ゼルジーとリシアン
リシアンは、これまでに自分が食べたことのある思い出せるかぎりのパンを、次から次へと空想の舞台セットに並べ立てていった。
そのうち、遠くでカラスの鳴き声を聞き、そういえばお腹も空いていることに気がついた。
「あっ、いけない! もう、こんな時間」慌てて立ち上がると、うろから飛び出し、一目散に家へと向かって小道をかけていった。
庭までたどり着いてホッとひと息ついたとき、デイジーのプランターの前に誰かしゃがみ込んでいるのに気がついた。
その小さな人影は顔を持ち上げ、ささやくような声で言った。
「あなたがリシアン?」
リシアンは驚いて、相手をまじまじと見つめた。タンポポの綿毛のようにくるくるっとほほを包み込む、金色の髪。おかげで、丸い顔がいっそうまん丸に見える。
まぶたの奥からこちらをじっと見つめるその瞳は、これまたまん丸で大きかった。夕日を受けてオレンジ色にキラキラ光っているが、本来の色はきっと、淡い青か緑をしているに違いない。風がふわふわと揺する真っ赤なスモックシャツだって、本当は白かピンクなんだろうな、と思った。
そこまで観察して、ようやくと口を開いた。
「あなた、だあれ?」
「わたし、ゼルジー・ティンブル。ロンダー・パステルから来たの」そう言ってゼルジーは立ち上がった。「ロファニーとベリオスのことは知っているんだけれど、あなたとはこれが初めてだわ。でも、だいたい想像どおり。この夏休みはきっと、これまでにないくらい、楽しいことになりそうっ!」
リシアンはすぐに遠い都会に住むといういとこのことを思い出した。たまに兄達が遊びに行くのを、よくうらやましく見送っていたっけ。ちょうど、今回のサマー・キャンプのように。
(わたしが独りぼっちになってしまうもんだから、おとうさんやおかあさんが気をきかせて、この子を呼んだんだ)リシアンは察した。
「初めましてゼルジー。あなたがこっちに来てくれて、本当にうれしいわ」リシアンはにっこり笑って会釈をした。「去年はベリオスがいてくれたんだけれど、今年は中学に上がってしまったもんだから、とうとう誰もいなくなってしまって、どうやって過ごしたらいいか、色々思い悩んでいたところなの。親友になれたらって思うわ」
すると、ゼルジーは駆け寄ってきて、リシアンの両手をとった。
「ああ、もちろんよ! あなたのおかあさんからわたしんちに電話があったとき、もしかしたら、ソームウッド・タウンに行ってもいいって言ってもらえるんじゃないかと予感したの。そうなったら、どんなに素敵だろうってね。だって、ロンダー・パステルはとっても退屈なんだもの。山も広い原っぱもないし、通りではいつも自動車に気をつけていなければならないのよ。遊ぶ場所なんて、ほんとにどこにもないんだから」
「あら、わたしは反対に都会に行ってみたくってたまらないのよ! 向こうにはお店がいっぱいあって、電車は10分ごとに駅に入るし、夜でも自分の手の指を数えられるくらい明るいんでしょ? 憧れちゃうわ。だから、あなた達のこと、すっごくうらやましく思っていたの」
「いいわ。冬休みはあなたがロンダー・パステルに来なさいな。わたし、帰ったらおとうさんに話しておく」
「ほんと?」リシアンは、ほっそりとした顔の真っ黒などんぐりまなこを、さらに大きく広げて、心から喜びを表した。
「そんでもって、おかあさんに『スズラン』に連れて行ってもらうの。『スズラン』っていうのはね、近所にある喫茶店で、そこのイチゴのパフェがとってもとってもおいしいのよ。グラスの中でクリーム・チョコレートとバニラ・アイスが交互に二段で詰め込まれていて、一番上にはホイップ・クリームが縁までぎりぎり盛られて、その上に特大イチゴが乗っているの。あれはほんっと、最高っ!」
「素敵! それは絶対に行ってみたい場所の1つだわ」リシアンはスカートのポケットから小さなメモ帳と鉛筆を取り出して、さっそく「スズラン」、「特大イチゴのパフェ」と書き記した。「わたしね、何か思いついたり、忘れたくないことがあったときのために、メモ帳を持ち歩いているのよ。あとで読み返すと、それだけでもとっても楽しいんだけれど、そこからまた別の空想が広がってわくわくするの」
「わたしも空想するのが好きよ」ゼルジーは両手を絡めて、森の陰に沈んでいった太陽の赤紫色をした空へと顔を向けた。「なんにもすることがなくて、たとえば外が雨だったりする日には、子供部屋で1日中あれこれ想像しているわ」
そのあとも2人は熱く語り合い、ようやくと家の中へと入っていったのは、たっぷり30分も後のことだった。
迎えたクレイアはゼルジーとリシアンを見て、
「あらまあ、もうお互いに紹介は済んだみたいね。そんなにしっかり手を結び合って、まるで姉妹みたいじゃないの」と、驚き喜んだ。
ゼルジーが居間に顔を出すと、ソファーでテレビを観ていたパルナンが、くるっと振り向いた。
パルナンは、ゼルジーを見ると、にやっと笑って、
「どこに行ってたんだ、ゼル。ぼんやり考え事でもして歩いていて、池にでもはまったのかと思ったよ」
ゼルジーがむっとして言い返そうと口を開きかけたとき、続いてリシアンが入ってきた。
パルナンとリシアンは、それぞれ小さく「あっ」と声を洩らした。
パルナンは立ち上がって、「こんにちは。ぼくはパルナン。君……君はリシアンだろ?」
リシアンもやや緊張した様子で、「ええ、そう。初めまして、パルナン。ようこそソームウッド・タウンへ。夏休みの間、よろしくね」
リシアンの形式張ったあいさつが面白かったとみえ、パルナンも芝居がかった身振りで返した。
「こほん。本日はお招きにあずかり、ありがとうございます。この長い長い夏休みが、あなたにとって、素晴らしいひとときでありますように」
リシアンはからかわれて、恥ずかしさのあまり、真っ赤になってうつむいてしまった。
「パルナンっ!」ゼルジーが声をあげると、パルナンはぺろっと舌を出し、またソファーに掛けてテレビの続きを観はじめるのだった。
さしあたって、パルナンとリシアンとの会話は、この夜はこれっきりだった。
一方、リシアンの子供部屋に案内されたゼルジーとは、その百倍ものおしゃべりを楽しんだ。あんまり夢中になり過ぎたために、食事の時間が来ても降りてこない2人を、わざわざクレイアが呼びに来なくてはならなかった。
とっくにテーブルに掛けていたパルナンは、何がそんなに愉快なんだか、とでも言いたげに肩をすくめている。
夜、パルナンとゼルジーは、リシアンが言うところの「とっときのお部屋」で眠ることになっていた。来客用の寝室だったが、無駄がなく、さっぱりしすぎているため、リシアンはあまり好きではなかった。
「だって、あの部屋、ほんっと、なんにもないんだもの。ただ眠るだけ。そりゃあ、よそから来て泊まっていくお客さまにはいいでしょうけれど。想像力を使わなければ、1時間だっていられないのよ」