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相思花~王の涙~【前編】

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 言い終えたまさにその瞬間、凄まじい轟音が周囲で弾けた。爆竹が鳴り、空では花火が上がる。集まった人々の興奮は最高潮に達し、どよめきが洩れた。
 皆が夜空を舞う色とりどりの花火に魅入られたかのように見上げている。それは身分差があるとはいえ、平和な国の生き生きとした祭の夜であった。
「え、何だって、もう一度言ってくれ。よく聞こえなかった」
 本当なのかどうなのか知らないけれど、ハンがそう言うので、ソナはもう一度囁いた。
「イ・ハン。私はあなたの求婚をお受けします」
「そ、そうなのか?」
 ハンの綺麗な顔が笑み崩れ、ソナは思わずその腕に強く抱きしめられた。
「一生、大切にする。そなたが私から離れない限り、私はけしてそなたの側から離れない。直宗が和嬪だけを愛したように、私もそなた一人だけを生涯かけて愛し抜くよ」
「ハンってば、まだ言ってる。畏れ多いわよ、そんな雲の上の方を引き合いに出さなくても、私の心も変わらないから」
 ハンが袖から一枚の手巾を取り出した。見ればきちんと洗濯したらしく、薄紅色の手巾は綺麗になって畳まれている。
「ユリの花が刺繍されていた」
 ソナはハンを見上げながら微笑んだ。
「私が自分で刺繍したの」
「ソナの好きな花なのか?」
 頷けば、額に落ちた軽い口づけとともに囁かれた。
「それなら、いつか腕一杯の百合をそなたに贈るよ」
「愉しみに待ってる」
 ハンがひっそりと笑う。
「そなたが刺した花ならば、余計に返すのは止めた」
 彼はまるで愛おしむかのように手巾に咲いた小さな白百合の花を指先で撫でた。
「ソナ、この手巾は私にくれ。そして、私がそなたにあげたあの薬入れは私たちが出逢った日の記念に、そなたが持っていて欲しい。私とそなたの、互いの真心の証として、いつまでも変わらない心として」
「そうね、そうするわ」
 ソナの髪を愛でるかのような手つきで彼が撫でる。
「薬の器には一対の蝶、そなたの手巾にはユリの花。ソナ、そなたが百合ならば、私はそなたという花に惹かれて蜜を求める蝶だ。蝶と花は常に一対でなければならない。けして、私の側を離れるでない。私もそなたを生涯、側から離さぬゆえ」
「―はい」
 小さく頷くと、彼の指が顎に添えられる。見上げたすぐ先に、愛しい男の貌があった。次第に近づいてくる唇が重なった時、また花火が上がった。啄むような口づけが次第に深くなってゆく。
 花火に夢中の人々はいつまでも果てなく口づけを交わす二人に気付く風もない。
 ソナは幸せだった。愛する男とめぐり逢い、互いの想いを確かめ合ったこの夜をこれから先、何があったとしても忘れないだろうと思った。
 夜空を飾る無数の燈籠が初夏の夜風にかすかに揺れた。都漢陽の祭の夜は熱く更けていった。
  
 恋人の秘密

 ソナは怖々と周囲を窺った。こんな夜更けに自室から出たのは入宮以来、初めてのことである。大抵、水汲みなどの下働きは数人で一室と相部屋を与えられるものだが、ソナの場合、たまたま部屋が一杯で、狭い室が一つ空いていただけだったため、ここに入れた。
 とはいえ、室というよりは物置代わりの納戸といった方がふさわしいほどの狭さだ。それでも、見知らぬ他人と常に一緒にいる窮屈さを考えれば、一人で手足を伸ばして眠れるのはありがたいことだ。
 自室で寛げるので、何もわざわざ外に出ていく必要もない。また、王朝が始まって既に何百年という刻を経た今、広大な宮殿には様々な怪談が付きものだ。例えば、王が政務を執る宮殿の前では三代国王の御世の政変で無実の罪を着せられ処刑された大臣の亡霊が出るとか、後宮のとある井戸では、内官と通じて不幸にも懐妊してしまった若い女官が身投げしたとか、その手の話には枚挙に暇がない。
 去勢した内官は既に男性としての身的機能を失っている。むろん、生殖機能もあるはずがない。なのに女官が懐妊するというのもおかしな話ではあるが、男根を切りとっても途中で機能が再生する場合があるという。処置が不十分であったりするときに稀に起こるが、そういう場合、女官が身籠もるという不祥事が起きる。
 国王の女と見なされる女官は生涯、未通でなければならない。生涯、顔を見たこともない王のために操を守り通すというのも不条理ではあるが、それが女官の宿命であった。であれば、当然ながら、懐妊した女官と内官は厳罰を受けることになる。王の女を穢したということで、死罪は免れない。
 とある殿舎でしばしば見かけられるという女官の亡霊もそういう不幸な女の一人である。しかも、伝説になるほど昔の話ではなく、当代の王の時代に現実にあった事件だ。懐妊した女官は両班ではなく常民出身だった。家が子だくさんで貧しく、幼い弟妹を養うために後宮に入った。
 普段は大人しく存在感すらないほどの娘で、彼女が身籠もったと知れたときには後宮中が上から下への大騒動となった。当時の監察尚宮は情に厚い人であったため、何とか事を穏便に処理しようしたが、既に時が遅かった。
 昔から悪は千里を走るという。女官懐妊の不祥事は瞬く間に後宮どころか宮殿中に知れ渡り、厳格な大妃の知るところとなった。尚宮は女官を憐れみ、今度ばかりは女官が病死したことにし、ひそかに宮殿を出られるようにと大妃に進言したが、それは叶わなかった。彼女は身重の身で拷問を受けた挙げ句、死んだ。
 が、腹の子の父である内官の名は最後まで言わなかった。生命賭けで愛する男を庇ったのだ。その生命賭けの愛は当時の後宮の女たちの涙を誘ったという。宮殿で不祥事を起こし死んだ女官は裏門から運び出され、そのまま放置されるのが習いだが、尚宮はひそかに人に頼んで女官の亡骸を寺に運び、荼毘に付して回向をした。
 が、事件はそれだけでは終わらなかった。女官が死んで数日後、若い大殿内官が自宅で首を吊って死んだ。遺書はなかったが、その尋常でない死に方から、彼が死んだ女官の相手であったことは想像に難くない。内官は大殿で国王の側近くにも控え、将来を嘱望された前途有望な若者だった。
 彼の死を知った王は涙を流した。
―それほどに想い合っているならば、正直にに打ち明ければ、二人を一緒にしてやれたものを。
 更に、若き王はこんな述懐も洩らしたそうだ。
―二人は可哀想なことをした。さりながら、互いに生命を賭けるほど愛せる相手にめぐり逢えたのは真に幸せなことだ。羨ましいものよ。
 この呟きを聞いた老内官は胸をつかれた顔をしたという。
 二度まで妻に先立たれた若い王の身辺は淋しいものだった。後宮には三人の側室がいるが、それは形だけのもので、王が彼女たちの許に脚を向けることはない。大殿の寝所でいつも独り寝する国王の孤独を癒す女はいなかった。
 怪談というよりはむしろ美談として語り継がれている話だけれど、その反面、この世に未練と恨みを残して死んでいった女官の心根を思えば、化けて出ても不思議はないと思える。三年前の話ではあるが、その女官を手厚く葬った尚宮もこの事件後ほどなく、思うところがあったのか、職を辞している。
 既に老いているからというのが辞職の理由であったため、王も無理には引き止めず、尚宮は今は養子の許で悠々自適の余生を過ごしていた。