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ゆきの谷

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 闇夜の町を徘徊するのが九州上陸以来の日課となっているようだった。源はもぞもぞと動き、たった今ようやく目覚めた振りをし、わざとらしく尋ねた。
「…知花いったい、何を造ってるんだ?」
「人力車です。オレは乗る係、吉澤さんが引っ張る係」
「………」

●都市空襲の悲劇

 いつの間にか、あたりはもう真っ暗だった。宴の後始末をはじめた源の目に、おんぼろ荷車と格闘する知花の後ろ姿が止まった。源はしばし手を休めてそれをながめた。
「…小禄ではじめて会ったときは、ずいぶん太っていたのに、オマエも苦労したなぁ」
 源の言葉は、作業の音に遮られて届かなかったと見え、知花は小声で鼻歌を唄いながら作業を続けていた。
 飢えた五人の食欲は、はるかに想像を越えていたと見え、かごの中身はもうわずかしか残っていなかった。
「もう食糧は少ししか残っとらんなぁ…」
 今度は聞こえた。
「ああ、そうでしょう。昼食後も酒の肴に食べましたからね」
「このかごは、婆さんに返さんでいいかなぁ」
 源は自身の底意地の悪さにぞっとした。一刻も早く小倉へ発ちたいと思っているであろう知花に、かごの返却を求めたのだ。おそらく老婆は、かごごとくれたつもりでいるだろうに…。
 知花の手が止まった。
「……。何でしょう、あの音?」
 それは腹に響く「ゴー」という低音だった。源はその音が次第に近づいて来ることに気づき、叫んだ。
「空襲だ! 知花、来い」
 そうは言ったものの、周囲に隠れるような壕や孔はなく、源は立ちすくんだ。市街地で迎えるはじめての空襲だったのだ。
 今朝到着したばかりの地理に不案内な町だったこともあり、どっちへ逃げればいいのか、かいもく見当がつかなかった。その間も大量の爆音は近づき、あっという間に二人の直上まで到達した。そして次の瞬間、頭上で真っ赤な火の玉が幾つも炸裂した。目がくらむほどのまぶしい爆発が、周囲を昼間のように明るく照らした。二人はとりあえず、全速力で東に走り出した。
 つい先ほどまで閑散としていた周囲は、たちまち逃げまどう人々でごった返した。爆発で飛び散った火の粉が、次々と降りかかって来る中、源は振り返ることもせずに走り続けた。左脚をやや引きずる源はさほど速くは走れなかったが、小太りの知花はそれよりもっと遅かった。
 近くで爆弾の一つが炸裂するようすを見、息を切らしながら後ろを走る知花に叫んだ。
「知花、火の粉は払っても無駄だ。服に着いたら急いで脱ぎ捨てろ!」

 昭和二○年六月一九日~二○日未明、米陸軍航空隊B─29戦略爆撃機二二一機による、福岡大空襲である。
 投下された焼夷弾は全部で一、三五八トン。「AN─M47A弾頭瞬発信管付焼夷弾」と、M69焼夷弾三八発を束ねた「集束焼夷弾E46」の二種類だった。
 E46は、投下されると地上高八○~一五○メートルで破裂し、三八発のM69が四方にバラまかれる仕組みになっていた。
 M69は、生ゴムを混入した濃縮ガソリンをベースに、ナフタリン化アルミニウム(ナパーム)と、白燐で包まれたTNT火薬を組み合わせて造られた高性能焼夷弾である。
 重量は七○ポンド(三二キロ)だが、燃えやすい木造家屋が集中する日本の都市などに対しては、五○○ポンド(二二七キロ)高性能爆弾より一○倍以上の燃焼効果があったといわれる。
 上空で破裂しバラバラになったM69は、着弾とともに炸裂し、発火したゼリー状のナフタリン化アルミニウムを飛散させる。その燃焼温度は摂氏三、○○○度にも達し、ドロドロした半液体の火の玉が一たび付着すると、少々の水をかけた程度では消火できない。ましてや、叩いたり転がったぐらいで消せる代物ではないのだ。源が「火の粉は払っても無駄だ」と叫んだゆえんである。
 空襲は、当初源たちが居た市の東側と西側に行われ、火の手に追われた群集がおのずと集まる中心部が、最後に襲われた。
 米軍の周到な計画とE46集束焼夷弾の威力は凄まじく、福岡市の中心部はあっという間に火焔地獄と化した。東平尾に配備されていた高射第四師団博多区隊が、敵機を撃墜せんと激しく高射砲を打ち上げたが、高高度を飛行するB─29の編隊は少しも乱れることなく悠然と飛行を続けた。
「川に向かうぞ、知花!」
 あたりは逃げまどう人々でごった返していた。一心不乱に走り続けた源は、何とか百年橋までたどり着き、橋脚の脇の川面に飛び込んだ。上着も下着も途中で脱ぎ捨て、このときにはすでに上半身裸になっていた。気がつくと、B─29の爆音はすでに遠ざかりつつあった。
「知花?」
 周囲に知花の姿が見えないことに気づき、源は必至になって四方を廻らせたが、橋の周辺には見あたらず、ずぶ濡れのまま来た道を引き返して行った。しかし五○メートルも行かないうちに、歩行は困難となった。肌が焦げる感触をこらえつつ進もうにも、幾重にも重なる炎の壁に阻まれ、呆然と立ち尽くすしかなかったのだ。
「知花ー、知花ーっ」
 福岡市主要部は一夜にして焦土と化し、死者九○二人、行方不明二四四人、負傷者一、○七八人を数えた。

 翌朝、明るくなると同時に源は歩き始めた。まだ炎と煙りはあちこちに充満していたが、焼け崩れた建物の残骸や横たわる死体に被われた道路をかろうじて探り、幾度も迂回をくり返しながら、昨晩走り抜けた道順を知花を探しながら戻った。
 灰となったガラクタ置き場を発見し、その向かいの木陰を見ると、まるで抜け殻のような高橋が呆然としゃがみ込んでいた。その膝の先には、真っ黒く炭化した大きな塊が二つ、横たわっていた。源はそれが何か、すぐに理解できた。
「………」
 放心状態の高橋は、二つの塊を見つめながら弱々しく口を開いた。
「ここで落ち合うことになっていた。爆撃が下火になって、オレがここへ戻ったときはまだ誰も居なかった。いくら待っても二人は戻らなかった。そして煙草を投げ捨て、吸い殻の転がる先をよく見ると、はじめからここにあったこの二体に、そのときはじめて気づいた。とっくに戻っていたんだ二人は…」
 高橋の顎先に集まった汗と涙の水滴は、膝に置いた手の甲に、一つ、二つと滴り落ちた。
「知花を見かけなかったですか?」
「…一緒じゃなかったのか?」
 源は高橋を見据えたまま、悲し気に首を横に振った。高橋の視線がゆっくりと移動した。その視線の先には、黒焦げになった荷車があった。まだ白い煙りを放つその荷車には自分が乗るはずだったのか、知花が乗る予定だったのか…。
 源と高橋はその後も捜索したが知花は見つからず、最後には、近くの公園に設けられたばかりの死体置き場に行き着いた。二人は次々と運び込まれる焼死体に目を凝らしたが、その多くがかろうじて人体らしき形状の痕跡を残すのみで、身体的特徴や衣服の色柄が識別できる状態ではなかった。
 源は夕方までその場を離れず、必至になって知花を探したが結局確認できなかった。やがて夜になり、高橋に促されてようやくその場をあとにした。
「知花はもうあきらめた方がいいな。…それで、オマエこれからどうするんだ?」
 自身も二人の仲間を失った高橋の声は、力なく落ち込んでいた。うつむいて歩いていた源は返事をせず、代わりに大きな溜め息を一つもらした。
「ん…?」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋