ゼルジーとリシアン
「まあ、バラだわ。なんて大きいのかしら」リシアン女王は思わず駆け寄って、くんくんと香りを嗅ぐ。
そこへ、ひらひらと1匹のチョウチョが舞い降りてきた。ふつうのアゲハチョウと同じくらいの大きさだったが、きらきらといくつもの色に移り変わる、それは美しいチョウチョだった。
「陛下、チョウチョですわっ。あれこそ、虹色モルフォチョウじゃないでしょうか」ゼルジーは叫んだ。
「ええ、そうよ。図鑑で見たのと同じだわ。いいえ、それより何倍もきれいだわ!」
虹色モルフォチョウがバラにとまったその刹那、ぱっと虫取り網が振り下ろされた。
「へへっ、捕まえた!」いたずら妖精のパルナンだった。
「あんた、なんでこの国に?」ゼルジーは驚いた。
「間抜けなお前達が、扉を開けっ放しにしていてくれたおかげさ」
「そのチョウチョを放しなさい。今すぐよっ」リシアン女王は言い下した。
「やなこった」予想していた通りの答えが返ってくる。「どうしてもって言うんなら、力づくで取り返してみなよ」
「まあっ、憎ったらしい」リシアン女王は、素早く呪文を唱えた。すると、木の蔓がするすると降りてきて、たちまちパルナンの両腕を縛り上げてしまう。
「あ、何をする。おい、やめろって」パルナンはもがいたが、その拍子に虫取り網を取り落としてしまった。虹色モルフォチョウは、この機会とばかりに逃げだし、空の彼方へと飛んでいった。
「力づくでもって、あんたが言ったんでしょ」リシアン女王はあざけるように言った。
「ついでに頭を冷やしてあげる」ゼルジーは、得意の魔法で、パルナンの頭から水をかぶせる。
「よくもやってくれたな」ずぶ濡れになったパルナンは、火の魔法で蔓を焼き払うと、ひゅうっと指笛を吹いた。「この森の昆虫は、おいらの命令には逆らえないんだ。森に火を付けるぞって、脅してあるからな」
どこからともなく、数え切れないほどのクワガタムシやカブトムシが飛んできて、リシアン女王とゼルジーを囲む。
「わたし達、虫なんか怖くないのよ」とリシアン女王。すかさず、ゼルジーが、呪文を唱える。安らぎの魔法だ。昆虫達は、パルナンの命令をすっかり忘れ、ちりぢりになって飛んでいってしまった。
「今日はわたし達の勝ちね」ゼルジーが得意げに言う。
「そいつはどうかな」不敵な笑いを浮かべるパルナン。「この虫はどうだい」
「どんな虫だって、同じことだわ」ゼルジーは言い返す。
空が薄暗くなったかと思うと、オレンジ色をした羽虫が押し寄せてきた。
「こいつが『こわ虫』さ。すっごく、恐ろしいやつなんだぞ」
迫ってくる虫を観察するリシアン女王とゼルジーだったが、みるみる顔が青ざめていく。
「ニンジンだわっ!」ゼルジーが悲鳴を上げた。ニンジンに羽の生えた、ニンジンムシだったのだ。
「わたし、ニンジンが大っ嫌いなのよ!」リシアン女王も顔を引きつらせる。「ゼルジー、魔法で追い払ってちょうだい」
「だめだな。お前、もう魔法を使い切っちまったろ? この世界じゃ、魔法は3回までしか使えないってことを忘れてもらっちゃ困るぜ」
パルナンの言う通りだった。
リシアン女王とゼルジーは、ほうほうのていで逃げ出していった。〕
「ずるいわ、パルナン。わたしがニンジン嫌いなの知っていて、あんな意地悪をするなんて」ゼルジーが文句を言う。
「そうよ、わたしがいつもニンジンを残している見てたじゃないの」リシアンも突っかかっていった。
「敵の弱点を知ることも、戦略のうちなのさ。悔しかったら、君たちもぼくの弱点を見つけることだね。あれば、の話だけれど」パルナンはすまし顔でそう答えるのだった。
9.リシアンのいない空想
リシアンは夏風邪を引いてしまった。37度6分もの熱を出し、子供部屋のベッドで、うんうんと唸っている。
ゼルジーは、パルナンと一緒に「とっときのお部屋」にいた。
「かわいそうなリシー」ゼルジーはつぶやいた。「今日もこんなにいい天気だっていうのに、外へ行けないんですもの」
「カゼじゃ仕方ないさ。昨日の水浴びが悪かったんだな。そうでもしなけりゃ、過ごせないような暑さだったけど」パルナンは、ベッドに腰掛けて、足をぶらぶらさせながら言う。
「空想ごっこもお預けね」ゼルジーはふうっと溜め息をついた。
すると、パルナンが考え深げにこう切り出す。
「ぼくらだけで行かないか、空想の国へ」
「でも、あの子がいないと物語が続かないわ」
「だったら、リシアン女王が病に伏せっている、ってことにすればいいんだよ。あとで、筋を聞かせてやろうよ」
「あら、いいわね、それって」ゼルジーは、手をぽんっと打って賛成した。
「よし、決まった。さっそく、『木もれ日の王国』へ出かけよう」
パルナン達は、森へと行き、桜の木のうろの中へ入っていった。
〔王室付き魔法使いのゼルジーは途方に暮れていた。目の前の天蓋付きベッドには、リシアン女王が静かに横たわっている。原因不明の病気のため、ずっと目を醒まさないのだった。
「困ったわね。これまでに何十人もの医者を呼んでみたけれど、誰1人として治すことができないと言うんですもの」
リシアン女王自身には、ケガや病気を治す木の魔法が備わっていたが、当の本人が眠り続けている今、手の内ようがなかった。
窓の外をこんこんと叩く音がしたので振り返ってみると、そこにはなんと、いたずら妖精のパルナンが顔を覗かせていた。
「あんた、こんな時にいったいなんの用っ?」ゼルジーは声を荒げた。
「どうも見かけないなと思ったら、リシアンのやつ、病気なんだな」パルナンは、ベッドのリシアン女王をじいっと見つめた。
「そうよ。だから、あんたになんかかまってはいられないの。どっかへ行きなさいよ」
「そいつがいないと、退屈でたまらないんだ。医者には診せたのか?」パルナンが聞くと、ゼルジーは悲しそうに頭を振るのだった。
「どの医者にも、原因がわからないんだって。このまま、いつまでも眠ったままなんじゃないかと思うと、心配で心配で。」
「うちのじいちゃんが言ってたが、どんな病気も治す『グリーン・ローズ』ってのがあるらしい。それを探して取ってくりゃあ、きっと目覚めるんじゃないかな」パルナンは言った。
「それ、本当?」ゼルジーは顔をパッと輝かせた。
「ああ、本当だぞ。ただし、どこにあるのかまでは知らねえけどな」
「きっと、『花の国』よっ。『扉の間』の87番目。そこに行けば、見つかるに違いないわ」
ゼルジーは杖をひっつかむと、さっそく出かけようと立ち上がった。
「おいらも連れてってくれないか」驚いたことに、パルナンが申し出る。
「あんたが? いったい、どうして?」ゼルジーはいぶかしそうに聞いた。
「『グリーン・ローズ』のそばには危険が潜んでいるって、じいちゃんから聞いてる。1人よか、2人のほうが切り抜けられると思うんだがなあ」
ゼルジーはパルナンを見据え、真偽を推し量ろうと努めた。例によって、また何か企んでいるのだろうか。
しばらく迷ったあげく、受け入れることに決めた。2人いれば、それだけ早く花が見つかるはずだ。それに、仲間がいたほうが心強い。それがたとえ、このパルナンであっても。