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ゆきの谷

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 今だからバラすが、結城艦長の直感と推理は比嘉とか名乗っていたオマエの相棒の大まかな素性だけだ。敵兵の階級が上等兵曹か一等か、はたまた二等かなんて、ふつうわかるわけないだろう。伊三六から届いた、ヴァンベルク中尉の供述がなければな。艦長が『…オレは上等兵曹と踏んだ、長年の勘でな』と言ったとき、オマエらは気づかなかったと思うが、事情を知るオレたちは吹き出さんばかりに笑いをこらえていたんだ」
「………」
 源は複雑な感情を交錯させた。哀し気な青い目が妙に印象的だったあのヴァンベルク中尉が助かったことの喜びと、「…やらなくてはならない最低限の戦争をやっている…不必要に人殺しをしたくない…」という信念を実行した艦長への改めての敬意、…それから、「一杯喰わされた」というちょっとした悔しさだった。
「その後、中尉はどうなったんですか」
 源が悔しさのにじむ微笑みを残したまま尋ねると、高橋も表情を変えることなく笑顔のままひょうひょうと応えた。
「うん、フィリピンの収容所へ送られる途中で自殺した」
「…えっ!」
 源は意外な結末に驚き、絶句した。
「そのヴァンベルク中尉が、収容された伊三六の艦内での尋問でこんなことをしゃべったらしい。『…日本が降伏したあと、アメリカは慎重な占領政策を実施するだろう。なぜならソ連や毛沢東中国の共産圏が、勢力拡大の意図を鮮明にさせはじめたことに脅威を感じ、日本と朝鮮を赤化(共産化)から守る決意を固めたからだ。よって天皇を断罪したり、日本人の尊厳を踏みにじるようなことは、おそらくしないはずだ』…と。
 奴が言ったことがデマカセでなかったら、日本は軍隊の解散ぐらいは迫られるだろうが、北海道や九州などの固有領土を奪われたり、一般国民が殺戮されたりはしないだろうな。
 これが『日本が負けて占領されたらどうなるか』というオマエの質問に対するオレの答えだ。今となっては、奴の供述を信じるしかないだろうな、惨めな敗戦国の民となるオレたちは…」
 源は強い衝撃を受けた。それは占領後の日本のことではなく、自分や比嘉が生への執着に腐心していた頃、軟弱と思われていた白人系の米国人が「生きて虜囚の辱め…」を拒否したのである。
 (いったいどっちが侍なんだ…)。源はこのとき、もう二度と引き返せないこのときになって、はじめて「生き恥」を悟った。─生きて虜囚の辱めを受けるな─。
「高橋さん、オレも捕虜になったとき、実は死ぬべきだったんですよね。戦陣訓のとおりに…」
 高橋は短くなった煙草を海へ弾き飛ばし、吐き捨てるように言った。
「バカを言うな、そう軽々しく死ぬ死ぬ言わんで欲しいな。前にも言ったが呂五五号はな、オマエらを降ろしたあとの三月一日に、フィリピン沖で撃沈されたんだ。オレ以外は全員戦死した、結城艦長も副長もだ。みんな死んだんだ! 
 それから博多の空襲で死んだ三人も、黒焦げになって公園に積まれた大勢の市民も、みな死にたくて死んだのか? 違うだろう。この戦争で、死にたくないのに死ななければならなかった人間は数え切れないほど居るんだ。生きる望みがある人間が、そう簡単に死を口にするもんじゃねえ」
 源は再び衝撃を受けた。(あの結城艦長が、亡くなった…)。前のめりに泣き崩れた源の背中に、なおも非情な高橋の罵声が続いた。
「泣くんじゃねえ、陸軍狙撃兵! オマエだって敵兵を何人も殺して来たはずだ。中国人や朝鮮人、アメリカ人、イギリス人、インド人…。みんな望んで死んだわけじゃないだろう、可哀相な戦争の犠牲者なんだ。…そして泣くのは彼らと彼らの家族であり、少なくとも殺した側のオマエではないはずだ。みんな悲しい想いをしている。でも、それが戦争なんだ!」
 そう言い切ると、高橋も呼吸を荒げ湿った鼻をすすった。
 相変わらず遠くで鳴く海鳥の声が妙に哀愁を帯びて聞こえた。それはまるで、敵味方の区別なくすべての戦争犠牲者を慰める鎮魂歌のように、源には聞こえた。
「死んだ者は、課せられた責務を全うした者。生きている者は、これから責務を果す者。オレは前向きにそう考えるようにしている。
 オレもオマエも、失うものはもう何もないはずだ。堂々と胸を張って凱旋しようぜ、夢にまで見たお互いの故郷にな。果たせなかった多くの人々の分まで、思いっきり胸を張って…な」
 結局源は、高橋が自身に言い聞かせるように宣言した一言に、心が救われたような気がした。加藤少尉もあずさも、大田少将も少年兵たちも、源がこれまでに見て来た多くの戦友たちも、沖縄の哀れな民間人も、…そして知花も、みな「人間として、日本人として生まれて以来、課せられた責務を全うしたのだ」と…。

●小千谷駅での一夜

 能登沖から九時間後の六月二三日午後二時、新潟県柏崎沖に到着した。高橋は「足が着く」のを警戒し、港を避けて荒れた岩場の沖合いに船を止めた。
「ありがとうございました。高橋二等兵曹」
「おいおい、何だよ。いきなり階級で呼ぶなよ、変だぞ」
「変ですか?」
 高橋は笑顔を収めながら、神妙な小声で言った。
「絶対に生きて帰れよ…。これは、知花が果たせなかった三つ目の、最後の『王様命令』なんだろう。…またいつか逢おう」
 源は晴れやかな引き締まった顔で、呂五五号の艦内と小禄の海軍壕で覚えた海軍式敬礼をした。高橋は、博多で知り合った二人の陸軍二等兵から教わったのであろう陸軍式敬礼で応えた。
 背を向けた源に、高橋は「汽車賃だ」と、いくばくかの現金を差出した。源は会釈して丁重に受取り、山分けした食糧と水筒を背負い、青黒い日本海の懐へ飛び込んだ。ほどなく後ろで発動機のうなりが聞こえたが、振り向くことはせず前だけを見つめて必死に泳いだ。潮水のせいか涙のせいか、目は充血し見据える柏崎の海岸はぼんやりとにじんでいた。
 二○○メートルほどを泳ぎ切り、無事、念願だった本州への上陸を果した。しばしその場に仰向けになり、胸を大きく上下させながら慣れない遠泳のせいで上がった息を整えた。夢にまで見た本州の土と岩の感触を確かめながら…。
「だ、大丈夫ですか?」
 突然の若い女性の声に仰天し、源は跳び起きた。
「漁船から突き落とされるのを見ました。船が行ってしまったので、やむなく泳いだのでしょう。船主と喧嘩でもしたのですか?」
 源は、女性の奇抜な推理と無邪気な思い込みに呆れると同時に感心し、硬直した姿勢を維持した。よもやこの乙女が、船尾の「博多 玄界丸」という文字を確認し、不審に思って最寄りの警察に通報するとは思わなかったが、高橋が怪しまれないための保険の意味で、源は娘の突飛な発想に悪乗りすることにした。
「操船の研修中でしたが、自分があまりにもふがいない失態を繰り返したものですから、『オマエなんぞ船に乗る資格なし!』と船長にどやされ、恥ずかしくなって自ら海に飛び込んだのです」
 女性は遠ざかる漁船と源の顔を交互に見ながら小首をかしげ、眉間にシワを寄せた。
「でもあなたはまだ若そうだし、研修といってもせいぜい一週間かそこらだったんでしょ、厳しすぎるわ」
「いえ、お嬢さん、もう三年になります」
「……」
「ときにお尋ねしますが、柏崎の駅はどちらですか?」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋