ゆきの谷
心を見透かされたような、「陸軍の一個大隊などあてにしていない」と言わんばかりの素っ気ない少将の態度には少々面喰らったが、「民間人も護れ」というこれまでの司令官とは明らかに異なる姿勢に驚き感動した源は、これほどの人なら陸軍の空手形など百も承知済みなのだろうと納得した。
だが実は、源らが到着する直前に、防衛軍司令部と海軍沖縄方面根拠地隊司令部の間に重大なトラブルが発生していたのだった。
かねてから海軍部隊は、六月二日をもって南部に移動する予定だったが、その撤退計画をめぐって防衛軍司令部と見解の一致をみなかったのだ。
調整や連絡もうまくいかず、海軍部隊はなぜか五月二六日には砲台や固定銃座などを破壊し、早々に南部へ撤退してしまう。それと知った防衛軍司令部は驚き、慌てて小禄への復帰を命じた。
打々発止の議論の末、結局、海軍部隊二、○○○人は再び危険を侵して北上、命からがら復帰したのである。その経緯から、少将が陸軍へ相当な不満と不審を抱いていたことは想像に難くなく、源の申告を軽く受け流したゆえんであると推測できた。
しかし、一たび復帰した少将は自身と陸軍との関係は胸の奥にしまい込み、「いかに戦うか、いかに住民を護るか」に専念した。
沖縄を本土の一部とみなし、全力を傾注した海軍の立場を象徴しているかのような大田実海軍少将が、決別文に「沖縄県民に対する後世の配慮」を託したことは、小禄の海軍壕跡に現在も残る有名な実話である。源がそれと知るのは戦後のことだが、初対面のこのときすでに少将に真の侍の姿を見い出していた。
その頃、米第六海兵師団主力は、那覇の大半をあっけなく制圧し、奥武山付近に迫っていた。小禄からは目と鼻の先である。
その知らせを聞いた源は、「父の謎」を追究できなくなるのは心残りだが、今度ばかりは死を覚悟した。なぜなら、ようやく自身の命を投げ出す価値のある、立派な指揮官の下で存分に戦うことができるからである。それが「星の階級章(陸軍)」ではなく「桜の階級章(海軍)」を装備した将官であることの皮肉に、わずかながら戸惑いつつ…。
●小禄の激戦
その日、源は朝から機嫌がよかった。
北部方面の偵察を済ませると、少年兵五人に加え新たに部下になった一○人の現地召集兵を集め、例によって天皇のためや親のためではなく、自分のための闘い方を教授した。それは言うまでもなく、「どんなに辱めを受けても生き続ける、過酷な闘いの心構え」だった。
「いいか、自分が撃たれたとする。幸いにも急所をはずれたようだが動けない、そして敵が迫って来る。このとき、舌を噛み切ったり手榴弾で自爆するのは簡単だ。フィリピンでもサイパンでも多くの日本兵が選択した道だ。だが、オレの部下であるオマエらには、そこで簡単に死んではならぬと厳命する。わずかでも望みがあれば、死ななくてすむ方策を実践しろ。ほんのわずかの望みでもだ!
そしてもし、生還の可能性が完全に断たれても、無駄に死んではならぬ。手榴弾をにぎりしめたまま、痛みや苦しみにじっと耐えて敵兵が近づくまで待つんだ。そして一人でも多くの敵兵を巻き添えにして自爆する決意と覚悟を持ってほしい。一人で死んだら無駄死にだが、敵を道連れにできれば勲章ものだ。更に、死ぬ機会を失い捕虜となっても絶対に自害してはならぬ。敵の医薬品で治療を受け、収容所に送られたらたらふく喰って敵の物資を少しでも消費せよ。そしてすきあらば脱走しろ! そしてまた闘うんだ。
何を隠そうオレは一度、『虜囚の恥ずかしめ』を受けている。だがこうして今、生きているからまた闘えるんだ。ペリリューで米海軍の捕虜になったが、なんとか無事に帰還して以来、もう数え切れないぐらい米兵を殺した。もしあのときオレが捕らえられた米駆逐艦内で自決していたらどうだ? 喜んだのは…、オレに殺されずに住んだ米兵たちで、消沈したのは…、その後にたくさんの敵をやっつけるはずの《優秀な狙撃兵》を失った日本軍だ。…わかるな!?
人口がアメリカの半分しかいない日本が、これまでのように兵の命を使い捨てにしていたら、万に一つも勝てないどころか、敵の思う壷だ。いつ、いかなるときも勇敢でなくてはならない。敵を恐れるな、死を恐れるな、恥じを恐れるな、そして…、生きることを絶対に恐れるな。
どんなに辛くても、どんなに恥ずかしくても、どんなに痛くても、敵を困らせることに専念し、無駄死にはしないこと。──これがオレの戦争だ。この唯一絶対の命令に違反した者は、本人だけでなく一族郎党みな殺しの刑だ。わかったな!」
すでに耳にタコができるほど聞かされて来た五人の少年兵たちは、顔を伏せて笑いをこらえていたが、新たに配属された一○人の新兵たちは、顔面を蒼白にしてうなだれた。源が去ったあと、知花らは新兵たちに源の真意を笑顔で解説した。
「一族郎党みな殺しの刑がいやなら命を大切にしろということだ。なぜなら、自分が戦死することは、無事を願っている一族に、『死ぬほどの悲しみ』を与えることなのだから…」
米軍は、第六海兵師団に加え、第一海兵師団および第四海兵連隊を小禄半島に差し向けた。守る海軍部隊の一○倍以上の大部隊が、長さ五キロ・幅三キロの狭い地域に殺到したのである。前述のとおり、海軍陸戦隊が南下に伴い固定重火器を破壊してしまったため、急きょ、放置してあった使用不能な航空機から搭載機銃をはずして据え付けるなどして防備を固めたが、焼け石に水だった。例によって米軍は、重砲や戦車を惜しみなく投入して来たからである。
半島はあっという間に焦土と化し、各拠点ごとに死闘がくり返されたがジリジリと押され、六月五日には司令部一帯は包囲されてしまった。
同日、防衛軍司令部は改めて南部への撤退命令を発したが、すでに遅かった。大田司令官は、玉砕を覚悟し「撤退は不可能なため、現地で最期まで戦う」旨を、牛島司令官宛に返電した。
海軍司令部壕の西側に展開していた源と五人の少年兵は、例によって二人一組のタコ壷陣地に潜んでいたが、もはやまともに闘える状態ではなかった。
「知花、弾がなくなった。オマエのを少しよこせ!」
「兵長、口径が違いますからそれは無理です。第一、敵の姿があんなに遠くて、あんなに多くてはどうしようもありません」
銃砲弾が降り注ぐ中、二人は恨めし気にずらりと並んだ敵戦車を睨むしかなかった。
「司令部に戻って爆雷を持って来るしかないな。あの戦車を何とかせんと、オレたちだけでなくこの地区の守備隊は全滅だ」
「はたして、まだ爆雷が残っているでしょうか?」
大声で怒鳴りあう二人の会話の間にも、砲弾は方々で炸裂し続けていた。となりのタコ壷陣地に声をかけようと、源が左に身を乗り出した途端、「シュルシュル…」という無気味な音が急速に近づいた。
「危ない!」
知花は素早く源の襟首をつかみ、思いっきり引き戻した。次の瞬間、凄まじい爆風と轟音が響き、おびただしい量の土砂が突っ伏した二人に降り注いだ。数秒ののち、激しい耳鳴りに顔をしかめながら、源はゆっくりと半身を起こした。
「オイ! 知花、大丈夫か」
脈はあるが動かない。失神と診断した源は、素早く周囲を見まわした。
「!…」