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ゆきの谷

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 とにかく人の多さに驚いた。(こんなにたくさんの人を見るのは、満州に渡るために第一五連隊が集結したとき以来だ)…などと考えながら、源は恐る恐る上野の大きな駅舎をあとにし、田所が働く八百屋のある「アメ屋横丁」を目指した。
 アメ横の狭い商店街に足を踏み入れ、ごった返す買い物客にもまれながらしばらく歩くと、ねじった手ぬぐいを頭に巻き、大根と白菜を両手に持つ大男が目についた。源は思わず顔をほころばせながら、少し離れたところからしばらく彼の仕事っぷりを見つめていた。
 元々田所はあまり饒舌ではなかったはずだが、価格をめぐる買い物客との打々発止のやり取りは堂に入っていた。源が感心しながら近づくと田所もそれと気づいた。
「よお、源じゃないか! よく来たな」
 田所はいつの間にか、「吉澤」をやめて「源」と呼ぶようになっていた。予告なしで訪れたはずなのに、あまり驚いたようすを見せなかったことをやや不審に思いつつ、源は店に歩み寄った。
「お久しぶりですね、八百屋さんもしっかり板についてますよ」
「おいおい、からかうなよ。それに今さら敬語なんてやめろや」
「…?」
「同じ、元・下士官どうしで曹長も兵長もないだろ、戦争もとっくに終わったことだし」
「…??」
 源は、似た台詞をどこかで聞いたような気がして、訝しげに小首を捻った。
「…おっと、もうこんな時間か。裏で支度して来るから、ここで待っててくれ」
「…???」
 横浜の山元興信所に行くことなど、まだ田所には告げていない。それどころか、田所と山元が面識があろうはずもなく、行き交う買い物客に小突かれながら待つ源は、ひたすら首をかしげた。
「お持たせ」
「田所さんは、オレがどこに行くか知っているんですか?」
 チェック柄の洒落たジャケットを着込んで現れた田所に、源は不審な表情で尋ねた。
「山元さんのところだろ。…あれ、聞いてないのか? オレも招待されているんだ。オレが以前に源のところへ行ったことを手紙に書いたら『おそらく当日は、源が迎えに行くだろう』と返事に書いてあった。そして、そのとおりにオマエが現れたというわけだ」
「何で田所さんが、山元さんのことを?」
 沖縄の駐屯地で再会したときも、水上で梓織や父の話をしたときも、「衣久さんの弟」つまり山元のことは詳しく告げていないはずである。源は状況が理解できず困惑した。
「二年ほど前に突然手紙をもらってな、『調べていることがあるから協力してくれないか』って。何度かのやりとりの過程で、それが吉澤家と関係のあることだとわかり、越智のことを知りたかったオレは、進んで文通をするようになったんだ。源や兄さんのこともそうだったが、オレは梓織さんのその後についてが、どうにも気がかりでならなかったからな」
「それじゃあ、まだ面識はないんですか」
「いや、三ヶ月ほど前に一度お会いした。横濱の事務所を訪ねたんだ」
 源は、自分だけ放置されていたような、妙な疎外感に陥った。(山奥に引っ込んでいると、世間に疎くなるものだ。都会では思いも寄らぬところで出合いや交流があるんだな…)などと恨めしい感想を抱き、わずかに気持ちを傾けた。
「明日は特に予定もないだろう? 横濱から戻ったら今夜はウチへ泊まっていけよ」
 遠ざかる店を背に、田所は嬉しそうに後ろ、つまり店鋪兼住まいを指差した。(おそらく五年前に吉澤家に宿泊したお礼のつもりなのだろう)、源はそう考え笑顔でうなづいた。
 気づくと二人は上野駅とは反対の方向へ歩いていた。
「田所さん、駅は反対じゃないですか?」
「いや、ウチは上野より隣の御徒町の方が近いんだ。ほら、駅はもうそこだよ」
 源は驚いた(駅と駅の間がこんなに近いとは)。
 一駅区間の距離といえば、水上周辺のそれしか知らなかったからだ。ちなみに源の知る一駅区間とは、水上─上牧間が五・四キロ、水上─湯檜曾間でも三・六キロ、土合─土樽間にいたっては一○・八キロである。それに比べ、この上野─御徒町間はたったの…○・六キロだった。
 二人は御徒町から京浜東北線に乗り、横浜を目指した。
 電気で動く快適な車輌もそうだったが、車窓から見る東京の景色は目を見張るものがあった。もはや戦争の傷痕はほとんど見当たらず、目に入るものは大きな建物と派手な看板、無数の群集ばかりだったからである。
 多摩川を渡り川崎を過ぎると、自身が生まれる前に家族が住んでいたという鶴見に停車した。源は窓越しにはじめて見る鶴見の町を愛おしむように、大きな深呼吸をした。
 二人は車内で過ごす一時間ほどを、銀爾や山元の近況を語り合うなどして過ごし、関内駅で下車した。改札を出ると港とは反対側へ降り立ち、大きな通りを歩き出した。大股の田所は、しっかりと道順を覚えているらしく源の数歩先を迷うことなく歩いた。…肩で風を切るが如く…。

●横浜の興信所

 裏道に入ると、車窓からは見えなかった空襲の痕跡が、まだいくらか点在していた。
 横浜は大きな港を持ち、工場が集中する大都市だったため、格好の攻撃目標となり徹底的に叩かれた。昭和一七年四月一八日の、空母から発艦したB─25数機による日本初空襲を皮切りに、昭和一九年後半期からは、B─29による本格的な絨毯爆撃に何度となくさらされ、焼き尽くされた。最大規模の空襲は、昭和二◯年五月二九日のB─29五○○機、護衛戦闘機P─51一○○機によるものだった。
 午前九時過ぎからはじまり、市の中心部や工業地帯だけでなく商業地域や住宅街までもが攻撃目標とされた。投下された各種爆弾や焼夷弾は三、二○○トン以上、なんと、源が経験した福岡大空襲の二・五倍である。鶴見区、神奈川区、中区、西区、南区、保土ヶ谷区、磯子区のほぼ全域が被害を受け、一七六町で三、六五○人が犠牲となった。
 その黒焦げの柱や石材を横目でうかがっているうちに、博多で倒れた知花を思い出した。源は終戦後も、六月一九日を忘れたことはなかった。毎年その日は、「知花を死なせてしまった日」として心を閉ざすことに決めていたのだ。そしてその気持ちは、焦げた小さな布辺とともに自身の棺桶まで引きずって行こうと決心していたのである。
 田所は西洋風の石造りの建物の前で止まり、表札を改め「ここだ」と入って行った。
「二○三号室 山元興信所 所長・山元洋作」
 弁護士事務所や小さな貿易会社などが入った雑居ビルだった。中のホールとロビーは薄暗く、気がつくと田所は中央の階段をせっせと登っていた。呼吸を整えた田所がドアをノックすると、ほどなくはめ込まれた磨りガラスに黒い人影が近づき、木製のドアはギーッときしみ音を立てて外側に開いた。
「やあ、よく来たな。まあ入れ」
 ビルマの山元は坊主頭だったが、源の目の前に現れた男は、七・三分けの頭髪をテカテカのポマードで固め、カイゼル鬚をたくわえていた。まるで明治期の気取った外交官を思わせる、変わり果てたその風貌に驚き、源は目を丸くした。山元は瞬時に田所と源を交互に見つめ、微笑んだ。
「元気そうだな、源。七年ぶりだ」
「や、山元さんも」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋