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ゆきの谷

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 「ゼロ・ファイター」、「ジーク」(いずれも米英兵からの呼称)の名は、神秘的な魅力を持った傑作戦闘機として、戦時中だけでなく戦後も永く敬愛され語り継がれていった。

「…悲しいな、イクサは。人を変えちまう」
「???」
「……、オレは兵隊をやめたつもりだった。三年かそこら兵隊をやっただけだったが、それでもオレの背中は、オレが殺した人たちの無念の思いを背負い込んでいるんだろうな。見る人が見ればわかるんだよ。人を殺した者の燃え残ったどす黒い殺気のような気配が…」
 知花は、源が住職の言葉の重さに押され、めげていることに気づいた。
「吉澤さんは一人の人間として、日本男子として与えられた使命を全うしただけですよ。こんな時代なんだからしょうがないじゃないですか」
「でもあいつらは、これから死にに行くんだぞ」
 知花には、飛び去る零戦を指差して力説する源の気持ちが痛いほどよく理解できた。本音を封印して国のために死にに行く者たちが南下する中、自らの意思で軍紀をかなぐり捨て逆に北上しているこの行為を「背信」と考え苦しんでいることを…。
「知花、オマエの父上の故郷、沖縄は今頃どうなったかな」
 爽やかなはずの潮風は、遠ざかる軽快な零戦群のエンジン音とは裏腹に、二人にとっては湿った息苦しい向い風となっていた。

●山元の義父

 もし自分が特攻機の操縦桿をにぎっていたら、敵艦に体当たりする最期の瞬間、いったい何を思い何を口にするだろう。
 源は重たい脚を引きずりながら考えた。「天皇陛下ばんざい!」か、それとも家族の名か…。自分はこのようにダメ人間だから(少なくとも前者ではないのだろう)などと自己嫌悪にも似た感慨を抱いた。
 ビルマで感じた軍紀崩壊の予兆、「散っていく一生懸命の若い生命と、ぬくぬくと生き延びる老兵…」。源は、実際の年齢はともかく、もはや自身がその老兵側に属していることを悟った。そして雲輪寺の老僧には、つかの間の自分の言動から、それを見透かされていたのではないかと感じていた。
 源の傍らで忙しく略図と周囲の町並みを見比べていた知花が、突然前方を指差した。
「ああ、あれですね。目標のお寺は」
 顔を上げると、目の前に樹木に囲まれた大きな古寺の瓦屋根が垣間見えた。源は山元の気さくな笑顔を思い浮かべながら、自身の運命にも関わるような不思議な緊張感を覚えながら、山門をくぐった。
「…林願寺」
 五色石が敷きつめられた美しい境内を進み、本殿脇の建物に到着すると、知花は中をのぞき込んだ。
「こんにちはー、どなたかいらっしゃいますか?」
「何か…」
 背後からの声に驚き振り返ると、七◯歳前後の鮮やかな仏装に身を包んだ老人が立っていた。
「山元住職でいらっしゃいますか?」
 老人は真っ白なまゆ毛をピクリと動かし、源を凝視した。
「通りすがりの土地の者ではなさそうじゃな、…さぁ、どうぞ」
 そう言うと老人は二人の間を真直ぐに進み、建物を素通りして本殿に向かった。
 二人は案内されるままに靴を脱ぎ、薄暗い部屋の奥へ通された。そこは弥勒菩薩や観音像などに囲まれた大きな座敷で、老人はゆっくりと腰を降ろした。二人も促され、会釈をして座った。
「あなた方はお役人や憲兵でもなさそうだ。ということは、洋作の戦友か元部下といったところですかな。そちらの方は、左脚を負傷されておるようじゃのう」
「! ……」
 源は、あの山元を育てた義父らしい、鋭い指摘に驚いた。老人は先頭を歩いていたので、源の脚の動きはほとんど見ていない。それに何よりも、自分ではふつうに歩いているつもりでいたのだ。
「あなたが刻む玉砂利のリズムは、わずかながら左をかばっているようでしたから。…して、戦地で洋作に何か?」
「いえ、ここを案内していただいた雲輪寺の住職にも同じ質問をされましたが、自分はビルマを離れた一年前から山元洋作曹長とは部隊が別になり、お会いしていません。おそらくお元気だと確信しております」
 源がきっぱり言い切ると、真一文字に閉ざされていた老人の口元が、少し弛んだように見えた。
「自分は、吉澤源といいます。階級は兵長でしたが、もう兵隊をやめました。これは元部下の知花です。
 ビルマでは山元曹長に大変お世話になり、『本土に戻ったら、日本一美しい指宿にぜひ立ち寄ってくれ』と勧めていただき、おじゃました次第です」
 源は左大腿部をいたわるようにゆっくりとさすりながら続けた。
「曹長には、脚をやられて運ばれた小規模の野戦病院ではじめてお目にかかり、親しくしていいだきました。すぐにそこも空襲で追われて移動することとなり、以降、一週間ほど行動をともにさせていただいたのです。
 移動と言いましても、豪雨と敵機の機銃弾が降り注ぐ中、途中からはトラックを降ろされて徒歩によるジャングル行軍になりましたから、往生しました。自分は脚の激痛に堪えられずに何度もあきらめかけましたが、その都度曹長がそばで励ましてくれ、ときに担ぎ、ときにおぶって連れて帰ってくれたのです。まさに命の恩人です」
 老人は目を閉じ、黙って源の話を聞いていた。
「それから、政治のことや戦争のことについても色々とご教授いただき、大変ためになりました。曹長が口を開く度に興味深い話が次から次へと飛び出すので、お会いするのがいつも楽しみでした」
 楽しそうな源の弾む声に、老人もわずかに微笑んだ。
「そうでしたか…。それで洋作は、家族や生家の話もしましたか?」
「はい。……あっ…」
 源は(しまった)と思った。山元が語った、複雑で哀しい幼少時代のことを老人に思い出させてしまうことに気兼ねしたからである。
「ははは…、吉澤さんはやさしいお方だ。何もワシなんぞに気を遣わんで、けっこうですよ」
 すべてお見通しである。温かい執り成しに、源も肩の力を緩めた。
「もっと知りたいのです、恩人のことを。山元さんの話を聞かせていただけませんか…」
 老人は微動だにせずしばらく真一文字に口を閉ざしていたが、純粋かつ率直な源の言葉に心を動かされたのか、一つ咳払いをして口を開いた。
「そうですか。アレから聞いたことと重複するかも知れんが、ではお話ししましょう。
 一四歳でうちに養子入りした頃のあの子は、手のつけられない悪ガキでした。学校も休みがちで勉強もせず、近所の不良と悪さばっかりしとったんじゃ。しかし血は争えん。あの子の実の父親は、陸士(陸軍士官学校)、陸大出の秀才だったから、いつかはきっと勉学に目覚めるときが来るのだろうと思っておりました。
 案の定いつの間に勉強したのか、ワシが気づいたときは、同じくエリートだったあの子の二人の兄と対等に討論できるほどになっておったのですよ。まったく驚いた」
 源はさり気なく、自身が知りたかった核心に踏み込んだ。
「…お姉さんが、若くして亡くなられているんですよね」
 一瞬、老人の表情が変化した。
「驚いたな。洋作はあなたに、姉の衣久についても話されたのですか」
 老人は躊躇する風情で腕を組み、再び源を凝視した。それはまるで、山元と源の関係を推し測っているようでもあった。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋