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ゆきの谷

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「オレもやってみよう。魚が付いていそうな石を狙えばいいんだな」
 田所は竿を放り投げてはしゃぎ、次から次へと石を投げまくった。おかげで岩魚と山女魚が合わせて二○尾も捕ることができた。
「銀毛山女魚は断食の最中だから脂も少なく、あまり美味とは言えないんですが、まぁ勘弁してください」
 源がそう言うと、田所は鼻水をすすりながら首を振って笑った。
「いやぁ、ずいぶんと楽しませてもらったよ。身体も温まったしな。このご時世に魚が喰えるだけでもありがたいことだ。うん」
 上機嫌だった。

●田所の告白

 銀爾は、近所に住む闇商人から日本酒とビールを買いつけ、ちゃぶ台を整えて待っていた。捕って来たばかりの山女魚と岩魚を串に刺して囲炉裏に並べ終えると、まだ夕刻だというのに三人はビールの注がれた湯のみ茶碗を持った。
「再会を祝して…」
「兄さんとの出合いと、水上の恵みに…」
「就職おめでとう。乾杯」
 三人は思い思いの言葉を述べ、ビールの泡を飛び散らせて湯飲み茶碗をぶつけ合った。宴の幕開けである。源だけは、ビールは初めてだった。
「お子様に、ビールの味がわかるのかね」
 さっそく田所が、ふざけた口調でそう言いながら源を見た。
「ちょっと苦いが…、うん、旨い」
 囲炉裏を囲む三人は、生臭さかった川魚が香ばしい臭いに変化していく様を楽しみながら、団らんを続けた。
「そういえば、田所さんは沼田に居たことがあるんだよ」
 源は銀爾の方を向き、「言い忘れていた」とばかりに突然切り出した。それを聞いた田所が銀爾に解説した。
「ああ、金沢の実家は貧しかったんですよ。七人も兄弟姉妹がいたものだから喰いぶちを減らすために下の三人が奉公に出されました。オレは下から三番目、つまりもらわれ組みの最年長者だったから、遠縁の親戚の知り合いだった沼田の大富豪の家にあずけられたんです。下の二人は、学校もろくに行けずに九州の炭鉱夫と宮城の漁師に預けられました。随分と辛い思いをしたらしい。オレだって決して楽ではなかったですけどね…」
「沼田って群馬の、このすぐ下の沼田?」
 初耳だった銀爾が、赤ら顔を和ませて田所に質問した。
「ああ」
 素っ気なく応えたのは、田所ではなく源だった。そして銀爾を無視するように、話の続きを促した。田所は今度は源の方に向き直った。
「…オレを雇ってくれたその富豪は先祖代々の大地主だった。よく『上家』と呼ばれていた。近所に『下家』と呼ばれる分家もあったようだ。明治、大正と栄華をきわめたらしいが、オレが一六歳でその家に入った頃は没落の一途をたどっていた。『婆さんが八年前に発狂の末、自殺してからはろくなことがない』と、奥様もぼやいていた」
「発狂…、自殺…」
 銀爾は、アルコールで充血した双眼を丸くして驚いた。
「軍人だったご主人、つまり婆さんの実の一人息子が戦死されて気がふれたらしい。最期は家宝の一つだった上家伝来の日本刀で、咽をかき切ったというからオレも驚いた」
 聞いていた二人は、酒とともに息を呑んだ。時折パチパチとのどかな音をたてる囲炉裏も、田所の話に耳を傾けているようだった。ようやく口を差し挟むタイミングを見つけ、銀爾が忙しく身を乗り出した。
「思い出したよ。あなたは、月夜野の診療所の待合いで会った、タンコブの男だ」
 田所と源は驚き、銀爾を見た。
「青アザで額を腫らして、月夜野町の診療所に行ったことがあるでしょう」
 銀爾がたたみかけると、田所も思い出したとみえ手を叩いた。
「…ああ、あのとき待合の向かいでオレに声をかけてくれた人、あの人がお兄さんでしたか…。これはまた奇遇ですね」
 源は腕を組んで二人の会話を聞いていたが、奇妙なことに気づいた。
 (以前、話してくれた銀爾の推理が正しければ、タンコブの男が彼女をかばって怪我をしたはずだから…、田所は梓織を知っていることになる)。源は煙草に点火し、田所を見た。
「自分が入ったばかりの頃は、個部屋まで割り当ててくれ、とてもよくしてくれた。オレの仕事はまき割りや洗濯、庭の手入れなどだった。ほどなく、一つ年下の娘が同じように手伝いとしてやって来た。とても美しい人だった。
 未亡人の奥様と一人っ子の息子は、はじめは彼女にも優しくしていたが、半月もしないうちになぜか急に辛く当たるようになった。何か恨みをかうようなことをしたのかオレにはさっぱりわからなかったが、あれは尋常ではなかった。しまいには、二人がかりで木刀で殴りつけるようにまでなり、オレは彼女が殺されると思って何度もかばい、助けたほどだ。
 息子と奥様の形相には殺気さえみなぎっているように見えた。その鬼のように醜い顔を、今でもはっきりと覚えている」
 銀爾は黙ったまま焼き上がった山女魚の串を抜き取り、田所と源に差出した。二人は軽く会釈して受取った。そのとき銀爾はチラッと源の顔をのぞき込み、(田所の話はオレの推測どおりだ…)と言わんばかりに小さなウィンクをした。
「彼女をかばい続けるオレも二人から恨まれるようになった。ただ、オレは当時から身体が大きかったからなのか、あからさまな暴力を受けることはなかったが。いや、一度だけ謂れのない言いがかりをつけられ、奥さんから木刀で殴られたことがあったなぁ。それで月夜野の診療所に行くはめになったんだ」
 田所はおでこに手を当てながら、しきりにうなづく銀爾に視線を振り向けた。
「そういえばその頃、一人の若い私服の憲兵が上家によく出入りするようになった。当時の上家には、高級将校だったご主人の関係で訪れる軍人は珍しくはなかったが、そいつは少し変わっていた。
 長身で、いつもハンチング帽を目深にかぶり、決して目を合わせようとしない無気味な男だった。彼は上家の故人や奥様ではなく、娘に関心があるようだった。だからオレはある日、その憲兵に虐待の実情を伝え…」
 (憲兵?)源は父の事件に関わった例の憲兵のことを思い出した。(坊主頭でやせ形、上等な上着をはおっていた男…)。一瞬間後、僅かな沈黙に気づいた。話を途中で止めた田所を不審に思い、焼き魚の咀嚼を止めて源は頭を上げた。
「ああっ!」
 宙空の一点を見つめていた田所が突然大声を上げ、持っていた魚を床に落とした。
 源と銀爾は何ごとかと思い、視線を転がる山女魚から田所に移してみると、彼の顔は蒼白となり小刻みに震えていた。
「吉澤、思い出した。たった今思い出した。…その憲兵の顔を」
 源は田所のようすから、ただならぬ言葉が発せられることを予感し、眉をひそめた。
「覚えているか、佐敷の駐屯地で話しただろう。アイツをどこかで見た覚えがあると…」
「……?」
「越智だ! 上家に頻繁に現れるようになった憲兵は、あの越智少尉だったんだ」
 源も驚愕に震えた。
 「誘拐犯の逮捕のために一度だけ水上に行ったことがある」と白状した越智が、沼田の加藤邸にも来ていた。しかも一度だけでなく何度も…。
 田所と源が「越智」という名に狼狽しはじめたそのとき、銀爾が満を持して口を開いた。

●初恋の相手

「田所さん、虐待を受けた娘の名は…、梓織ですね」
 田所は再びおののき、全身を硬直させて口だけを動かした。
「なぜ、その名を…」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋