相思花~王の涙~【前編】
「男にも色々と種類があるんだよ、ソナ。楊貴妃のような色香溢れる女を好む男もいるだろうし、私も嫌いではない。だが、それ以上に、そなたの控えめな色香の方が好きだ。それに、ソナは花開けば、私でさえ想像がつかないほど、もしかしたら、楊貴妃さえ凌ぐほどの色香溢れる女に変身するかもしれない」
ハンが再び歩き出したので、ソナもまた歩く。
「私はいつもソナの側にいて、そなたが美しく花開いてゆくのを見てみたい。少し下世話な言い方かもしれないが、できることなら、私の手でそなたという花を開かせてみたいんだ。そなたは嫌か?」
ソナはポカンとし、すぐに耳まで染まった。
「それって、その、まさか」
ハンが微笑む。
「そういうことだよ。私のものになって欲しい、妻になってと求婚している」
ソナは熟した林檎のように頬を染め、あたふたと続けた。
「でも、ハンも言ったように、あなたは私のことを何も知らないでしょう。例えば私の家族のこととか」
「私は別にソナの家族と結婚するわけではないから、構わないさ。もちろん、どうでも良いわけじゃない。後宮の下働きになろうと思ったのには相応の理由もあるだろうし、場合によってはソナの実家の援助をさせて貰っても良い」
「私は別にそんなつもりじゃ―」
ソナは厭々をするようにかぶりを振った。
ハンが優しい眼でソナを見つめる。
「私の言い方が気に障ったなら、許して欲しい。私は何もソナの実家を貶めたり、援助を条件に妻になってくれと頼んでいるんじゃないんだ。ソナと結婚すれば、そなたの家族も私の家族同然になる。ならば、義理の息子としてできるだけのことをしたい、そういう風に理解して貰えないかな」
ソナはますます赤くなってうつむいた。
「ごめんなさい。私ってば、あなたの言葉をねじ曲げて受け取ったりして」
ハンは声を上げて笑った。
「そんなところも私がソナを気に入った理由なのだよ。男の気を惹くこともせず、援助を申し出ても、それに乗じて、ねだり事をするわけでもない。今時の娘にしては珍しいくらいに欲がなくて清楚で可愛い」
あからさまに異性に褒められたことも口説かれたこともないソナはもう行き場がないほど居立たまれない。すっかり冷静な思考力を失ってしまって、考えるより先に言葉が出ていた。
「私の家族の話をするわね。私の両親は都に流行病(はやりやまい)がはやった年、相次いで亡くなったの。私が七歳のときよ。その後、四歳の弟と一緒に親戚の伯父―、父の兄に引き取って育てて貰ったの。弟はヨジュンというわ」
「ソナは今、幾つ?」
「十七よ」
ハンから、しばらく応えはなかった。ソナは沈黙に耐えきれず、また先を続ける。
「ヨジュンは今、十四歳になったところ。二年前に伯父さんが亡くなってしまってね、直後に借金取りが押しかけてきて初めて、伯父さんがたくさんの借金を残したことが判ったのよ」
ふいにハンが低い声で言った。
「それで、ソナは身売りも同然に宮殿の水汲みにさせられたのか?」
ソナは慌てて否定する。
「違うわ、水汲みになったのは私が望んだことよ。残った伯母さんは最後まで私に思いとどまるように言ったわ。後宮には一度入ったら、なかなか出られないでしょう。私たち最下級の下働きより上の女官さまだって国王殿下(チュサンチョナー)の御前に出ることは滅多にないっていうのに、水汲みが国王さまのお眼に止まることなんてあり得ないもの」
ハンが意外そうに言う。
「では、ソナもやはり国王の眼に止まりたいと願って?」
「まさか」
ソナは眼を丸くした。
「伯母さんは心配してくれたのね。後宮の女は建前上はすべて国王さまの女ということになっている。だから、たとえ水汲みといえども、一度なれば、なかなか止められないし後宮を出ることも叶わなくなる。それでは嫁に行くこともできず、結局、宮殿で虚しく女盛りを過ごすことになるって」
「ソナは後宮を出たいのか?」
ソナは首をひねった。
「さあ、どうかしら。私が宮殿で働き続ければ、給金も頂ける。それを伯母さんに送って借金の返済に充てられるわ」
ハンは憤慨めいて応えた。
「そなたの伯父と伯母は最低だな。姪に働かせて一人、ソナに借金を背負わせているのか!」
と、ソナが突然、ハンを睨みつけた。
「伯父さんや伯母さんの悪口を言うのは止めてちょうだい。昨日今日、逢ったばかりのあなたに私たち家族の何が判るというの? 二人とも、私とヨジュンを実の子のように育ててくれたのよ。二人には子どもがいなくて、伯父さんはヨジュンが良い跡取りになってくれるととても歓んでいたんだから。でも、借金があると判って―」
「そなた一人が働いているんだろう!」
ハンも後に引かない。ソナは激昂して続けた。
「違うわ、伯母さんも内職をしてるし、ヨジュンも養子先で養父に学問を教わる傍ら、代書をしてお金を稼いでいるもの。皆で頑張って一日も早く借金が返せるようにしているのに、伯母さんを悪く言わないで」
ハンの声が幾分、落ち着いた。
「弟は何故、養子に出された?」
ソナは溜息と共に応えた。
「今のままでは、弟まで借金取りに追われることになりかねない。本当はヨジュンに伯父さんの跡を継いで欲しかったけどって、伯母さんが伯父さんの知り合いの家にヨジュンを託したのよ。そこは儒学者の家で、家門はそう高くはないけれど両班なの。私が水汲みになれたのも、そこの旦那さま(ナーリ)の推薦があったから」
「ソナの一家は学者なのか?」
その問いに、ソナは淋しげな笑みで応えた。
「そんなたいそうな代物ではないわね。父も伯父も学問は好きだったけど。父は本屋を営んでいて、伯父は代書を引き受けて生計を立てていたの」
「伯父御は何故、借金を作る羽目になったんだ? 妓生にでも入れ込んだのか?」
あまりにも的外れな見解に、ソナはまたハンを睨んだ。
「馬鹿なことを言わないで。伯父さんは清国から渡ったばかりの珍しい書物を読みたかっただけ」
ソナがうろ覚えの難しい書物の名を何とか思い出し告げると、ハンは意外にもすぐに頷いた。
「知っている。それなら、宮殿の書庫にあるはずだ。もっと早くに私が知っていたなら、便宜を図ってやったものを」
その言葉に、ソナは呆れたように眼を丸くした。
「何を馬鹿なことばかり言ってるの? 宮殿の書庫に入れるのは国王殿下や中殿さまを初めとした王族の方、許可を得た官僚だけなのに、下っ端の内官のあなたが入れるわけないでしょ」
「う、うむ。そう言われれば、そうだが」
ハンはムッとしたように口を閉じた。
「それにしても、書物に恋い焦がれて借金をしたとは、よほどの学問好きだったのだな」
ややあって、吐息混じりに言う。ソナは頷いた。
「仕方なかったのよ。伯父さんは宮殿で威張っている学者なんかよりよほど物識りだった。若い頃は科挙を受けたいって猛勉強したの。実際に試験を受けて合格もしたほどの人なのに、何でか後になって別の受験者の答案と入れ替わっていて手違いだって言われて、不合格になったの。その代わりに合格したのは当時の右議政さまの息子だったそうよ。伯父さんは納得がいかないって、抗議したらしいけど、取り合って貰えなかったって」
「―」
作品名:相思花~王の涙~【前編】 作家名:東 めぐみ