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ゆきの谷

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 比嘉は、自身の核心を突かれた気がした。最期まで、日本人にも沖縄人にも、真の米国人にも成り得なかった自分の姿を言い当てていると思った。困惑し言葉を探していると、中年兵は続けた。
「さっき死体を捨てたとき、オマエは無意識に胸で十字を切っていた。日本にも確かにキリシタンはおるが、ワシはあの祈りからアメリカの臭いを感じた」
 比嘉は、何とも言えない皮肉な成りゆきを嘆いた。潜水艦の中で、源に「今後は日本人、沖縄人として生きて行く」と、決意を語ったあのときの例え言葉、「教会有力者になってみるよ」。
 本旨とは裏腹に、無意識のしぐさが文字どおり敬虔なクリスチャンの証となって、非命を迎えることになったのだ。比嘉は、破れかぶれに最期の質問を返した。
「日本本土で育った、キリスト教徒のウチナンチューとは、考えないんですか?」
 すると中年兵は即座に否定した。
「なおさらありえん。ヤマト育ちであろうはずがない。はじめから気づいていたが、オマエの着物は左前だ。ヤマトンチューが最も嫌う、死に装束なんじゃ!」
「………」
 着物は日本文化の象徴ともいえる。比嘉は、振り降ろされた短刀の気配を感じながら、人間としての最期の意識で「やはり自分は父とは違う、いくら沖縄の血が通っていても、『アメリカ』を身にまとった正真正銘のアメリカ人なんだ。どれほど頭で理解しても越えられない、それが厳然たる事実」という、当たりまえすぎる悟りを噛み締め、目を閉じた。
 沖縄本島中部の恩納村一帯の山々は、このときなぜか野鳥の鳴き声も途絶え、静まり返っていた。まるで、比嘉の非命に哀悼の祈りを捧げているかのように…。
火蓋を切った沖縄本島の決戦

 昭和二◯(一九四五)年四月一日、東シナ海の沖縄本島中部、嘉手納沖に集結した米軍は、ついに上陸を開始した。先陣を切ったのは、シェファード海兵少将が指揮する第六海兵師団と、アーノルド陸軍少将が指揮する第七歩兵師団だった。両師団は先を競うように突進し、驚くことに開始のわずか一時間後には、一万六、○○○人の完全武装をほどこした戦闘集団の揚陸を完了するという手際のよさだった。
 これに対し、あくまで「水際作戦」を主張する大本営の意向にもかかわらず、現地第三二軍司令部はこれまでの島嶼防衛の教訓から、優勢な敵海空軍支援下の大損害が予想される当該作戦を放棄し、上陸直後の弱小橋頭堡に対する一斉集中攻撃で敵を殲滅する作戦を予定していた。
 第三二軍の作戦の実務を担当していたのは、高級参謀の八原大佐である。この神経質なインテリ参謀は徹底した持久戦を提唱し、無口で人のよい司令官牛島満、豪放な参謀長長の両中将から信頼されていた。このような日本側の事情もあり、米軍はほとんど攻撃を受けることなく、演習並みののどかな上陸を遂げることができた。「まるでマッカーサー元帥の上陸だ」などと冗談をかわしながら…。
 ほどなく、北(読谷)・中(嘉手納)の両飛行場もあっさり確保し、急ピッチの整備の結果、一部は日没までに使用可能となった。第三二軍の首脳や周囲の洞窟に潜む日本軍将兵は、そのようすを固唾を飲んで見守っていた。
 空襲や艦砲射撃から護るため地下壕に隠しておいた虎の子の大砲約四○○門が、間もなく一斉に火を吹き、突撃、白兵戦が敢行されるはずだった。…が、そうはならなかった。
 米軍の行動があまりにも素早かったからである。日本軍が想定した橋頭堡の整備などは後続部隊に譲り、上陸部隊は息つく間もなく強力な兵器を総動員して進出して来た。そして日本軍が地下壕を飛び出すタイミングを奪ったのだ。ほとんどの前線部隊が壕に封じ込められ、「馬乗り攻撃」によって次々と殲滅されていった。
 米軍は手慣れたものだった。まず数人の狙撃兵が壕出口の上と横に配置され、飛び出した日本兵を射殺する。出て来なければ、手榴弾を投げ込み火焔放射で壕内を焼き払う。そして、大型爆雷かガス弾、あるいは無数の手榴弾でとどめを刺す。
 この作戦は、徹底していた。壕の大小を問わず、中に人の気配があろうがなかろうが、およそ目につく「穴」は、シラミ潰しにすべて粉砕していった。
 比嘉がトーチカと勘違いし非命のきっかけとなった「亀甲墓」も、これを墓だと思う米兵は皆無に等しく徹底的に爆破された。
 最前線が崩壊してしまった防衛軍には、もはや橋頭堡への集中攻撃など事実上不可能となり、作戦中止命令を発せざるを得なかった。
 快進撃を続ける米軍は二日目には島を横断し、太平洋側の中城付近まで進出、本島守備隊の南北分断を成就するなど順調に占領地域を広げていった。
 このようすを見た東京の大本営や台湾に司令部を置く上層部の第一◯方面軍は、苛立っていた。元々離島防衛の常道とされていた「水際作戦」を放棄した上、むざむざ二つの飛行場を明け渡し、なおも反撃に出ない沖縄防衛軍の不可解な動向に業を煮やしたのだ。そして、ついに大本営は統帥の鉄則である「現地軍への作戦不干渉」の原則を侵して、「飛行場の奪還」を督促する陸軍参謀次長電を送りつけた。
 台湾の第一◯方面軍も、「なおも水際決戦を実践すべし」という主旨の参謀長電と、「任務完遂に邁進せよ」という司令官安藤利吉大将名の電報を相次いで送付した。
 また、海軍の連合艦隊までもが、「…すでに準備中とは存ずるも…失礼を顧みず意見を具申する次第なり」と、統帥権に配慮した遠慮がちな文頭ながら、「攻勢を熱望」する旨の参謀長草鹿龍之介少将電を長勇第三二軍参謀長宛に送った。
 しかし、それでも沖縄防衛軍は陣地単位の小規模な応戦以外は動こうとせず、四月六日には勝連半島への進出を許し、一方的に押しまくられた。この頃になると、敵の上陸以前から首尾一貫して「持久専守」を唱えてきた八原高級参謀に対し、司令部内からも反対する意見が増えてきた。
 勇猛な武人として満州で名を馳せた長参謀長もいよいよ動き出し幕僚会議を開催、多数決によりついに反撃の実施を決定し、牛島司令官に上申した。これを受け、第三二軍司令部は、四月八日の夜半を期して前線に残存する全軍を総動員した大反撃を計画する。
 北・中飛行場の米航空および補給部隊に対する一斉攻撃である。そのため牛島司令官は、六日に師団長級の全指揮官を召集し、作戦の意図と自身の決意を伝え、全軍を鼓舞した。
 各部隊の将兵も、やられっぱなしだった防衛軍がいよいよ大反撃を開始するとの知らせに興奮し、武者震いを抑えながら作戦準備に奔走した。
 ところが──、牛島司令官が攻撃準備を下達したまさにその夜、「一○○隻以上の敵船団が本島南西部に接近中」という情報が舞い込むと、あっさり作戦を中止してしまう。
 これを知った大本営や第一◯方面軍の苛立と憤怒は頂点に達し、日本軍の統帥と沖縄の命運は、険悪な相互不信の渦中に置かれることとなった。高揚した武魂に水を差された一般将兵の士気への影響も深刻だった。
 結果的に持論が通った形となった八原高級参謀は、当時の大本営や第一◯方面軍、第三二軍の司令官および幕僚について、次のような主旨の手記を残している。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋