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ゆきの谷

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「これで、衣久さんの家族から追われることとなり、追い詰められた親父は、やむにやまれず加藤弥太郎さんに相談、弥太郎さんの手引きで横浜から逃げるようにここ水上に転居した…」
 源は煙草の煙をゆっくり吐き出し、黙り込んだ。銀爾はいら立ちを抑えきれずに口を開いた。
「…それで父さんは、衣久さんの家族に突き止められ、殺されたと言うのか?」
 再び煙草をくわえて吸い込みながら、源は目を閉じ二、三度小さくうなづいた。衝撃的な源の仮説に銀爾はうなり、鉛筆を置いてメモを見ながら腕を組んだ。
「梓織の実の母親、つまり衣久さんが死んだというのは本当なのか? しかも自殺で」
 源は短くなった煙草を揉み消しながら、推理の根拠となった背景事情を語り出した。ビルマで偶然山元と巡り会ったこと、山元の人と成り、沖縄脱出のあと九州に渡り山元の故郷「指宿」に立ち寄った際、義父に会って衣久の話を直接聞いたこと…、など。銀爾は時折もの凄いスピードで鉛筆を走らせながら、神妙な表情で聞き入った。
「…すると、衣久さんの家族は父さんを殺すことが目的だった。言い換えれば、父さんが衣久さんにした仕打ちへの復讐?」
 源は即座に首を振った。
「いや、オレは違うと思う。目的はあくまでも姉さんを取り戻すことだったのではないかと。親父は姉さんの引き渡しを拒んだために殺されたのではないかと思うんだ。でも結局、最後は連れ戻されたのだろうが…」
 銀爾は源の言葉に機敏に反応し、頭を上げた。
「ちょっと待て、梓織は連れ戻されてなんかいないぞ」
「えっ? だって姉さんは忽然と姿を消したじゃないか、オレが一◯歳のときだ」
 銀爾は改まって鉛筆を置き、背筋を伸ばして源を正視した。
「いや、すまん。実は違うんだ。母さんの配慮でオマエには知らせなかったが、人相の悪い憲兵が梓織を探して家にまで来るようになったので新治にあずけたんだ。オマエは特に梓織を慕っていたから、『貧乏だから口減らしのために里子に出した』ということにしたんだよ」
「! それじゃ姉さんは生きてるの」
「……それは、わからん」
「わからんって、なぜ?」
 銀爾は回想するように、畳み掛ける源から視線を宙空へゆっくり移動させた。
「オレは梓織が新治へ出されたのちに、実は一度だけ会っている。その翌年のことだ。新治の爺さんから男爵のタネイモを持って来てくれと頼まれ、母さんが風邪をこじらせて寝込んでいたものだから、仕方なく松葉杖で左脚を引きずりながら出かけて行った。そのとき梓織は脚の悪いオレを気遣い、途中まで受取りに来てくれたんだ。
 オレは梓織を見て驚いた。まるで別人のようにやつれ、顔色も悪く無口になっていた。多分、何かの病気だったんだと思う。そしてその二年後、つまりこの家を出てから三年後、今度は本当に消えてしまった…」
 喰い入るように銀爾を見つめていた源は、力なく沈み込んだ。
「やっぱり死んだのか? 病気で…」
「それが本当にわからんのだ。しかし『梓織ちゃんも気の毒になぁ、若いのに…』という爺さんの知り合いの言葉を聞いた」
 源は肩を落とし、頭を垂れて黙り込んだ。時を刻む柱時計の音が妙に大きく聞こえ一◯数秒が経過した。
「それで、探さなかったのか」
「探したさ、オレはな。しかし母さんと新治の爺さんはなぜか探そうとしなかった。オレはそれが不思議でならなかった。…そういえばその頃、豆腐屋の真庭の婆さんから妙な話を聞いた。オマエも良く知っている真庭ヨネさんだ」
「…ああ、ガキの頃母さんと豆腐を買いに行くたびによく遊んでもらった、あの左利きのヨネ婆さんか? いつも蝿叩きを持っていたなぁ」
 源が左腕を振り回して蝿を叩く素振りをすると、銀爾もおどけて同じように左腕を上下させた。
「そうだ、左利きで話し好きのヨネ婆さんだ」
 なおも笑いながら左手振る源を制しながら、銀爾は笑顔のまま続けた。
「寝込んでいた母さんに代わり、豆腐もオレが買いに行った。…で、『ほう、銀爾か。久しぶりじゃのう…』から始まり、例によって長話になった。話ついでに母が風邪で寝込んだこと告げると、妙なことを言い出した。『それなら、オマエの妹が働いている診療所に連れて行きゃいいだろう…』と」
 源は驚き瞬時に頭を上げた。しかし銀爾は源の反応を予想していたらしく、なだめるように両手で冷静を促した。
「オレも、あの元気のなかった梓織に再び会って、今度こそちゃんと話ができるのかと驚き、ヨネさんを問い質した。
『梓織は本当に診療所で働いているのですか? 坂を下った湯原の…』
『いいやぁ、新治の診療所だよ。そりゃ湯原の方がここからは全然近いけど、あたしゃあそこのヤブ医者が嫌いで、何か患うとわざわざ新治まで通っているんだよ…』
 その後も続いた婆さんの世間話を強引に断ち切って豆腐を持ち帰ると、オレはすぐさま新治に向かった。すでに夜になり診療所は閉まっていたが、裏口から出て来た事務員とおぼしき婦人に尋ねた。
『こちらに梓織という女性が働いていますか?』
 すると婦人はにべもなく即答した。『いいえ』…」
 真剣な表情で聞いていた源はガクっと頭を垂れ、吐き捨てるように言った。
「蝿叩き婆さんのでまかせか!」
「でまかせではないと思うが…、まぁ歳も歳だったから、たまたま梓織に似た人を見て勘違いしたのだろう」
 銀爾は再びなだめるように微笑みを浮かべながらそう言うと、話を戻して続けた。
「ちょうどその頃だ。出征前にオマエにも話したが、爺さんがウチへ立ち寄った際の母さんとの密談の中で、『約束だから仕方ない』という言葉を聞いたのは…」
 二人は向き合ったまま腕を組み、同時にゆっくりと天井を見上げた。
「いったい、誰と誰の、何の約束だったのか…。親父と衣久さんの『約束』と何か関係があったのか…」
 つぶやくような源の言葉を合図に、再び二人は仏壇の両親を見た。ほどなく銀爾は立ち上がり、台所に向かった。源も用便に立った。
「源、衣久さんの家族からの情報はないのか、実の弟の山元さんとも語り合い、義父ともお会いしたんだろう」
 便所から戻って来た源がまだ座らぬうちに、銀爾が台所から大声で質問した。
「はっきりしたことはわからんよ。義父も指宿を代表する名家の名誉に関わるから…と、山元の生家の苗字さえ教えてくれなかった。ただし、まったく違うところから、ヒントを得ることはできたけどね」
 銀爾は一升瓶と、漬け物の皿を持って部屋に戻った。
「ペリリュー戦後に助けられた潜水艦の中で聞いた話だ。『有名な陸軍少将が、行方不明の信州出のヨシザワを探していた』と…。艦長が、お偉いさんの付き人をしていた頃、ある会議の席で耳にしたらしい。そして、過去にパリ駐在陸軍武官をしていた石狩という人物が浮上した。ところが、山元の義父宅で見たカバンのイニシャルは『I』ではなかった」
 銀爾の瞳が一瞬光った。
「イニシャルは『H』ではなかったか?」
 湯飲みに注がれた酒を呑もうとした源は驚き、手を止めた。
「何でわかったんだ?」
「オマエ、その『イシカリ』という名は誰から聞いた? おそらくフランス人かスペイン人、またはパリかマドリッドに住んでいた人物ではなかったか」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋