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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 11

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11.ファースト・ノート

 徹治が亡くなった十日後、要に呼ばれて初音が高村家にむかうと、門扉のそばに時任と研究生数名が立っていた。いずれも通夜で見た顔ぶれだ。

 時任は目を細めてハンチング帽を取った。頭を下げると、薄くなった頭皮が見えた。続いて二十代後半の男性も礼をした。要がまだ戻っていないのか、玄関には鍵がかかっている。借りている鍵で扉を開けて中に招き入れた。

 入る前にもう一度、家の前の私道を見た。要らしき姿はなかった。空は高く冴えわたり、乾いた空気が落ち葉を舞い上がらせていた。

 十五分ほどして要がかけこんできた。予定通りに最寄り駅までたどり着いたものの、紅葉シーズンを迎えたため大通りは渋滞し、タクシーがほとんど動かなかったらしい。歩いてきた方がマシだったよ、と言いながらギターのハードケースを床に置いた。

 時任は年季の入った牛革のダレスバッグから茶封筒を取り出した。要はそれを受け取って逆さまにした。通夜の夜、時任から話を聞いた通り、鍵が転がり出した。

「部屋の鍵と……あとは何の鍵ですか?」

 キーホルダーリングには室内用の大きな鍵と銀色の小さな鍵がひとつ、アンティーク調の飾りがついた細長い鍵がついている。徹治は入院中にこの茶封筒を時任に託し、死後、要に渡すように頼んだそうだ。

「金庫の鍵と机の引き出しの鍵だと聞いている。金庫にはまだ世に出ていない論文が入っているそうだが、あとで見せてもらってもいいかね」
「もちろんです」

 要は鍵を握りしめると、廊下に出た。時任たちが後に続く。
 一階の北側には徹治の自室がある。初音は一度も足を踏み入れたことのない領域だ。

 要が木製の扉に鍵をさし入れる。真鍮のドアノブを握ってゆっくりと扉を開くと、嗅覚を刺激する薬品の匂いが漏れ出してきた。

 彼らの後に続いて中に入り、息を飲んだ。眼前には壁いっぱいに設置された本棚が迫り、空いたスペースに魚や小動物の骨格標本やホルマリン漬けにされた瓶が並んでいる。書籍の多くは外国語で示されており、中には「高村徹治」と記されたものもある。
 胃の底から液体がせりあがってくるのを感じて、あわてて窓を開けた。

 天井からはアイアンと木でできた鯨のモビールが吊るされている。大中小の三匹どれも、雪のように埃が積もっている。

 要は木製の脚立に足をかけると、モビールに息を吹きかけ、アイアン部分にこびりついた汚れを指でこすりながら言った。

「……俺、ずっとこの鯨がほしかったんだ。背が届くようになったら持っていってもいいって言われてたけど、今更こんなのもらってもなあ」

 苦笑いを浮かべながらそう言うと、脚立から下りて机に手をかけた。少し触れただけで白い埃が舞い上がる。

「机の引き出しってここかな」

 アンティークというよりただ古びて痛んでしまったように見えるライティングデスクには引き出しが四つある。要は装飾のついた鍵をかざすと、そっと鍵穴にさしこんで回転させた。

 一番上に「要」と書かれた大きな封筒が入っていた。中には徹治が死んだあとの手続きが事細かに書かれている。役所や銀行に関する手続きのこと、文献や標本の分別は時任に委ねること、家を処分する際に必要な権利書や登記簿のこと――

「要がこの家から離れようとしてることに気づいてたのかな」
「さあなあ……ただ必要なことを羅列しただけかもしれないし」

 そう言って紙を裏返しにした。白紙だった。要に対する言葉は何も書かれていない。
 封筒を逆さまにすると、白い縁取りのある写真が二枚落ちた。どちらもずいぶんと色褪せて手垢もたくさんついている。

 要は食い入るように写真を見つめた。黒い巻髪の女性が赤ん坊を抱いて微笑んでいる。
 裏には「早苗 要(六カ月)」と書かれている。同封されていた紙と同じ文字だった。

「おじさん、ずっと持ち歩いてたのかもしれないね」

 要はゆっくりとうなずいたあと、時が止まったように写真を眺め続けた。

 本棚の前では時任と研究生たちが唸り声を上げている。彼らに促されて要が金庫の鍵を開けると、中からは先ほどの紙に書かれていた通り、印鑑や銀行の通帳などが出てきた。論文のタイトルが書かれた分厚い茶封筒を時任に渡すと、震える手を差しだし、抱えるようにして胸に当てた。

「本当に……ここの物を私たちが引き取ってもよいのかね」
「俺には価値がわかりませんから。これだけで十分です」

 もう一枚の写真を見せた。若い頃の徹治と生みの母に挟まれ、はにかんでいる幼少の要が映っていた。時任はずりおちた銀縁眼鏡を鼻にかけ直して言った。

「早苗さんは生まれつき心臓の疾患を抱えていたそうなんだが、高村との子供がほしいと言い続けたそうでね。君が一歳を過ぎた頃に亡くなったんだ。そのあと研究室にやってきて助手をする傍ら、要くんのお世話役をかってでたのが、柳美穂くんだよ」

 徹治の通夜の時、最後に焼香をした女性を思い出す。彼女を見た途端、隣に座った要の表情が凍りついたことに気づいた。彼女はハンカチを口に押し当て、泣き出しそうになるのを懸命にこらえながら要に視線を注いでいた。膝の上におかれた要の握り拳が震えていた。血はつながっていなくても、二人の間には親子の情があるように感じた。

 時任は茶封筒を抱えたまま室内をぐるりと仰ぎ見た。

「この家は三十年前から時が止まったようだ。柳くんと結婚するつもりなら早苗さんが選んだ調度品くらいは買いかえるべきだと忠告したこともあったが、あいつは早苗さんが生きていた形跡を消してしまいたくなかったんだろうね」

 そう言って宙を泳ぐ鯨を見上げた。三匹の鯨は光を受けてきらめきながら、寄り添うように揺らめいていた。

 この家の主は高村徹治で、要の生みの母は高村早苗――古びても決して失われない、徹治が端正こめて整えたこの空間に、自分の母が入りこむ余地はないと思われた――

「……っつう」

 下腹部に鈍痛を感じてしゃがみこむと、要が脇をささえた。時任と研究生たちはうろたえるようにして近づいてきた。

「ともかくも部屋中の埃を落したいので、我々に任せてもらえますか」

 要に抱えられるようにしてリビングに入ると、ソファに横になった。
 初めて感じる痛みではなかった。ここ数日、生理痛にも似た腹部の痛みが何度か襲ってくることがあった。それほど強い痛みではなく、手でさすっていると次第に落ち着いてくる。

「仕事、きついんじゃないの。すぐにでも辞められないの?」
「大丈夫……あと十日で退社だから……」

 すぐそばにいるはずの要の姿がぼやけている。いくら下腹部をさすっても痛みが治まらない。貧血のせいか体が思うように動かせない。足のつま先から熱が引いていく。
 腹にさしこむような痛みを感じて体を折り曲げた。

「病院に行った方がいいんじゃ……」
「それより先に……トイレ……貸して」

 伸びてきた要の腕にしがみついて立ち上がろうとした。痛みのせいで足に力がはいらない。体を引きずるようにして廊下に出ると、突如、強烈な痛みが襲いかかってきた。