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ゆきの谷

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 当面、源は外出を避け、家と家のまわりだけの隠匿生活を送る。むろん、脱走の事実が知れて憲兵が逮捕にやって来ることを懸念した措置である。
 母が亡くなってから田んぼはすべて手放し、加藤家に返還していたため、猫の額程度の畑がわずかに残されているだけだった。その畑は家のすぐ裏手だったこともあり、源が管理・運営することになった。また、庭で飼っていたヤギと鶏も源が見ることになった。
 昔から読書好きだった知性派の銀爾は、独学でドイツ語をマスターし、源が出征した頃から翻訳の仕事をしていた。何の因果か、吉澤家はよほど陸軍と縁が深かったらしく、おもな仕事の依頼元は陸軍だった。
 現金収入は兄の銀爾が、食糧の生産・管理は弟の源が担当することとなり、いつ終わるとも知れぬ隠密生活が始まった。こうして二人が奥利根の山村で、社会から引きこもった暮らしをはじめた頃、世界は大きな歴史の節目を迎えようとしていた。

 昭和二◯年二月、米英ソの主要連合国によるヤルタ会談で、ドイツと日本の終戦へ向けた青写真が検討され、戦後処理が決定した。
 四月一二日、良くも悪くもヤルタ会談で中心的役割を果した米国フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が死去した。
 まだ源が沖縄で首里防衛戦の激闘に没頭していた五月七日、ナチス・ドイツが降伏。七月二六日、連合国軍によってポツダム宣言が発表されたが、日本はこれを拒否した。そして、昭和二◯年八月六日、人類史上初めて、核爆弾が広島に投下された。

 「Mk・1核爆弾」と呼ばれたその恐るべき大量殺人兵器は、ウラニウム二三五を主体とするガン・バレル型の弾体で、弾頭に装備された近接レーダー信管によって高度五五○メートルで炸裂するように設計されていた。破壊力は一四キロトン、全長三・二メートル、直径○・七四メートル、重量四・四トンだった。九日には長崎に「Mk・2核爆弾」が投下された。これはプルトニウム二三九を主体としたインプロージョン型の弾体だった。破壊力は一七キロトン、全長三・二五メートル、直径一・五二メートル、重量四・五トン。
 いずれも軍事目標を狙った攻撃とされたが、広島で二六万人、長崎で七万四、○○○人の日本人が一瞬にして殺戮されたのである。降伏を拒んだ代償としてはあまりにも多く、あまりにも悲惨な結末だったといえる。
 同九日、ソ連が対日宣戦。今度は満州で再び悲劇が起きた。支那北東部に君臨し、この土地と邦人を守る精鋭だったはずの関東軍はまっ先に逃げ出し、「新天地開拓」の夢に踊らされた民間人が置き去りにされたのだ。逃げ帰った軍人の多くは、シミ一つない上等な軍服をまとった「ぬくぬくと生き延びる老兵」側であり、末端将兵の多くはソ連軍に殺戮され、あるいは捕虜となって極寒のシベリア送りとなった。
 この抑留者は、およそ一、○○○人の作業大隊が五七○あったため、その総数は当初五七万人程度と考えられていたが、その後の調査の結果、約六五万人だったというのが定説となっている。この中には、ソ連軍に対峙するために現地で関東軍に徴用された民間人男子も含まれている。過酷な労働と劣悪な環境により、五~一◯万人が死亡したとされている。
 バラ色の将来を夢見て満州に入植した開拓民らは、ソ連軍の越境と関東軍の崩壊により、辛酸をなめることとなる。ヨーロッパでドイツとの過酷な死闘を戦いぬいてきたソ連兵は、常軌を逸した残酷さもってこれに当たったからだ。命からがら生き延びた者も、足手まといになる赤ん坊や幼児は、現地人を信じて託すほかなかった。こうして、満州に置き去りにされた子どもらは、のちに「中国残留孤児」と呼ばれるようになる。
 実質的な広島・長崎の防空責任者、満州の防衛責任者らは、肩書きや名称は何にせよ間違いなく存在していたはずだが、例によってそれらが責任を追求されたという情報は伝わって来ない。インパールの悲劇を推進した張本人が、その後、責任を追求されるどころか栄転を続けた過去と同様である。日本人には、自浄作用というものが、当時から決定的に欠落していたのだ。

 ──そして、ついにその日はやって来た。いつものように畑に出ていた源が、水の散布を終え汗まみれの顔と頭を洗っていると銀爾の絶叫が響いた。
「ゲーン! 大変だ、すぐに戻って来い」
 何ごとかと思い、手ぬぐいで日焼けした顔を拭いながら駆けつけると、銀爾が神妙な顔でラジオの前に正座していた。
「どうした?」
「…陛下のお声だ」
 源は途切れがちなその放送が、何を意味しているかすぐに理解し愕然とした。ビルマの密林で、田所の味方撃ち事件を目撃して以来、時間の問題だと思うようになった「敗戦」が、たった今、目の前で起きている。
 源はこのとき、不思議な哀しさを感じた。
「日本が負けた。オレの国が負けた…」
 国家を背負い、家族や国民の期待を背負って戦っていた兵士時代、「こんな国は負けてしまえ」などと悪態をついていた頃には考えもしなかった、本当の「国家の敗北」。そして、それを目の当たりにした哀しさ。源はこのとき、はじめて真の日本人に戻った気がした。
 喰い物もろくに与えられず泥まみれになって地べたを這いまわり、虫けらのように手足や頭を吹き飛ばされ、次から次へと殺されまくった若い兵卒。片や清潔な軍服を着用し旨いものをたらふく喰って、一時の感情や気まぐれで命令を下す老指揮官。はるか後方に位置し、地図を見て報告を聞いただけで、何一◯万という若い兵卒を見殺しにし、とっとと撤退してしまう老指揮官。前線ではいつも、そのやるせなさにもがいていた。
 「散っていく一生懸命の若い命と、ぬくぬくと生き延びる老兵…」源が戦争と軍隊の宿命的矛盾を表現するときに、好んで使った台詞である。
 この言葉を頻繁に口にしていた頃は、「国家の勝ち負け」などどうでもいいと思っていた。命令の遂行と自身が生き抜くことだけで精一杯だったからだ。むしろ「負け」でもいいから、とにかく早く終わってほしいとさえ考えていた。ところが経緯はどうであれ、一度戦場を離れて一人の国民に戻ってみると、国家が負けたことの悔しさや哀しさが素直に込み上げて来たのである。
 そんな気持ちと、改めて沸き起こる「国を裏切った」後悔の念を交錯させながら、源は愁然と玉音放送に聴き入った。ささやかな一人の日本人として。
「…これから日本は、どうなるのかな」
 銀爾の消え入るような不安感に満ちたつぶやきが、日本中にこだましているように源には感じた。日本海に浮かぶ小さな漁船の上で、高橋が語ったヴァンベルク中尉の見解を思い出したが、少なくとも今は、それを話す気にはなれなかった。

●田所との再会

 日本史のターニングポイントとなった、激動の昭和二◯(一九四五)年が終わった。
 陸海軍は解体され、源は後ろめたさと慚愧に彩られた隠匿生活に、晴れて終止符を打つことができた。辛い戦闘の記憶を名実ともに過去のものとしてくれる新しい年の陽光を浴び、源は久しぶりに開放的な日常を取り戻すことができた。
 一月も中旬を過ぎた頃、意外な人物から妙なハガキが届いた。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋