ゼルジーとリシアン
「だったら、溶岩じゃなく、山のてっぺんだと思いましょう。山の上って、すっごく涼しいじゃないの」
「いいわね、そうしましょう」今度はリシアンも賛成した。
「でもね、ただの山じゃないの。ものすごく細いんだから。先っぽは針のようなのよ」
「まあ、それじゃ、このベッドは針の先に乗っているって 言うのっ?」リシアンはびっくりした。
「そうよ。わたし達、今、ベッドの両側にいるわよね。うまく、バランスが取れているところなの。いい? 動いちゃだめよ。あっと言う間に傾いて、底も知れない奈落の底へ真っ逆さまなんだから」
〔子供部屋はたちまち様変わりをし、地上はもう遙か下だった。雲が流れ、空気はつんと冷たい。
「ゼル、わたし達どうしたらいいのかしら。ここから降りようと思ったら、どうしたって動かないわけにはいかないじゃないの」リシアンは泣きそうな声を出した。
「鳥になって飛んで行ければいいのだけれど」ゼルジーは考え考え答える。「あいにく、こんな高くまで飛ぶ鳥はいないわ。鳥だって、あまりの高さに目が回ってしまうに違いないもの」
「何か、ほかに魔法はないかしら。いつまでも、こうして座ってるなんて、わたし嫌よ」
「待って、リシー。ほら、向こう側に同じくらいの高さの台地があるわ。あそこへ行けないかしら?」
遠くに、平らな崖が霞んで見えた。
「見えるわ。でも、あんまり距離がありすぎるわ」
ゼルジーはううん、と首を振った。
「よく見て、リシー。ベッドの真ん中辺りから向こうまで、ロープが1本、張られているでしょ? そこを渡っていくのよ。それしか方法はないわ」
「そうね、怖いけど、やるしかないみたいだわ」リシアンは覚悟を決めた。「でも、まずはお互い、真ん中まで行かなきゃね」
2人は、少しずつベッドの中心へにじり寄っていった。
ベッドがぐわんぐわんと揺れる。
「そっとよ、そっと!」ゼルジーが警告した。
「同時に動かないとならないわね」リシアンも慎重に動く。
ようやく、真ん中にたどり着いたとき、ゼルジーもリシアンも、すっかり疲れ切ってしまっていた。
「こんなにはらはらするなんて、初めてだわ」リシアンは恐ろしそうに声を絞り出す。
「わたしもよ。じっとしているのもつらいけれど、体をこわばらせながら進むのは、もっと大変なことだわ」
けれど、難しいのはこれからだった。どちらか1人がベッドから降りてしまえば、たちまち平衡を失って、谷底へ落ちてしまうのだ。
「このあと、どうするの、ゼル?」リシアンが聞いた。
「いち、にいの、さん、で、ロープに飛び移るわ」それがゼルジーの答えだった。
「できるかしら、そんなこと」リシアンは不安になる。
「集中するのよ、リシー。両手を広げて、やじろべえみたいに踏ん張るの」
リシアンは怖くてたまらなかったが、ほかに道はなかった。
「やるわ、ゼル。呼吸を合わせて、同時に跳ぶのね」
ゼルジーはうなずくと、「いい? 行くわよ。いち、にいの、さんっ!」
ゼルジーとリシアンは、まったく同時にロープ目がけて飛び降りた。
ロープは大きくたわんだが、どうにかこうにか乗ることができた。
「やったわ! 成功だわ、ゼル」落ちていくベッドを、リシアンはぞっとしながら見送った。
「安心するのは早いわ、リシー。わたし達、あの崖までロープの上を伝っていかなきゃならないんだもの」
2人は両手を広げて釣り合いをとりつつ、そっとそっと渡っていった。
「わたし、なんだか気持ちが悪くなってきたわ」リシアンが弱音を吐く。
「頑張って、リシー。あとちょっとじゃないの」そんなゼルジーの慰めも、今のリシアンには届かない様子だった。
「ふらふらするの。足だってすくんじゃってるし」
「しっかりしなきゃだめよ。下を見ず、前だけをちゃんと見て。バランスを崩したら、頭から落ちてしまうんだからっ」
やっとの思いで向こう側にたどり着いたとき、リシアンは座り込んでしくしくと泣き出してしまった。〕
戸口でしゃがんでいるリシアンを、ゼルジーは途方に暮れて見下ろした。ベッドからここまで、フローリングの板と板との間に通る隙間は、今の今まで2人を運んでくれたロープだった。
「ねえ、リシー。下でお茶でも飲みましょうよ。きっと、気持ちが落ち着くわ」
ゼルジーはリシアンを立たせると、居間へと降りていった。
ソファーではパルナンがだらんと座り、恨めしげに窓の外を眺めているところだった。ずっと虫採りに行けず、伏せっているのである。
2人が降りてくると顔を向けた。泣いているリシアンを見て、ちょっと眉をひそめる。
「ゼル、お前が泣かせたのか?」
ゼルジーはなんと言っていいかわからず、うーんと口ごもった。
「違うの、パルナン」リシアンが代わりに口を開く。「わたし達、空想ごっこをしていたのよ。でも、あんまり怖くって、つい泣き出してしまったの」
パルナンは呆れたような顔をした。
「おおかた、ゼルのやつが、突拍子もないことを言い出したんだろ? いつもそうなんだ。だから、空想なんかやめちまえって言ったのさ」
「でもね、パルナン。空想って、そりゃあ大したものなのよ。だって、ほら。こんな雨の日だって、好き勝手に翼を広げることができるんですもの」ゼルジーは反論した。
「好き勝手にやって、リシアンを泣かせてしまったじゃないか」事実を突かれて、ゼルジーは思わず黙り込んでしまう。「そもそも、ゼルの空想は、限度がなさ過ぎるんだ。ゲームだってなんだって、ルールがなくっちゃだめさ」
「ルール?」リシアンがオウム返しに聞いた。
「うん、そうさ。ルールを決めて、その範囲内で楽しむんだ。そうすればいいんだ」
「でも、わたし、ルールなんて思いつかないわ」ゼルジーが言った。
「簡単なことだよ。例えば、ゼルはなんでも魔法、魔法って言うけどさ。魔法なんてものは、ここぞというところで使わなければ意味がないんだ。だって、そうだろ? それで、何もかも解決しちゃうじゃないか」
言われてみればそれもそうだわ、とゼルジーは反省した。確かにこれまで、魔法に頼りすぎていたかもしれない。
「それと、リシアンの空想を聞いていて思ったけど、きまってよその国へ行くだろ?」パルナンはリシアンに問いかけた。
「ええ。だって、現実の世界はあまりにも退屈なんだもの」
「そこさ。こっちの世界もあっちの世界も、ちゃんときまりごとを作っておかなくっちゃ。法律のない国なんて、どこにもありはしないからね」
「どうすればいい、パルナン?」ゼルジーは聞いてみた。
「そうだなあ……」パルナンは少しの間考えていたが、やがて、こう断言した。「君らの国には、名前が必要だな。まずは、そこからだ」
「名前かぁ」ゼルジーは、なるほどとうなずく。
「そうね、パルナンが正しいわ。わたし達の空想の国に名前を付けましょうよ、ゼル」
「だったら、あなたが名付け親になってよ。わたしのせいで、あなたを泣かせてしまったんですもの」ゼルジーが勧めた。
「なんにしようかしら。ちょっとだけ、時間をちょうだい。考えてみるから」
リシアンは、テーブルに座ると、頬杖をついて目を閉じた。
たっぷり、5分ばかりそうしていたが、やがてハッと目を開き、こう言った。