ゼルジーとリシアン
「ああ、ゼル。向こうに帰っても、わたしのことを忘れないでね」出発の直前、リシアンは花壇の前でそう頼んだ。
「もちろんよ、リシー。当たり前じゃないの!」ゼルジーは思わず歩み寄り、リシアンを固く抱きしめる。「この冬休みには、絶対にロンダー・パステルに来てね。『スズラン』で特大のイチゴのパフェを食べるのよ。それから、町中のいろんなところを案内してあげる。いいこと? 絶対よ」
リシアンもぎゅっと抱き返すと、ついには感極まってしまい、わんわん泣き出してしまった。ゼルジーも同じように声を上げて泣き、それに驚いたクレイアが、飛び出してきたほどだった。
「あらあら、今生の別れというわけでもあるまいし」そう心の中でつぶやきながらも、ふと昔のことを思い出す。「わたしも、妹のセルシアと離ればなれになるときは、今のあの子達のように大泣きしたっけ。でも、どんなに仲がよくたって、別れはいつか来るものなのよ。それでも、やがて時が解決してくれるものだけれど」
パルナンとゼルジーがロンダー・パステル駅に着くと、母セルシアが迎えに来てくれていた。
「まあ、あんた達、しばらく見ないうちにずいぶんとたくましくなったわ!」セルシアは心からびっくりして2人を見比べる。
「ぼく達、すっかり日に焼けたけれど、2ヶ月前と何1つ変わっちゃいないよ」パルナンはそう言ったが、魂の成長というものは本人には自覚の出来ないものなのである。
「この夏は、決して忘れることの出来ない印象深いものになったわ」ゼルジーもそう答えるのだった。
3人は歩いて家路についた。途中にある商店街を見ているうち、だんだんと懐かしい気持ちになってくる。
「あそこのパン屋、いつもいい匂いがしていたっけね」パルナンが言うと、
「そこのスーパーマーケット、お母さんと買い物に来たわ。野菜売り場や肉売り場のこと、隅から隅まで思い出せるわ、わたし」ゼルジーの心も、次第にソームウッド・タウンから戻ってくるのだった。
家に到着すると、ゼルジーはふと立ち止まって大きく背伸びをした。
「ああ、やっぱりうちっていいわ。ソームウッド・タウンにいた頃は、まるで向こうが天国のように思えたけれど、自分の家に勝るものはないわね」
「うん、ぼくも同感だよ、ゼルジー。ずっと向こうにいたいと考えていたけど、それは違った。今は、ここに帰れて本当にうれしいんだ」
ゼルジーは自分の部屋に行くと、荷物を置いた。机もベッドも、きれいなままだった。子供達がいない間も、セルシアが毎日掃除をしてくれていたためである。
初めのうち、どこかよそよそしい気がしていたが、しばらくするとそれも消え、まるで昨日からこの部屋で過ごしてたかのような錯覚すらするのだった。
「まるで、リシーと過ごしたことが夢のよう。でも、何もかも本当のことなのね」そう独り言を言って、リュックから1冊のノートを取り出す。まだ結末の描かれていない「木もれ日の王国物語」と書かれたノートを。
それは紛れもなく、ゼルジーの過ごしてきた夏休みの証だった。
次の日、学校へ行くと、仲のいい友達がゼルジーの元へ集まってきた。
「夏休みどうだった? どこかへ行った?」
「わたしは海に3回も行ったのよ。ほら、こんなに日焼けしちゃった」
「よその国へ行ってきたんだから。そこは夏なのに涼しいところでさあ、夜になると暖房を焚くの」
ゼルジーはその1つ1つに答えたり、自分の話をしたりしながらも、もしもここにリシアンがいてくれたなあ、と思わずにはいられなかった。
リシアンも、今頃は向こうの学校で、こうして友達と楽しく話しているに違いない。自分の知らない、彼女の仲のいい友達と。
そう考えると、ほのかに妬ましい気持ちが湧いてくるのを押さえることが出来なかった。たとえ、それが理不尽な感情だとわかっていても。
学校は半日で終わり、少し遅れてパルナンが帰ってきた。
「久しぶりの学校はどうだった?」パルナンが聞いた。
「友達と、たくさん話をしたわ。みんな、それぞれに自分だけの思い出を作ってきたのね。わたし、ついソームウッド・タウンのことを思い出してしまったわ」
「楽しかったなあ、今年の夏は」パルナンが懐かしむように言う。
「うん、今までの中で最高だったわ」そうゼルジーもうなずいた。
「ロファニー兄さん達と山で見つけたカブトムシ、あれはデパートなんかで売っているやつよりも、ずっと立派で大きかったよ。こっちでは、お小遣いで買えないほど高いんだぞ。その話をしたら、みんなうらやましがってたっけ」
「1匹くらい、持ってくればよかったのに」
「いいんだ。1度は捕まえたんだし、それで満足さ。前にも言ったろ。虫達にとって、生まれたところにいるのが一番幸せなんだ。ぼくらだって、こうして自分の住む町に帰れて、うれしいと思ったじゃないか」
昼ご飯を食べたあと、ゼルジーは自分の部屋でいつもそうしていたように、空想ごっこをしようとした。
クジラになって海の底深く潜ったり、親切な宇宙人と出会って銀河の彼方へ連れて行ってもらったりと、およそ現実からかけ離れた想像を巡らす。
ところが、どれもなんだかつまらなく感じてしまうのだった。
「どうしたんだろう。前は夢中になりすぎて、パルナンにからかわれるほどだったのに……」
ゼルジーはそのわけをとっくりと考えてみた。ようやく出た結論は、いつもかたわらにいたリシアンが、今はいないという事実だった。
1人でする空想ごっこは、つくづくつまらないものだ。そのことに気付くと、ゼルジーは急に悲しくなってしまった。いつのまにか涙が頬を伝い、ついにはしくしくと泣き出してしまう。
ノックがして、パルナンが入ってきた。おやつのショート・ケーキを持ってきたのだ。
けれど、ゼルジーの泣いている姿を見ると、顔を曇らせる。きっと、リシアンのことを想っているのに違いないと察し、何も言わず、ケーキの載った皿を、そっとゼルジーの前に置いた。
妹の切ない思いを、パルナンもよくわかっていた。自分だって、本当は泣きたいくらいソームウッド・タウンが恋しかった。けれど、あえて元気な声で話しかける。
「なあ、ゼルジー。このケーキ、お母さんが駅前の店で買ってきてくれたものなんだぞ。ほら、いつものあのケーキ屋さ。お前、好きだったじゃないか。さ、一緒に食べようよ。おいしいぞ」
ゼルジーは言われるまま、ケーキを食べ始めた。甘いホイップ・クリームが口の中いっぱいに広がる。
「わたしね、リシーと約束したの。冬休みにあの子がこっちへ来たら、『スズラン』でイチゴのパフェを食べようって」
「冬なんて、すぐだよ、ゼルジー。そうしたら、ロファニー兄さんもベリオス兄さんも、それにリシアンだってやって来るんだ。また、みんなで空想ごっこをしようよ。そうさ、ちょっとだけ待てばいいんだ。ちょっとだけね」
けれど、ゼルジーにとってその「ちょっと」は、果てしなく遠い先のことに思えるのだった。
20.再び影の国へ
パルナンが家に帰ってくると、ゼルジーは居間でノートを広げていた。
「ゼルジー、また『木もれ日の王国』を読んでいるの?」
「うん」ゼルジーは顔も上げずに答える。