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ゆきの谷

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「新たに真犯人が逮捕されたらしいんです。通報者が自分と別人とを取り違えていたとか…。しかし出所の際には謝罪の一つもなく、『そもそも素行に問題があるから赤なんぞに間違わられるんだ』などと、捨て台詞まで浴びせられましたよ」
 男は源を見据えたまま、口元を少し緩めただけで無表情を維持していた。
「逮捕前のご職業は?」
 男は、改札口に向かって顎をしゃくった。
「国鉄職員でした。しかし、逮捕と同時に懲戒解雇されましたが…」
 正直言って源には無縁の興味のない話だったのでピンと来なかったが、噂どおりの憲兵の横暴さだけは理解できた。越智の尖った鼻先を思い浮かべつつ…。
「そういえば水上でも、ゾルゲ事件の一○年ほど前に、大きな赤狩りがあったそうじゃないですか。担当した特高の捜査官が自慢げに話してました。…ご存じないですか」
「??? 自分はその頃、まだ子どもだったので…」
 源は笑うしかなかった。恥ずかしながら「ぞるげ事件」なるものも、水上で起きたというその「大規模な赤狩り」とやらも、何のことかさっぱりわからなかったのだ。会話が途絶え再び駅舎に静寂が戻ってほどなく、長岡方面から汽車の近づく音がした。
「では、これで。くれぐれもお風邪を召しませんように、それから脚をお大事に。失礼します…」
 風呂敷袋を抱えて立ち上がった男は、温もりの感じられない作り笑いを浮かべて会釈した。座ったままだったが、源も背筋を伸ばして軽く頭を下げた。中年男は背中を丸めて改札を通過し、黒煙を振りまいて滑り込んで来た夜汽車に吸い込まれて行った。
 汽車から降りて来る者はなく、改札係の無愛想な駅員は、源を一瞥しただけで改札口を閉鎖し、駅務員室に戻って行った。
 (暑くも寒くもない夜だ…)。満州のチチハルでは血の凍る思いをし、ビルマとペリリューでは骨が溶ける思いをして来た源は、日本の気候のありがたさに感謝しながらゆっくりと身体を倒し、水上への長い長い旅路の最後の床についた…。



【終戦】

●静かなる凱旋

「源、起きなさーい。…突撃ー!! …吉澤、久しぶりだなぁ。…おい大丈夫か、しっかりしろ! …うるせーぞ! おはようございまーす!」
 源は目に痛みを感じ、覚醒した。(今回は、オールスター勢ぞろいだったなぁ)。ゆっくりと身体を起こしながら、夢の出演者を数え上げた。
「最初が姉、次が加藤少尉、その次が田所、そして山元、それから越智少尉。…最後の『おはようございまーす』の女性は誰だ? 顔も見えなかった…、思い出せん」
 源にとっての重要人物の中で、関川と知花、それに高橋が欠けていたことが腑に落ちなかったが、我に返り気づくと全身汗まみれだった。目の痛みの原因は、どうやら流れ込んだ汗のようだった。
 (お・ぢ・や…。ああ、自分は小千谷駅で夜を明かしたんだった)。眠りは浅く、しかも熟睡時間は極端に短かったようで、蓄積した疲労が軽減することはなかった。
「やっぱり、あの人の言う通り、湯沢の宿に泊まればよかったなぁ…。ああー、眠い」
 源はポケットを探り、残り一本になった煙草を取り出して火を着けた。吐き出した白い煙の向こうに、近づいて来る黒い煙が見えた。
 駅舎内の時計に目をやると…、(あれ?)まだ五時一◯分だった。戦時用時刻表にもこんな時間帯の列車はなかった。ホームに滑り込んで来たのは、自身が乗る予定の客車ではなく貨物列車だった。しかし、いつ空襲があってもおかしくない時世なのでこれが最後となり、乗る予定の旅客列車はもう来ないかも知れない。そう考えた源は、もし停車してくれたらこの貨物列車にしがみついて水上を目指そうと決心した。
 汽車は減速しはじめた(しめた!)。駅員は出て来る気配がなかったため、そっと改札を飛び越え、源は貨車連結部分の手すりのあるすき間によじ登り、身を隠した。待つこと三分、いよいよC62蒸気機関車は、白い蒸気を黒い炭煙に変えて動き出した。源は思わず声を上げた。
「バンザーイ」
 戦地での突撃の際も上げなかった「バンザイ」が、自身の口から自然に飛び出したことに意外な気がした。そして考えた。(そうかオレは今、心底国鉄に、つまり国家に感謝し、ありがたいと思ったのだ…)。同時に源は気づいた。突撃のときに「天皇陛下バンザイ」「大日本帝国バンザイ」と絶叫して死んで行った兵隊たちは、もしかすると本当に天皇を敬い、国家にありがた味を感じ、最期に感謝の意を表したものなのではなかったのかと…。
 前述のとおり、自身は「体力の無駄」と決めつけ、感謝の絶叫を避けて来たことに何となく申し訳なさを感じた。それから、国を想って死んで行った戦友を残し、敵前逃亡と窃盗を重ねてまで生還した自身には、間違いなく天罰が下るだろうと考えるようになっていた。しかしそんな湿っぽい灰色の想念は、黒煙がすぐに吹き飛ばしてしまった。
 言うまでもなく蒸気機関車は、走行中にたくさんの煙を排出する。トンネルに入るとそれ自体が大きな煙突と化すため、煙は車輌とトンネル壁面のわずかなすき間を通って、高密度・高濃度のまま後方へと流れる。だから旅客列車の場合だと当時の乗客は、特に山間部の走行中はトンネルへ入る合図の汽笛を聞きもらさないように注意した。急いで窓を閉めるためだ。誰か一人が閉め忘れただけで、たちまち車内は黒煙で満たされることになるからである。
 源は「車内」のない貨車で身体を露出させている。そして目的地である水上の手前には、全長九、七○○メートルの清水トンネルが待ち構えている。ペリリュー島で陣地の名に拝借した「谷川岳」の直下を通る大トンネルである。それと気づいた源が、対策に頭を切り替えたゆえんである。源は熟慮の末、上着を脱ぎ、小千谷駅で補給した水筒の水でそれを湿らし、鼻と口を覆うことにした。
 貨物列車は魚野川に沿って南下して行った。越後川口駅で貨車の入れ替えを済ませると、その後は小出、六日町を通過し、石打に停車した。随分と長い停車だった。不審に思った源が、見つからないように縮めていた首を伸ばし前方をうかがうと、なんと蒸気機関車は切り離され、煙突のない電気機関車がそれに代わっていた。
 実は、昭和六年に清水トンネルが完成した当初から、二○パーセント前後の急勾配とトンネル内での煙害に配慮し、石打・水上間に限っては大馬力のED16形電気機関車が稼動していたのだ。
 せっかくのアイデアと装備が無駄になったことを悟り、源は肩を落としたが、パワフルなED16形が谷川岳へと続く急勾配をぐんぐん加速して行くと、心を踊らせた。ピシピシと顔に当たる虫の数も、標高が増すに連れ徐々に少なくなってきた。
 取り越し苦労だった清水トンネルへの憂慮も忘れ、ひんやりとした風を顔いっぱいに浴びながら、故郷が近づく喜びを噛みしめた。
 「国境の長いトンネルを抜けると雪國であった」という川端康成の名作「雪国」の一節は、下り列車で水上側から越後に入るルートのものだったが、今はその逆である。「自分の場合は、『トンネルを抜けると、そこは故里だった』となるのだな…」などと戯れ、頬を緩ませた。そういえば、川端康成が「雪國」を執筆した宿は、小千谷駅の中年男が泊まることを勧めてくれた「高半」…。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋