ!」ゼルジーは慌てた。自分の水の魔法のせいで、かえって大変なことになってしまったのだ。
「お前、この国を滅ぼすつもりか。パンが水に弱いことぐらい、考えりゃあ、わかることだぜ」
「とにかく、あの人を助けなくちゃ」リシアン女王は、乾パンの婦人のもとへと駆け寄り、そっと手を当てた。ほのかな木の香りが漂い、癒やしの魔法が彼女を包み込む。
「ふう、やれやれ、どうなることかと思いましたよ、大女王様」乾パンの婦人は息を吹き返した。
「ごめんなさいね、奥さん。わたし、ただ火を消そうとしただけなんです」ゼルジーは心から詫びた。
「今日のところは、ここまでにしといてやらあ。また、会おうぜ。じゃあなっ」パルナンは、屋根から屋根へと飛び跳ねて、消えていった。
「油断のならない相手だわね」リシアン女王は、その姿を目で追いながらつぶやいた。〕
3人はうろから出てきた。
「どうだい、ぼくは手強かったろ?」パルナンが得意そうに言う。
「負けたわ、パルナン。まさか、あそこまで考えていたなんてね」ゼルジーは悔しそうだったが、同時に楽しんでもいた。
「でも、わたしが木の属性で本当によかった。さもなければ、あの奥さんを助けることができなかったもん」リシアンもすっかり満足しきっていた。「帰ったら、さっそくこのことをノートに書くわ。わたし達、次こそはパルナンに勝たなくっちゃね」
8.こわ虫の森
リシアンは、真新しいノートに「木もれ日の王国物語」とタイトルを付け、毎日、ページを埋めていった。パルナンも虫採りに飽きると、2人のところへやって来ては、たびたび空想ごっこに加わるのが日課となっていた。
この日も3人は、桜の木のうろの中で冒険に出るところだった。
「わたし達、いつもいたずら妖精のパルナンには負けてばっかりね」リシアンは、持ち出してきたノートを読み返しながら言った。
「パルナンに火の魔法を与えたのは失敗だったわ」とゼルジー。
「妖精っていうものは、あれでなかなか手に負えないものなのさ」パルナンはにやっと笑う。
「今日はどんな国へ行く?」リシアンが促す。
「そうねえ、本の国も行ったし、氷の国も行っちゃったわね」
「なら、ぼくに決めさせてくれない?」パルナンは言う。「いつも、君らの好きな国ばっかだったろ。今度は、ぼくの行きたいところにさせてよ」
「パルナン、あなたはどこへ行きたいの?」リシアンが聞いた。
「昆虫の国さ」とパルナン。
「パルナンらしいわ。リシー、あなたはどう思う?」
「わたし、虫なんか別に怖くはないわ」田舎暮らしのリシアンにとって、昆虫など見慣れたものだった。
「わたしだって、パルナンからいつも見せられているから、へっちゃらだわ。いいわ。パルナンの意見に従うわ。さ、いったんうろの外へ出て、『木もれ日の王国』に入りましょうよ」
〔「今日もいい天気ね」リシアン女王は、ゼルジーを伴って城の庭を散策中だった。
「本日はどちらへ行かれますか、陛下」
「16番目の扉にしようと思うの、ゼルジー」リシアン女王は言った。
「昆虫の国ですね? 何か面白いものでもございますか?」ゼルジーは聞いた。
「夕べ、図鑑で見たんだけど、あそこの『こわ虫の森』には、虹色モルフォチョウというのがいるんだって。とってもきれいなチョウチョでね、どうしても本物を見たくなったのよ」
「そうでございますか。では、さっそくまいりましょう、昆虫の国へ」
2人は「扉の間」へと入り、入り口から数えて16番目の扉の前に立った。
「開けてちょうだい、ゼルジー」
「はい、陛下」リシアン女王に促され、ゼルジーは扉の鍵を開けた。そこは常夏の国だった。
「暑いわね、ここはずっと夏なんだわ」リシアン女王は、手で顔を仰いだ。
「召し物を選んでくるべきでしたわ」ゼルジーは申し訳なさそうに言った。
「かまわないわ、ゼルジー。あんまり薄着では、虫に刺されてしまうもの。これくらいでちょうどいいのよ」
広い田園風景のあちこちに森がこんもりと茂っている。所々に道しるべが立っているので、迷うことなく「こわ虫の森」へとたどり着けそうだった。
「それにしても、陛下。こわ虫とはいったい、どんな虫なのでしょうか」ゼルジーが聞いた。
「さあ、わたしにもわからないわ。きっと、クワガタムシとかじゃないかしら」
ほどなく、「ここより『こわ虫の森』」と書かれた標識を見つけ、リシアン女王とゼルジーは森の中へと入っていった。
一見、どこにでもあるような雑木林だったが、やけに静まり返っている。
「ねえ、ゼルジー、あんた気がついた? この森、蝉の声1つしないわ」
「そう言われてみれば、そうですね」ゼルジーも耳を澄ましてみる。「リシアン女王、わたし、なんだか嫌な予感がするのですが」
そのとき、遠くからぶーんという羽音が聞こえてきた。見上げると、まるで黒い霧のようなものが近づいてくる。
「あれ、なんだと思う?」リシアン女王は聞いた。
「ハチのようですわ、陛下。それも、恐ろしいスズメバチです!」
スズメバチの大群は、真っ直ぐこちらに向かってやって来る。近づくにつれ、それが尋常ではない大きさであることに気がついた。
「陛下、ここにいては危険です。逃げましょうっ」ゼルジーは言ったが、隠れるような場所など、どこにもなかった。
「大丈夫よ、ゼルジー。わたしの魔法で、木になってやりすごしましょう」リシアン女王は、両手を広げると呪文を唱えた。たちまち、2人とも白樺の木となる。
1メートルはあろうかと思われるスズメバチ達は、やかましくぶんぶんと唸りながら、白樺の周りをしばらく飛び回っていたが、やがてあきらめたように、いずこともなく去って行った。
「ふう、助かったわね。それにしても、なんて大きなスズメバチだったんでしょう」リシアン女王は白樺の姿のまま、ほっと息を洩らした。
「こわ虫の森には、あんな化け物みたいな昆虫がうようよしているに違いありませんわ」ゼルジーは恐ろしそうに言った。
その言葉を言い終わらないうちに、今度は木の陰から大人の背丈ほどもあるカマキリが、ぬっと現れる。
カマキリは、鋭い鎌をぶんぶん振り回し、まるで稲でも刈るかのように、木を切り倒しながら近づいてきた。
「リシアン女王、このままではわたし達まで切り倒されてしまいますわ!」
「大変っ、逃げなくっちゃ」リシアン女王は木の魔法を慌てて解いた。
「今度はわたしが」ゼルジーは杖を振るった。青い光がほとばしり、カマキリの全身を包み込む。すると、それまで猛り狂っていたのがうそのように大人しくなり、すごすごと森の奥へと帰っていった。
「あんたの水の魔法は、気持ちを安らかにさせるんだったわね。よくやったわ、ゼルジー」リシアン女王はねぎらうのだった。
森の奧へと進むと、たらいほどもある、大きな赤い花が咲いているのを発見した。