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ゆきの谷

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「…実は自分の姉も、自分が幼い頃に消息不明になっているんです。山元さんにそのことを告白しましたら、『境遇が似ている』と親近感を持っていただき、お姉さんのいきさつを語ってくれました」
「そうでしたか、あなたもお姉さんを…」
 感慨深そうにうなづいた老人は再び咳払いをし、言葉を選びながら語りだした。
「あれは衣久が二◯歳のときだった。最期は、それはみじめなもんじゃったと聞いている」
 源は、はじめて聞いた山元の姉の名を心の中で反復した。(衣久さん…)
「何でも横浜で恋に落ち、そして男に無惨な形で裏切られた。それが原因で、最後は錯乱し自害したとか…」
 老人の口から飛び出した意外な言葉に、源は身を乗り出した。
 (横浜? 山元が言っていた「東京方面」というのは、横浜だったのか…)瞳をぎらつかせ、すぐに聞き返した。
「横浜のどこですか?」
 突然の源の形相と気迫に驚き、老人は呆然としたがすぐに目を閉じて考え込んだ。
「確か、イソゴとかいう町だったと思う。東京砲兵工廠小石川小銃製造所の下請けとして新設された、民間銃器工場の初代監査官として、洋作の実父賢清が赴任したんじゃ。そして…」
 (! い、磯子)源は衝撃を受けた。そして全身を硬直させた。
 山元の実父と自分の父が、同じ職場で働いていたことになる。(こんな偶然があるのか…)膝の上のこぶしを震わせ、まばたきすることも忘れ、源は充血した双眼を老人に向けた。
「むろん横浜行きは、ここ指宿にある代々から継承する屋敷と家族を残したままの単身赴任だった。病弱だった彼の妻に代わり、娘の衣久が季節の衣替えや身のまわりの世話をするために、定期的に横浜へ通うようになったのじゃ。
 若かった彼女は、かねてから都会にあこがれておった。本当は東京か大阪を希望していたようだったが、あるとき『せめて鹿児島か博多に出たい』と両親に相談があったらしい。しかし賢清は、『都会は空襲の危険が大きいから』とこれを一蹴した。だから衣久にとっては、横浜行きは「都会」に出る千載一遇のチャンスだったのだろう。
 ほどなく、当地の女学校へ入ることになった。今度は事情が事情だけに、賢清も反対しにくかったのだろうな。こうして父娘の横浜暮らしがはじまった」
 源は、山元がビルマの防空壕で「イソゴ? どこかで聞いたことがある」と言っていたことを思い出し、息を飲んだ。
「ほどなく衣久には恋人ができたようじゃった。相手が誰だったかは知らんが、どうも問題があったらしく、賢清と妻が『ともえ』がどうのこうのと、しきりに困惑していたようすを記憶しておる。思うに、相手が既婚者でその妻の名が『ともえ』だったのか、それとも衣久は『ともえ』という女と二股をかけられておったのか…。賢清夫婦がともに亡くなってしまった今となっては、知るすべもないが…」
 源の鼓動は速度と激しさを増した。
 (──まさか、…衣久さんの相手が自分の父親?)
 動揺する源に気づき、知花は半身を折り曲げて源の顔を横からのぞき込んだが、源にはまったく気づくようすはなかった。
 老人はまるで静寂を嫌うように、三たび大きな咳払いをした。その嗄れた声は、高い天井と広い室内に響きわたった。我に返った源は、越智の口から飛び出した「誘拐犯」をヒントに推理した一説を思い出し、老人の表情をうかがいながら遠慮がちに尋ねた。
「衣久さんにはすでに子どもが居たとか、相手との子を授かったことはなかったのですか、その子の名が『ともえ』…」
「それはわからん、ワシは聞いておらんなぁ。しかし、考えられる。錯乱し自害するほどのショックを受けたのだから、自分の子を取られたか、あるいは赤子の中絶を強要されたか…」
「!」
 (もし、衣久さんの相手が父だったとしたら越智の自白と合致する。父はその赤ん坊を誘拐し、加藤弥太郎氏に相談したのち水上に逃げた。父は誘拐をカムフラージュするために、子に『梓織』と名付け、兄や自分と同じように家族の一員として育てた。しかし結局探し当てられて、誘拐逃亡犯として射殺された。あのまじめで寡黙な父が…、とても考えられないが…)。
 源は頭を抱え、うなだれた。
 メイミョーへ移動するトラックの上で、山元の顔に何となく懐かしさのような感情を抱いたことも、思い違いではなかったことに源は気づいた。なぜなら、推理が正しければ山元は『姉の叔父』にあたることになるのだから、彼の横顔から姉の印象を感じ取っても決して不思議なことではない。
「はっ!」
 考えられない、いや、考えたくない憶測がもう一つ、脳裏をよぎった。(そうなると、自害した衣久の家族、つまり山元の実父が自分の父を殺した、いや、殺させたことになってしまう…)
「吉澤さん、どうかしました?」
 となりで源のようすを心配していた知花が、たまりかねて丸まった源の背中に手をかざした。しかし次の瞬間、ピンと伸びた背中にその左手ははね除けられた。
「賢清さんの、つまり洋作さんの元の苗字は何というのですか?」
 山元老人は、沈黙したまま源をにらみ、眉間のシワを深めた。
「もし、キミが知らんのなら、それはワシの口からは言えん。ワシは死ぬ間際の賢清と約束したのだ。
『命ある限り、指宿の名誉でもある賢清の由緒正しき家系をけがすことなきよう、全力を尽くす』とな。
 …ともに不幸な姉を持つ同士として、洋作と心を通わせたというあなただから、賢清が最も心を痛めた衣久の話だけはさせてもらったが…」
 源は老人の決意に圧倒され、それ以上の追究を断念した。いや、むしろそれが「石狩」であって欲しくないという本心、言い換えれば、自身の父の仇が山元曹長の家族であって欲しくないという、切なる願望だったのかも知れない。いずれにしても、数々の御仏が見守る本殿の奥座敷で繰り広げられた、重苦しい会談は終了し、三人は本殿をあとにした。

●山川港から博多へ

 前を歩く老人は、振り向くこともせずに述べた。
「吉澤さん、あなたは単なる洋作の戦友ではないようですな。もしかすると出身地は横浜ですか?」
 源はぶっきらぼうに言い放った。
「いいえ、東京です」
 あえて漠然とそう応えた。この山元老人が衣久の相手、つまり父のことをどこまで知っているのか源には推測できなかったが、あの洞察力と勘の鋭さからして、すでに自分のことを「関係者」と疑っている可能性が高いと思えたからである。もし素性を明かし、ごていねいに「群馬の水上育ちです」などと口にすれば、父の逃避先だった「水上」を知っていることも大いに考えられ、さっそく得意の天眼通で看破されるに違いないと考えたのである。
 三人は無言のまま歩き、境内には玉砂利を踏みつける音だけが重なるように響いた。
「これから、どうなさるのじゃ?」
「自分は東京へ帰ります。この男は小倉なので、しばらく一緒に北へ向かいます」
「それは長旅じゃのう。もう昼時だ、腹ごしらえして行くといい」
 老人はそう言うと、本殿脇の知花が最初にのぞき込んだ建物へ二人を案内した。奥の八畳ほどの部屋は、山元老人や修行僧らの居住の間だったらしく、生活臭の漂う日常品が整然と並べられていた。
 用意された座卓の前に腰を降ろして配膳を待つ間、二人はキョロキョロと室内を見まわした。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋