相思花~王の涙~【前編】
何故、れきとした男性でありながら、それをひた隠し、内官のふりを装うのか? もし事実が露見すれば、大変どころか、国王殿下をたばかったと不敬罪で死罪になる危険性もある。それほどのことを彼女の恋人はしていたのだ。
彼がちゃんとした男であることは、その夜、初めて結ばれて判った。むろん、ソナはその理由をハンに問うた。しかし、ハンは穏やかな表情で首を振るばかりだ。
「またきちんと事情を話すから、今は私を信じて欲しい」
ハンの謎はますます増えるばかりだ。普通、互いを知れば知るほど謎は解消されるはずなのに、この男との関係は深まるほどに濃い霧の中へと足を踏み出していくように混沌としてくる。それがハンの不実さから来ているとは思わない―というよりは思いたくないというのが本音のソナであった。
その十日後の夜も、ソナはハンと例の桜草の殿舎で逢瀬を持った。庭の前で落ち合った二人は待つのももどかしく殿舎に入った。どちらからともなく抱き合い、口づけを交わし、互いの衣服を脱がせ合う。倒れ込むようにもつれ合い転がり、性急に身体を重ねた。
ハンは内官どころか、若いだけに求めてくるのも荒々しく愛撫も烈しかった。二人は飢えた獣のように幾度も交わり、ソナは初めての夜はあまり感じられなかった信じらないほどの官能の極みを体験した。
ソナの素肌を這うハンの唇が、指先が異様に熱を帯びている。ふいに乳房のみずみずしい果実にも似た頂に強く吸いつかれ、ソナは自分でもはしたないと思うほどの声を放った。
「どれほどそなたを抱いても、まだ足りぬ。これでは飢えた獣のようだ」
ハンの欲情を閃かせた眼(まなこ)が妖しく輝く。
ハンに導かれて彼女が見たのは光輝く世界で、そこは歓喜に満ちていた。あるときはソナはハンの腕に抱かれて幾度も花びらを散らし、あるときはハンという腕の中の空を悠々と舞う鳥になった。ハンが宣言したとおり、ソナはハンの手によって手折られ、美しく女として花ひらいたのだ。
ひととき、ソナはハンの腕に抱(いだ)かれ、舞い散る花びらに、降りしきる雪の欠片に、羽ばたく蝶になる。めくるめく嵐に翻弄されまくった後、彼女は燃え尽きた身体ごと、彼の逞しい腕に頭を乗せ寄り添い合って横たわるのだった。
着物の上からでは優男に見える彼もやはり男だ、衣服を脱いで素の身体を晒せば腕も筋肉がそれなりに付いている。とはいえ、やはり武芸をたしなんでいる風にはとても見えなかったが。
やがて身体の火照りが醒めた頃、二人はまたどちらからともなく身を起こし身仕舞いを整える。その瞬間というものに、ソナはなかなか慣れなかった。初めて身体を重ねる夜はこれで二度目だが、一夜に幾度も交わったソナの身体はもう男の身体をよく知っていると言って良い。
それでもなお、行為の後はハンとまともに顔を合わせられず、ましてや視線を交わすなど、とんでもない。今も艶っぽい瞳を向けられ、ソナは狼狽え頬に朱を散らしてうつむいた。
ハンがくすくすと笑う。
「ソナはやはり面白い。もう深い仲になったゆえ、そのように赤くならずとも良いものを。ま、ソナの奥ゆかしいというか恥ずかしがりのところが私は好きなのだがな」
あからさまな流し目と共に直截な科白を囁かれ、ソナの顔はますます赤くなる。
ところでと、ハンが瞳を輝かせた。
「今日はそなたに贈り物がある」
ソナは愕いたようにハンを見た。
「何なの? この間も立派なノリゲを貰ったばかりなのに」
ハンが微笑(わら)った。
「とにかく開けてみて」
ソナもつられたように笑い、ハンが差し出した風呂敷包みを受け取った。この前は小さかったけれど、今度はかなり大きい。
膝に包みを乗せ、牡丹色の風呂敷を解く。中から現れたのは綺麗な紙を貼った箱に納まった饅頭だった。丸い形をしたそれは色ごとにきちんと縦に連なっている。白、薄紅、緑、黄と四色の饅頭が整然と並んでいた。
「美味しそう!」
ソナは嬉しげに言い、ハンを見上げた。
「頂いても良い?」
「もちろん」
その声に手を伸ばし、まずは薄紅色の饅頭をひと口頬張った。
「美味しいわ」
ハンが笑い、自分も白の饅頭をおもむろに掴み囓る。彼はさも美味そうに食べている。ふいに白い歯がチラリと覗いたのに、ソナは慌てて眼を逸らした。
先ほどの親密なひとときが脳裡に鮮やかに甦る。あの白い歯がソナの感じやすい胸の突起を囓り、ソナはさんざん彼に啼かされたのだった―。彼が噛んだのは乳房だけではなく、肩や首筋、ひろげた両脚の狭間、太腿にまで及んだ。
―囓らないで、跡がついてしまう。
―別に皆の前で服を脱ぐわけではない。そなたが膚を見せるのはこの私だけだ。ゆえに、跡がついても構わないだろう?
赤くなって抗議するソナに、ハンは余裕のの笑みで応えたのだった。
「何を考えている?」
その声に、ソナは現に引き戻された。まさかハンとの情事を思い出していたとは思えず、できるだけ自然に見えるように祈りながら笑顔をこしらえる。
「いいえ、特に何も」
ハンが悪戯っぽく瞳を煌めかせた。
「さては何か良からぬことを考えていたな」
先刻、考えていたことを見透かされたようで、一挙にまた体熱が上がり、鼓動が速くなる。
「良からぬことって、何よ」
わざと挑戦的に言うと、ハンが眼をくるりと回した。
「例えば、先ほどの私たちの営みのこととか。どんな体勢でどんな風に交わったとか、色々」
ソナは真っ赤になって叫んだ。
「良い加減にしてっ」
自棄になり、二つ目の饅頭に手を伸ばす。
ハンはソナを面白いものでも見るかのように見て笑っている。
―っもう、癪に障るんだから!
いつもソナはハンにからかわれてばかりだ。
「おいおい、そんなに食べたら太るぞ」
「良いの! 痩せっぽちだから、たくさん食べろって言ったのはどこの誰? それに太ったら、ご飯を倹約してまた痩せるから、良いもん」
初めて結ばれた夜、ハンに真顔で言われたのだ。
―もっとたくさん食べた方が良い。こんなに痩せていては、将来、出産に身体が耐えきれないかもしれないぞ?
その科白を思い出したのか、ハンが笑いながら頷く。
「少しくらいは太っても大丈夫だから、痩せる努力をするのだけは止めてくれ。折角の豊かな胸が小さくなるだろう。ソナは痩せていても胸が大きい。そこが私は良いんだ」
ソナは耳まで赤くなった。
「な、何を言ってるんだか」
つい勢いに駆られて三個目の饅頭に手を伸ばしてしまう。
「でも、確かに三個も食べたら、太るわよね」
渋々と三個目を戻しかけたソナに、ハンが笑い転げた。
「構わないよ、そなたが少しくらい太っても私はずっと好きだから。好きなだけ食べなさい」
「そう?」
ハンに言われ、ソナは饅頭をほおばった。中の餡と外の薄皮が絶妙の調和を見せ、口の中で蕩けるようだ。
「それに、烈しい営みの後は腹が空くものだからな」
ブッっとそのあからさまな言葉に噎せたソナは咳き込んだ。
「は、ハン。あなたって―」
ソナは言いかけて口をつぐんだ。この場合、何をどう言おうと、淫らな話になるに違いない。その手には乗るものか。
ソナは黙ったまま三個目の饅頭をひたすら食べ続け、ハンはソナを愉快そうに眺めていた。
作品名:相思花~王の涙~【前編】 作家名:東 めぐみ