ゆきの谷
それは、記憶のかなたにあった懐かしい姉、梓織の声だった。あれからどれぐらい経ったのだろう。源は悶々とした白っぽいまどろみの中をさまよっていた。それは、最後に見た探照灯の強烈な光りの残像のような、どこまでも白く殺風景な世界だった。
幾重にも響く、天使のような姉の声を追ってもがいていると、その声は遠ざかりしだいに「ダダダダッ…」という音が大きくなってきた。ふっと気づき双眼を見開くと、深緑色をした布製の低い天上が目の前に見えた。耳に飛び込んできた音は、テントを打つ豪雨のそれだった。
「夢か…」
そこは連隊の小さな野戦病院だった。軍医の話だと、ほぼ二日間ほど眠っていたらしい。わけがわからず上半身を持ち上げたそのとき、左脚に激痛が走った。このときはじめて、源は自分が負傷したことに気づいた。
「左大腿部の貫通銃創および軽度の肺炎」というのが源の診断結果だった。すでに戦闘不可の烙印を押され後送の段取りが決められていた。混乱をきわめる脳中を必死に整理すると、徐々に記憶がよみがえり、最後に見たまぶしい光を思い出した。さっそく、近くに居た白髪の軍医らしき人物に尋ねた。
「あのう…、一戸小隊長代理や田所軍曹はどうしましたか?」
「そんなん、わからん!」
そっけない関西弁の二つ返事に閉口し、源は激痛に堪えながら、起こしていた上半身を再びゆっくりと沈めた。
「…そうか、これで帰れるかも知れない。死なずにすんだのだ。姉の夢は帰国のときを知らせる正夢だったのか…」
所属部隊にがんじがらめにされていた源にとってあたりまえだった忠誠心が、たった今、テントを叩くこの雨音のごとく快音をたてて解き放たれたことに気づいた。
「名誉の負傷…か」
ともに闘った仲間に対する「申し訳なさ」と、「国への勤めは果たした」という満足感と、「とにかく帰れる」という安堵の思いが複雑に交錯したが、とにもかくにも源の慢性的な緊張感は確実にやわらいでいった。
二日後、即刻の出発が決まり、物資を輸送してきた荷車に乗せてもらえることになった。相変らず雨は降り続き、テントを張っただけの粗末な野戦病院の周辺も水浸しだった。
やっとの思いで輜重部隊のところまで行くと、すでに負傷兵を満載したボロボロの荷車が一○数台待機していた。そばにいた輜重兵に軍医からの書類を手渡すと、「これに乗れ」と案内してくれた。
その荷車にはすでに五人が横たわっており、源はかろうじて空いていた隅に腰掛けた。しばらくすると、隊長とおぼしき軍曹が号令をかけいよいよ後方への移動がはじまった。
幾つも山を越え谷を下るその道程は、お世辞にも快適とはいえなかった。ときに降ろされて後押しさせられることもあり、脚をやられている源は難儀したが、とりあえず今生きていることの喜びと日本へ帰れる幸運のため、苦痛に顔をゆがめながらも久しぶりに心をときめかせていた。
しかしほどなく、桃色に彩られていたその心は、真っ青に凍りつくことになる…。気がつくと、荷車が進む道の両端は力尽きた日本兵の亡きがらで充満し、見おろした谷底は流れがせき止められるほどの死体で埋まっていたからである。四方から響く力ないうめき声と、八方から漂う吐き気をもよおす死臭と腐臭が源の耳と鼻をおそった。
「乗せてくれ…」
「連れてってくれ…」
わずかに息のあるものは、最期の力を振り絞って懇願したが、輜重兵たちは目もくれずに黙ったまま荷車を進めた。もとより荷台に空きはないが、もし一人を乗せればほかの動ける者たちが殺到するだろう。また、「乗せてやれ」などと言えば、「ではオマエが降りて場所をあけろ」と返されるに違いない。源もただ黙然と見送るしかなかった。
これはまぎれもなく、加藤小隊長が田所軍曹に射殺されたときに感じた「イヤな予感」の正体の一つだった。いや、むしろそれを超越した、日本軍の崩壊を確実に裏づける残酷な「現実」の光景だった。目をむき、息をのむ源に追い打ちをかけるように、荷車を引っぱる軍属同士の、ひょうひょうと会話する声が聞こえた。
「ガダルカナルの戦いを知っているかね、大本営はいい加減な発表をしたらしいが、あそこじゃ数万人が飢えやマラリアで死んだらしい。あれに比べリゃまだここはましだよ…」
公式発表のみを信じ、必勝の信念のみを糧に耐えてきた源は強い衝撃を受けた。ガダルカナルでは、「敵機動部隊および敵陸上兵力に大損害を与え、おおむね作戦を完遂したため他方へ転進…」ということになっていたからだ。これまでにも源の心にくすぶっていた「この大戦争」への疑惑と不審が、このときはっきりと形作られたような気がした。
(ビルマのこの戦いは、「勝利のための最後の苦しみ」などではなく、敗北へと加速する苦痛の連鎖の始まりだったということか…)。
うなだれて黙思する源を乗せた荷車は、カタコトときしみ音をたてながら、雨に打たれるまま道端に横たわる死傷者をかき分けるように、霧と死臭にけむる森を東に向かった。
●ある女性の悲劇
数日後、荷車隊はようやく師団司令部のあるインダンジーに着いた。途中で息絶えた者は放棄され、空いたスペースに道端の負傷者が収容されることもあったが、到着したときにはおよそ三分の二に減少していた。
源はようやく屋根のある建物に収容された。師団の施設とはいえ野戦には変りなく、決して医療施設とは呼びがたい、粗末なつくりだった。しかし、ここではじめて、治療らしきささやかな医療行為をほどこしてもらうことができた。何よりも、質と量はともかく、定期的な食事にありつけたのが嬉しかった。おかげで一週間もすると徐々に体力は回復し、肺炎も克服することができた。
ある日、一人の将校が源を探してやってきた。
「吉澤源上等兵だな、転属だ」
「……」
脚に大穴が開いてまともに歩けない人間に、転属の通達があったらしい。源は眉をひそめて不機嫌そうに小さくうなづいた。転属はともかく、一兵卒とはいえ階級を間違えられたのが気にいらなかったのである。この将校はよほど慌てていたのだろうと思いつつも腹立たしさを抑えきれず、源は心の中で口汚く罵声を吐いた。
(壁にかけてある軍服の襟章をよく見ろ! オレ様は一等兵だ、文句あるか…)。
むろん、将校には聞こえるはずもなく、そそくさと出ていく背中を見送っていると、入れちがいに白い服をまとった看護婦とおぼしき若い女性が一人、入って来るのが見えた。源の目は彼女に釘づけになった。源が一◯歳のときに生き別れた、姉の梓織に酷似していたからである。患者仲間の噂では、彼女は一時期「第一五軍司令部のあったメイミョー(現・ピンウールィン)の、日本人が経営する小料理屋で働いていたらしい。国は長野か岐阜のようで、志願か現地徴集かは不明だが、数週間前から見かけるようになった。おもに衛生兵の助手や、洗濯、掃除を手伝っていた…」ということだった。
源は二一歳だったが、出生日が三日違いの姉は、丸四つ年上であった。その看護婦も、歳の頃は姉と同じぐらいに見え、親しみ以上の不思議な感情を覚えた。
内地の医者や本物の看護婦が着る、いわゆる「白衣」ではなかったが、戦場では決して見ることのない白い服装は新鮮で、源にはまぶし過ぎるほどの存在感を与えた。