ゆきの谷
深い谷の雪も姿を消し、敗戦後の日本の混乱も、雪解け水が清らかな流れとなって春の山野を潤すがごとく、ようやく終息へと向かいはじめた。瓦礫と化し、あるいは焼け野原となった日本中の都市も徐々に蘇生し、しだいに活気が戻って来ていたのだ。
終戦の、あの玉音放送から六年が経ったある日、源の元へ一通の封書が届いた。差出人欄には「山元興信所」という活字が印刷されていた。
「誰からだって?」
住所は《横濱市中区長者町…》になっていた。
(《山本》ではなく《山元》と綴る苗字は薩摩独特のもので、…となると、あの人以外には思い当たる人はいないが…)と考えながら封を開けてみると、案の定、差出人は山元洋作元曹長だった。
「衣久さんの弟からだよ、以前に話した山元さんだ。横浜で興信所をはじめたらしい。指宿の義父には、新治の住所しか伝えなかったのに、宛先はなぜかちゃんとここの住所になっている…」
源のつぶやきを笑顔で聞いていた銀爾が、執筆の手を止め振り向いた。
「そういうのを調べるのが興信所の仕事じゃないか。戦前とは違って、現在ならそんなの朝メシ前だろう」
「ああ、そうか」
兄との頓珍漢な問答のあと、源は(興信所か、いかにも彼らしいな)と微笑みがら封筒の上端をちぎり、ふっと息を吹き込んでそれを膨らませた。そして便せんを取り出し、二つの折り目をゆっくり広げた。
「拝啓 吉澤源 殿
元気でがんばっていますか。
復員後、義父から貴殿が指宿に立ち寄ってくれたことを聞き、大変嬉しく思いました。
自分の父や姉について、いろいろと義父に尋ねられたそうですね。ビルマからフィリピンに移動になった自分も、あれからいろんなことを思い出し、あるいは情報を得て、源と源の父上、姉上の事情を知るに至りました。
つきましては、ぜひ一度お会いしたく、一筆したためた次第です。お互いの家族の謎をすっきりと整理し、わだかまりを解消する機会を持ちたいと思うのです。
時節柄、何かと大変だとは思いますが、見学や観光もかね、横濱の事務所まで足を運んでくだされば幸いです。
再会を心待ちにしています。 敬具
昭和二十六年二月五日 山元洋作」
封筒にはもう一つ、便せんを折り込んだ小さな包みが同封されていた。中には水上から横浜までの往復切符が入っていた。傍らで覗き込んでいたいた銀爾は、その切符を見ると源に言った。
「オレも週末は、例の仕事の打ち合わせで埼玉の大宮まで出かけることになっている。一緒に行こう」
「例の?」
「ほら、一昨日話したろう。ややこしい『日欧家紋大全』だ。オレはドイツの紋章と日本の家紋を担当することになったって…」
●上京、上野~鶴見~横浜(関内)
──出発の朝は、五年前に田所を駅まで送った日と同じように、気持ちがいいほど空気は澄み晴れ渡っていた。また、この年は例年になく雪が少なかった。おかげで源の雪かき作業もいつもの半分ほどに激減し、駅まで続く山道にも残雪はほとんど見当たらなかった。
「常にこうだと助かるな、松葉杖も滑らんし」
朝陽を浴びてきらめく銀爾の顔を見やり、源はいたずらっぽく冷や水を浴びせた。
「天気予報によると、来週はまた大雪らしいよ」
「! 本当か!? かなわんなぁ…」
源は二八歳、銀爾は三四歳になろうとしていた。まだ若い二人にとって、やはり活気のある人里は胸のときめきを誘う甘い空気に満ちている。
銀爾は時折、仕事の打ち合わせで駅前まで出かけることはあったが、不自由な身体を気遣って顧客や編集者の側が出向いてくれることが多く、外出は久しぶりだった。まして列車旅行のたぐいは、一家で東京から逃げるように引越して来た時以来だったため心を弾ませていた。
片や源はといえば、列車に乗るのは沖縄から奄美、九州、日本海、新潟を経て帰還したときの小千谷─水上間以来で、その間に駅に向かったのも田所の送迎時のみだった。しかし、およそ五年ぶりの外出だというのに、源はなぜか憂鬱だった。
列車に乗るのがいやだったわけではなく、山元にどんな顔で対面すればいいか、思い悩んでいたのである。父と衣久さんの関係を知り、哀しい運命をたどった山元の実姉のことを思うと、とてもビルマの頃のような、和やかな関係が維持できるとは思えなかったのだ。
「山元さんはオレにどんな用があるんだろう。オレには特にないのになぁ」
「やはり、自分が知り得ない衣久さんと父さんのことについて、オマエから話を聞きたいんじゃないのか」
優れない源の横顔をちらっと見やり、銀爾がおもしろ味のない応えを返すと、源は人差し指を拳銃に見立ててゆっくりと顳かみに当て、おどけた。
「オレ、山元さんに殺されたりして。『姉の仇』とか…」
「バカを言うな。…ところで、せっかく東京経由で横浜へ行くのなら、帰りに田所さんにも会って来るといいよ。彼の店は上野だろう、上野は上越線の始発駅なんだから乗り換えついでじゃないか。アメ横なんて駅のすぐそばらしいし…」
銀爾からヒントを得た源の脳裏に、名案が浮かんだ。
「ああ、そうだ! 行きに田所さんに会って誘い出し、横濱へもつきあってもうおう」
「………」
銀爾は、一人で山元と会うのがそんなにイヤなのかと呆れ返り、小さく首を振って渋面をつくった。
やがて道が大きく右へ曲がり、「ゆきの谷」に差しかかった。二人は立ち止まることはなかったが不自然に黙り込み、まるで父がそうしていたように、谷に向かって心の中で手を合わせているようだった。
すでに残雪も消え去った谷は、源が想像した以上に深く、狭く、暗かった。そんな中に、まるで錦糸を一本垂らしたような細い流れの筋がキラキラと輝いていた。ビルマで加藤少尉を埋葬した直後に見た小川の清流は、源のかすかな記憶の中にきらめいていた(この美しさとダブっていたのかも知れない)と初めて気づいた。源は心の中の合掌を解きながら、そんな遠いビルマの記憶を回想していた。
二人が乗った列車を引っ張る先頭は、C62だった。前述のとおりすでに上越線は一部電化していたが、急勾配の山岳地帯である石打─水上間以外は、まだ憎き黒煙をまき散らす蒸気機関車が幅をきかせていたのだ。列車はうなりを上げて走り、源と銀爾はトンネルに突入する度に、交代で忙しく窓の開け閉めをくり返した。
沼田→渋川→新前橋→高崎と利根川に沿って南下し、神流川を越えて埼玉県に入った。そしてほどなく、田所が五家宝を買ったという熊谷に到着した。車窓から見える群馬、埼玉両県の町並みは、折からの朝鮮戦争特需に湧き、どこも活気に満ちているようだった。
銀爾は大宮で降車し、源はそれから赤羽を経て約三○分後、上野駅に降り立った。
──日本の首都、東京の目黒で生まれた源だったが、三歳で水上に越したためその記憶はほとんどなく、したがってこの大都会を目の当たりにするのは事実上はじめてだった。