ゆきの谷
お互いの肩をつかみ合い、無事の再会を喜んだ。しばし歓喜を交換し合うと、呆然と佇む一人と二人に気づきそれぞれに紹介した。
「知花、この方もオレの命の恩人の一人だ。助けてくれた潜水艦の乗組員で…」
「高橋二等兵曹です」
会釈か敬礼か知花が迷っていると、高橋は軽く知花の肩を叩いて微笑み、反転して二人の陸軍兵の方を向いた。
「こいつは陸軍第一五連隊の吉澤じょ…」
「兵長です」
陸軍の二人はいずれも若い二等兵だった。高橋は率先して和やかな雰囲気づくりに努め、巾着袋をめぐる遺恨を洗い流した。
三人は、源と知花の昼食の場に一緒に座った。知花は残っていた食糧を半分ほど取り出し、高橋は雑のうから酒を差し出した。空腹の極致に達していた三人は源と知花に一礼すると、目を丸くして干物や野菜にかぶりついた。源はその迫力に圧倒されながら、みなに気づかれないよう、そっと文化包丁を後ろに隠した。
「さっきは済みませんでした、まだ痛みますか」
知花が心配そうに詫びた。
「いやいや、何のこれしき…。それよりお恥ずかしい限りです…」
足首を蹴り飛ばされた二等兵が、後頭部をかきながらばつ悪そうに笑った。それを見た高橋は、遮るように言った。
「オレたちはもう丸二日喰ってなかったんだ。もはや善悪とか『武士は喰わねど…』なんて言っていられる状態ではなかった。この二人にはオレがけしかけて泥棒をやらせたんだ。…オマエらにもみじめなことをさせて、済まなかったな」
高橋は、口一杯にほうばったまま、仲間の二人に詫びた。源はその光景を見て感慨深げに腕を組んだ。そして、糸満で階級章を捨てたときに想起した、父親の口癖『二兎を追うな』を思い出していた。
つまり、『一つの目標を定めたら、それを遂行するために不必要な邪念や無駄を一切排除し集中、貫徹せよ』という元狙撃手らしい、わかりやすい教えである。
(高橋のように泥棒の一つもやってやるぐらいじゃないと、この先、生き残れないかも知れない。この時代は正義感やきれいごとだけではダメなんだろう)と…。
無言のまま話を聞いていた知花に、高橋はほろ酔いの赤ら顔を引き締めて言った。
「少年兵、これだけは言っておく。わかっていると思うが死んだらお終いだ! 生きているからこそ『正義』も語れるし、逆に泥棒だってできる。死んだら、もう何もできない」
知花は小刻みにうなづき、引きつった笑顔を高橋に向けた。
「喰い物はありがたいな。しかしオレが聞いた話では、アメリカ兵やオランダ兵は、そんなこともわからんらしい。
連合軍によって解放された、ジャワの日本軍捕虜収容所でのことだ。占領期間を生き延び、友軍に保護されたヤツらは、『収容所内では木の根っこを食べさせられた』と、日本軍の野蛮性を訴えた。そして母国の世論は『なんてひどいことを…』といきり立ったというんだ。『木の根っこ』の正体は、日本人の間では戦地で喰える数少ないご馳走として重用されていた『ゴボウ』だった…」
高橋の話を聞いていた四人は、みな黙ったままだった。源は、米・蘭兵らが「喰い物のありがたみがわからない」のではなく、ゴボウを食す習慣がなかっただけだろうと考え、彼の指摘は的外れであると即断したが、反論することを放棄した。(そんなこと、どうでもいいや)と…。
威勢よく始まった白昼の宴も、五時間ほど経つとさすがに倦怠感が漂いはじめ、源が軍服を脱ぎ捨てた事情などを話し出した頃には、すっかり静まり返ってしまった。
「…そうか、軍服を捨てて沖縄を脱出して来たのか。オレも似たようなもんだ。
吉澤たちを降ろしたあと、呂五五はミンダナオ島へ向かったのだが、目的地のわずか手前で浮上航行中に発見され、敵巡洋艦の砲撃で沈められてしまった。何とか岸まで泳ぎついたオレは、そのまま海軍陸戦隊に編入されることになった。
オレは無線機しかいじったことのない通信兵だ、陸戦なんてできるわけないし、その気もなかった。
だから隙を見て、集合場所のすぐ近くにあった軍の負傷者用テントにもぐり込んだ」
「負傷者用テント?」
陽は傾き、いつの間にか夕刻を迎えていた。
「ああ、病院船や輸送船への乗船を待つ傷病者が詰め込まれていたテントだ。そこで必要書類を盗み、負傷兵を装ってうまく逃げ帰ったってところだ…。オレが乗った輸送船は佐世保に入った」
高橋は箸を持つ右手を西に向けて振り上げ、落陽を差してそう言った。二人の二等兵も、無言のままうなづいた。すでに三人はかなり酔っていた。それでも酒瓶は三人の雑のうから次々と出てきた。(きっとこれも、どこかで盗んできたのだろう)と源は思った。
酒をまったく呑んでいない知花が、用便に立ったついでに源の耳もとにささやいた。
「小倉へはいつ出発するんですか? もしかして今夜はここで明かすのですか?」
三人に劣らず酔っていた源は、知花に向かってニッと笑顔をつくり、一言で決済した。
「正解!」
知花は露骨にがっかりした表情で不満を訴え、薬院新川の方に消えた。戻ってくると、四人はすでに寝ていた。
博多から小倉までは七○キロ程度なので、徒歩で一日半~二日の道のりだった。知花の心はすでに小倉へ向かっていた。(このまま発ってしまおうか)とも考えたが、源の寝顔を見ているうちにやめることにした。なぜなら、源への「王様命令」があと一回分、残っていたからである。知花は未成年だから酒を呑まなかったわけではなかった。遺伝的にアルコールを受けつけない体質だったのだ。
「酒が呑めて酔っ払える人はいいなぁ」
四人の寝顔を見て、知花はそう思った。そして、あたりにまだ明るさが残っていることに気づき、例のガラクタ置き場に目をやった。
心地いい眠りについていた源は「カン、カン、カン」というけたたましい金属音で目が覚めた。見ると、知花が壊れた荷車を修理していた。
「…何してる? それどうしたんだ」
やはり騒音で起こされた高橋が、上体を起こしながら知花に問いかけた。源は頭を上げてそのようすを見ていた。
「騒々しかったですか、すみません。ゴミ捨て場で見つけたんですよ。まだ使えそうだったので、修理しているところです」
「…いったい、それで何を運ぶんだ?」
「先ほどお話したとおり、自分たちはこれから小倉へ向かいます。途中で吉澤さんが疲れてしまったときに、これに乗せて自分が引っ張るんです。そうすれば休憩しなくて済むので、その分早く着けますから」
高橋は反応せずに、二人の二等兵を起こし、わずかな街灯の明かりを求めて顔の角度を変えながら懐中時計をのぞき込んだ。
「一一時か…」
気づかれないように黙っていた源は、知花のいじらしさに感銘を受けると同時に、少々むっとした。それは、気が遠くなるほど先にある源の目的地と違い、知花のそれはすぐ目と鼻の先にある。だから(それほど急ぐこともなかろうに)という、妬みのこもったささやかないら立ちだった。
「オレたち三人は、明日の食糧と情報収集のために出かけて来る。朝までにはここに戻って来るから、吉澤が起きたら伝えておいてくれ」
高橋は知花にそう言い残すと、素早く二人の二等兵に進路を指示し、三者はバラバラに散らばって行った。