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十二月の蝶

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 できるだけさりげなく聞こえるように声色を選んで、雨塚は尋ねた。他人の感情のささいな変化に敏感なのは、二つの職業が雨塚に与えた特性だ。
「いや、まあ、ちょっとね」
 真田は、話すかどうか迷っているようだった。
 窓の外へ視線を移し、縁側の向こうで揺れる山茶花、さらにその奥の竹林を眺めているが、そんなものを見たいわけでないだろう。
「花梨がね。少しおかしいみたいで」
 小さな孫娘を持つ男が口を開いたのは、たっぷり二分ほども沈黙が行き過ぎたあとだった。
 雨塚は微かに眉を寄せた。
「おかしい、というと」
「眠ったまま起きない。もう三日になるかな」
 へえ、とも、ほう、とも取れるような声を漏らして、雨塚は座布団に座りなおした。
 片膝を立ててその上に肘をつき、手の甲に顎を載せる。行儀が悪い、と妙子にさんざん注意された姿勢だが、考えごとをするときの癖なのだ。
 まだ体力のない小さな子供が、疲れて丸一日眠っているようなことはある。だが三日となると、あまり正常とは思えなかった。何らかの病気を疑ってかかるべきではないのか。
「木曜日の朝から、いくら起こしても起きないんだ。由香ちゃん……お嫁さんは半狂乱だし、貴志はおろおろするばっかりで役に立たないし」
 貴志というのは真田の長男で、雨塚より四つか五つ年上だったはずだ。真田の家は二世帯住宅になっており、真田夫妻と一緒に長男一家が住んでいる。
「まあ、役に立たないといえばわたしもなんだけどね」
 真田は苦笑してみせる。土曜日のこんな時間に、彼が雨塚宅へやってきた理由がわかった。要は家に居づらいので、気楽な場所で時間を過ごそうというわけだ。
 それはそれとして、花梨の状態は気にかかる。
 去年、花梨の三歳の祝いに祝詞をあげたのは雨塚だ。知らぬ相手ではない。
「心配ですね。医者には診せたんですか」
「呼んで診てもらったんだけど、おかしいところはないって言うんだ。町医者じゃ、どうもわかんないみたいでね。もし明日もこのままだったら、車に乗せて救急のある大きなところへ行くって貴志が言ってた」
 何もないといいんだけどね、と力なく笑った真田は、またしばらく庭を眺めていた。
 雨塚が特に先を促さずにいると、沈黙に耐え兼ねたように真田がぽつりと言った。
「七つまでは神のうち、だっけ」
 古くから言い習わされている言葉だ。仏教式に「仏のうち」と言ったりすることもある。
 七歳以下の子供はあの世とこの世の中間にいる存在だ、というような意味だが、その内には昔の生活事情の苦しい側面が隠れている。
 幼い子はささいなことであの世へ帰ってしまう、つまり子供が簡単に死んでしまうことを指しているというのが一般的な解釈だ。実際、日本でも二十世紀の半ばごろまで、乳幼児の死亡率が非常に高かった。
 さらにこの言葉を盾にして、間引き、口減らしが行われた時代もあるという。七歳までの子供は人ではないから、神の世界に返すだけだ、という主張だ。
 今の感覚ではずいぶんとひどい話に聞こえるが、そうせざるを得ない時代が、かつてあった。
「……そりゃあ、あんまりいい言葉じゃあないですよ」
 二本目の煙草を引っ張り出しながら雨塚が言ったのは、そのあたりの解釈を踏まえてのことだ。
 花梨を心配しているなら、口にするべきではないと思った。言葉には霊力が宿るのだから。
 そう思ってしまうのは、雨塚が神職だからかもしれないが。
「子供には、いろんなことが起こるもんです。ご心労のほど、お察しします。でも、専門家でもない人間が周りでおたおたしても、いいことはない。できるだけ由香さんを労わってあげてください。花梨ちゃんの無事を、お祈りします」
 行儀の悪い姿勢のままだが、きちんと真田の目を見て言うと、相手は安心したようだった。両手で湯呑を持ってしきりに頷いている。
「いやあ、燐太郎君もちゃんと神職になったんだねえ」
「何だと思ってたんですか」
「昔は泣き虫のくせに意地っ張りで、他人なんかどうでもいいって感じだったのになあ。覚えてるかい? 小学生のとき、クラスの子とひどい喧嘩してさ。その原因っていうのが……」
「本っ当、勘弁してください」
 幼い頃を知っている近所の人というのは、つくづく始末に困る。
 赤面した雨塚は、目をそらすと煙草に火を点けた。



   三



 冬の日が暮れるのは早い。
 真田が帰ったあと夕拝をすませ、境内を見回りがてら掃除しているうちに、すっかり暗くなっていた。いつもの定食屋に行こうかと思ったが、カステラが腹にたまっているせいかそこまで食欲もなかったので、買い置きの蕎麦を茹でて大量の葱を載せ夕飯にする。
 風呂に入ってから自室として使っている北西の部屋へ戻り、少しだけテレビを観て、調べものをしたりしているうちに、欠伸が出た。今日は昼寝もしたはずなのだが。
「寝ても寝ても眠いな、と」
 咥えていた煙草を消して、大きく伸びをする。
 雨塚は毎朝五時半には起きる。明日は日曜日だが、歳祭の相談で町内会の係が来るし、大晦日と正月に向けての準備もしなければならない。兼業宮司が週末にやることは多いのだ。
 布団を敷きながら、ふと、眠ったままの女の子のことを思い出した。
 たった四年しかこの世を生きていない真田花梨。
 すでに三日間眠り続けているという。その間は飲み食いなどしていないだろうし、横になったままの姿勢だって身体の負担になる。
 花梨の姿を思い出そうとする。茶色がかった髪をおかっぱにして、三歳の祝いの赤い着物を着た花梨。引っ込み思案のようで、母親の蔭から周囲を窺っているような子だった。
(子供を守ってくれるというと、どのあたりかねえ)
 確か瀬戸内海の方に子供の守り神という触れ込みの神社があったはずだが、全国的には多くない。
 少し考えてから、雨塚は小さくつぶやいた。
「掛まくも畏き天津神国津神、彼の児を守り給え、父母のもとに還らせ給え、畏み畏みて白(もう)す……」
 全部の神々に祈っておけば間違いはあるまい。
 それから彼は電灯を消し、布団にもぐりこんだ。



 ぐっすりと眠り込んでいたのは確かだ。
 何かに呼ばれた気がして、雨塚はゆるゆると目を開けた。
 自分の布団の中、見慣れた自室の風景が、闇の中でおぼろげな輪郭を取り戻していく。

 ――雨音が聞こえている。

 それに気づいてひといきに覚醒した。
 雨塚は反射的に天井を見、それから布団をはねのけた。雨戸をずらして外を確認する。
 思った通り、雨は降っていなかった。街の灯を反射して仄明るい空を背景に、木々の濃い影が揺れているだけだ。
 雨音は続いている。無数の葉を打つ、林の中で聞くような雨音。
(来たか)
 諦めに似た気分で、雨塚は溜息をついた。
 彼はこの音をよく知っている。
 己の中だけに降る雨の音。物心ついて以来、幾度となく聞いたこれは――前兆だ。
(さて、面倒なものじゃあないといいが)
 夜の中に気配を探る。
 目は頼りにならないと経験上知っていた。少なくとも一般的な意味での視覚は。
 雨塚が最もあてにするのは、耳だ。
作品名:十二月の蝶 作家名:いいぐら