小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ゆきの谷

INDEX|55ページ/91ページ|

次のページ前のページ
 

 満州で関東軍の銃剣に倒れた支那人しかり、ビルマの山中でわずかな収穫を根こそぎ奪われた現地山岳民族しかり、日米の勝手な殺し合のせいで生活の場を破壊されたパラオ諸島の住民しかり、フィリピン人しかり。…フランスの対独敗北によって日本軍に搾取されたベトナム人しかり、ラオスしかり、カンボジア人しかり。対英聖戦の名の下に蹂躙されたマレーシア人しかり、シンガポール人しかり、インド人しかり。対蘭戦の巻き添えになったインドネシア人しかり。対豪戦で犠牲となったパプアニューギニア人しかり、アボリジニー(オーストラリア先住民)しかり、マオリ(ニュージーランド先住民)しかり。そして日本兵にさせられた、朝鮮(韓国)人しかり、台湾人しかり、沖縄人…しかり。戦禍に倒れた沖縄人しかり。…自決を強要された沖縄人しかり。愛する家族を殺すことさえ押し付けられた…、沖縄人しかり。…沖縄人、……しかり。
 白人支配から救われるはずだった彼らが実際にはどうなったか…、源はもどかしさを超越し、憤怒の念さえたぎらせ、噛みしめる顎の力を強めた。
 古来琉球は、文化的には日本よりむしろ中国に近い、立派な独立国家だった。南方海洋民族を祖に持つ外向的で陽気なウチナンチューは、漁を糧とし、その操船技術を活かして早くから大陸や台湾などと交流を深め、繁栄をきわめていた。
 種子島に鉄砲とキリストが伝わって日本中が騒いでいた頃、すでに琉球はポルトガルとも外交関係にあった。「レキオ(ス)」という同国語の立派な独立国家名も有していたのだ。しかし、その栄華が色褪せるのは、江戸時代後期に薩摩の進出を受けてからだった。
 以降、沖縄は日本の一部となり、馴染み難い日本文化を取り入れて行くこととなった。沖縄特産の琉球イモは「薩摩イモ」と名を変え、主食の穀物田畑はサトウキビとパイナップル畑に切り替えられた。日本で唯一の亜熱帯気候に属する沖縄は、この頃から主食を本土に頼り、日本人のために亜熱帯性の特産品を供給する脇役的な生き方を強いられたのである。近代化を急ぐ日本の犠牲者とも言える…沖縄人しかり。

 源は、このような沖縄独特の歴史的背景に思いを巡らせ、まわりで死出の旅支度を急ぐ彼らを、涙越しに見守るしかなかった。
「よし、行くぞ!」
 外が見渡せる壕出口付近まで進み、源は敵のようすをうかがった。砲撃が一時休止し、二○人余りの斥候が偵察に来ていた。その距離はおよそ一五○メートル。
「しめた、今だ」
 斥候が出ている限り、味方撃ちを恐れて戦車も重砲も撃っては来ない。後方で待機する機銃兵と二○人程度の歩兵のみを引き付ければいいのだから、脱出成功の目はあると源は欣喜した。
 押し殺した静かなる号令を聞いた第一班の一五人は、壕の外へ飛び出すと時計と反対回りに右に展開した。
 意表を突かれた米兵は慌てて地に伏せ、激しく小銃を乱射してきた。源は低姿勢を維持して走りながら、横目で敵兵一人づつの装備と配置を確認していた。源の号令と同時に一五人は停止し、伏せ撃ちで応戦した。
 源は無線機を持つ兵と敵陣に近い兵から、一人また一人と仕留めていった。また、下がろうとする敵兵の脚を狙い撃ち、生かしてその場に留める戦法を採った。これらは後方連絡と支援砲撃要請の阻止、そして敵兵を生かしたまま留めることで一斉射撃を躊躇させる措置だった。
 源の合図と同時に、知花の第二班が飛び出した。第一班の一五人は敵の注意をそらすため同時に射撃を開始した。二班全員の脱出が無事に終了すると、打ち合わせどおりに弾薬補給のための約二○秒後、今度は手登根の第三班が飛び出した。再び激しく射撃し、三班の全員が南に消えると源は左翼への移動を指示し、ジリジリと時計回りに戻りはじめた。最後尾の源が、元いた壕の前に差しかかったあたりで、敵の戦車数輛が進出して来た。
 (まずいな)。こちらを小銃装備の歩兵のみと判断し、M4シャーマン中戦車が、容赦なく七五ミリ砲と機銃を撃ちながら前進して来たのだ。
「銃を捨てて全力で走れ! 姿勢を低く保ち、絶対に頭を上げるなよ」
 戦車を中心とする米軍の攻撃は衰えることなく続いたが、悲願が通じたのか奇蹟が起きた。自身の第一班から二名の犠牲者を出したが、わずか五分の迅速な行動が功を奏し、結局源の作戦は概ね成功。間一髪、地獄の小禄を脱出することができたのだ。
 源たちが脱出した八日後の六月一三日、大田司令官以下海軍沖縄根拠地隊主脳は自決し、小禄半島の砲声はようやく終息する。
 敵の追撃を振り切るように、一行は昼夜敢行の南下行軍を続けた。その道程は、源が上陸直後に比嘉らとともにたどった北上コースを、ちょうど逆行する形となった。源は比嘉の最期など知る由もなく、逆さに残っているであろう彼と自身の足跡を探し求めるように、ひたすら赤黒い地面を見つめながら歩いた。
 ビルマで後送集団を無事メイミョーまで引率した宮原少尉を想い、部下への気配りも忘れなかった。不眠不休の行軍が結実し、一行は無事糸満に到着した。首里方面から撤退して来た第六二師団や独立混成第四四旅団のわずかな生き残り、鉄血勤皇隊の残兵、小禄から別ルートで逃れて来た海軍兵などと合流することができたのである。
 源は部下たちに町中を捜索させ、食糧を集めさせた。久しぶりに腹を満たし、仮眠を済ませると再び全員を召集した。
「みんな、よくがんばってくれた。これにて部隊を解散する!」
 源の突然の宣言に驚き、全員が目を見開いた。
「兵長、あなたを信じて着いて来たおかげで、生き延びることができたんです。ここまで来て、今さら自分らを見捨てないでください」
 脱出前に壕内で「投降」を提案したあの老兵が、哀し気に源に迫った。
「何を言うか! 自分はこの集団の最上級者として、大田司令官からあずかった部下の生命を守るという責任と、陸軍軍人として国民を守るという責務を全うしただけだ。そして独立混成第四四旅団というわが家に、今まさに復帰しようとしている。だからみなも沖縄県民として、現地民間人に復帰してほしいと願う。それが受け入れられんと言うのかーっ」
 歌舞伎役者の口述を真似た源の大げさな田舎芝居に、みな大爆笑した。そのしわくちゃな顔をながめながら、源は込み上げてくる嗚咽を必死にこらえた。
 命の恩人である陸軍兵長を取り囲む現地召集兵たちの集団は、源のあっけない解散宣言にしばらく戸惑っていたが、それでも徐々に拘束を解かれる喜びに気づきはじめ、和やかな表情を取り戻していった。笑いを誘った源の突飛な演出も、国家や軍からのマインド・コントロールを解き放つ助けとなったのだ。
「解散ということは、これからは自己の判断で行動してもらうということだ。…半ば無理やり徴用されたあげく、四方八方敵だらけのこんな状態で解き放たれても困るだろう。軍の無責任ぶりに憤りもあるだろうが、勘弁してくれ。この中には糸満出身者も何人かおられると聞いた。これからはその者たちに、行き場のない者の世話を託したい。しかし敵の主力はなおも南下し、ここへもすぐに来ると思われる。どの道これからは、さらに南に逃げるか機を見て投降するしかないだろうな…」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋