ゼルジーとリシアン
「ああ、リシー。わたし達、初めて出会ったときも、こうして向かい合ったっけ。あれから、もう何年も経ってしまった気がしてならないわ」
リシアンも、あの夕方のことを思い出し、一瞬、瞳が遠くを見つめるのだった。
「あんた達、明日には帰ってしまうんだったわね。せっかく親友になれたのに、別れるのはつらいわ」
「ねえ、リシー。前に行ったところ、もう1度歩いてみない?」ゼルジーがそう提案する。
「懐かしい色々な所ね。いいわね、ゼル。思い出を噛みしめながら回りましょう」
2人はまず、ウィスターの森の桜の木へと向かった。ここは、リシアンの秘密の場所で、ゼルジーに打ち明けた大切な場所だった。
「あの小山、覚えてる? 一緒に登ったわよね」ゼルジーは木々の間に見える、小高い丘を指差す。
「もちろんよ、ゼル。あんた、すっごく愉快な空想をしてくれたじゃないの。1歩登るたんびに、わたし達、少しずつ縮んでいったわよね。それで、いつまで経っても頂上にはたどり着けないんだった」
「わたし、あのまま永遠に登り続けなければならないのかと、本当に心配だったわ。てっぺんに、何か素晴らしいものが隠されているんだと思うと、なおのこと行き着きたかったんだもの」
「でも、鳥になって、無事に行き着いたわ。そのアイデアを出したのもあんただったわよね」リシアンは思いを深めようとするかのように、目を閉じた。
「リシー、あなたはあの小山の上にお城があるって空想してるんだって、言ってたでしょ? ほんの少しの間だけど、わたしにも見えたのよ、そのお城が」ゼルジーも目をつぶる。
何もかも、2ヶ月前のあの日に戻ったような気がした。
やがて目を開いた2人は、どちらともなく小山目指して駆け出す。もう、魔法はかかっていないと見え、あっと言う間にてっぺんまで上がった。
そこには、以前見つけたタンポポが今も咲いていた。
「見て、リシー。『幸せのタンポポ』を再発見したわ」ゼルジーは大喜びだった。
「あの時摘まなくて、本当によかったわね。わたし達、自分にもう1度幸福を与えたことになるんだわ」タンポポを見下ろしながら、リシアンも感動に声を震わせる。
しばらくの間、周囲の景色をぐるっと見渡すゼルジーとリシアン。それぞれの心の中では、共に旅をした空想の世界が広がっていた。
次に訪れたのは、杉林だった。林に入ってすぐのところにある、人の背ほどの岩の前で立ち止まる。
この岩は、ウィスター家への目印となっていた。
「あんた、この岩が、大昔、旅人がそのまま行き倒れて岩になった、なんて言ったわよね」リシアンが懐かしむように言った。
「そうよ。今もそう思うわ。でも、あなたを怖がらせてしまったっけ」ゼルジーも思い出す。
「あの時はとても気味悪かったわ。でも、今となってはただ、懐かしいだけだわ」それがリシアンの本心だった。ここを通るたび、リシアンはゼルジーのことを思い出すに違いなかった。
川沿いを歩き、浅瀬までやって来る。
「ここでは、さんざん苦労して向こう岸まで渡ったわよね。実際には、らくらくまたげる石段だけど」とゼルジー。
「両脇は断崖絶壁で、急流だったわ。空想だってわかっていても、途中で怖くてたまらなくなっちゃった」
「また、渡ってみましょうよ」そう言うなり、ゼルジーは岩をぽんぽんと飛び越えていった。
「ああ、この岩だわ。わたし達が川の主に出っくわしたのは」リシアンは、最後の岩の上で立ち止まる。「本当はただのウグイだったけれど、空想の中では、とてつもなく大きかったなあ」
「あなた、もう少しでぱくりと食べられるところだったじゃないの」ゼルジーが笑う。
「そうよ、かかとのところに触れたの。空想を抜きにしても、ぞっとしちゃった」
「ねえ、リシー。ここまで来たんだから、ついでにウィスターさんのところへ行ってみない? わたし、お別れを言っておきたいの」ゼルジーが言った。
「いいわね、道路建設がいつ始まるのかも聞いておきたいし」とリシアンも賛成する。
家の戸を叩くと、前の時のように、どたばたと足音がして、ウィスターが現れた。
「おんや、ストンプさんとこのリシアンと、それにロンダー・パステルから来た、えーと……」
「ゼルジーです」ゼルジーは再度、名乗る。
「うんうん、そうだった。ゼルジーだったっけな。よく来た、よく来た。ささ、中に入って冷たいオレンジ・ジュースでも飲むといい」ウィスターは朗らかに笑いながら、2人を招き入れた。
テーブルに掛け、冷たいジュースの入ったコップを前に、ゼルジーとリシアンはまたしても懐かしさでいっぱいになる。
「あの日も暑かったっけ。オレンジ・ジュースが喉に染みたわ」ゼルジーは言った。
「何もかも過ぎ去ってしまったけれど、このジュースの味だけは変わらないわ」リシアンはコップに口を付け、うなずく。
「ウィスターさん、わたし、明日帰ってしまうんです」ゼルジーは、つとめて元気な声を出す。
「おお、そうかね。そうだなあ、もう夏休みも終わりだからな。前に来たときは生っ白い顔をしておったが、すっかり健康的になったよ。いい思い出が出来たろう」ウィスターは、うんうんと首を振る。
「あの、ウィスターさん」リシアンは思いきって尋ねてみる。「森に道路が出来るのって、いつ頃なんですか?」
「ああ、あの話かね。そうさな、秋には測量をして、うまく検査に通れば、冬頃から工事が始まるだろうて」
それを聞いて、2人は思わずため息を漏らす。
「やっぱり、森はなくっちゃうんだ」ゼルジーがつぶやいた。
「わしも寂しいんだよ。なんつっても、子供の頃から慣れ親しんできたもんでな。わしのせがれが戻ってきてさえくれりゃあ、手放さなくても済むんだがなあ」
ウィスターの息子ブレアスは、都会へ働きに出ていた。独りきりのウィスターは、森を売ったお金でブレアスの住む町に引っ越すつもりなのだった。
「せめて、あの桜の木だけは残すわけにはいかないのかしら」リシアンが口に出す。
「そいつは無理だろうなあ。沼を埋め立て、辺りをすっかりコンクリートにしちまうんだからな」ウィスターは答えた。
ウィスターの家からの帰り道、ゼルジーとリシアンはしょんぼりしながら歩く。
「『木もれ日の王国』だけは、なんとか救いたかったわね」ゼルジーが話しかけた。
「でも、魔王を倒す方法もわからないし、明日はあんた、ロンダー・パステルに帰ってしまうんですもの、とても無理ね」
「休みが、あと1ヶ月あったらなあ!」ゼルジーは、それこそ空想よりも難しい注文を天に投げかける。
「そうなったら、どんなにか素敵なことでしょうね」いっぽう、リシアンはこの点については現実的だった。
19.ロンダー・パステルのゼルジー
ゼルジーは、ロンダー・パステル行きの電車の中で、「木もれ日の王国物語」と書かれたノートを広げていた。別れ際、リシアンからもらったものだった。
向かいに座っているパルナンは、声をかけようとして、そのほほにまだ涙の跡が残っていることに気付き、思い直す。
ゼルジーはノートに目を落としていたものの、読んではいなかった。つい今しがた、リシアンと別れたときのことを思い返しているのだった。