ゆきの谷
口頭や文書による命令がなかったとしても、これらが醸造する「生還を許さぬ絶対的空気」は、もはや島民をがんじがらめにしていたはずである。
手榴弾を配った軍人たちには、「国家とは何か」「自分たちが護るべきものは何か」「自分たちは何のために戦うのか」の、真の理解と覚悟が決定的に欠けていたのだ。
本来、明治初頭に山県有朋らが導き出した「天皇制」は、万世一系の国体形成にあったはずである。
当時の多くの日本人にとって、最も尊敬すべき崇拝の対象は、キリストでもなくムハンマドでもなくブッダでもない。自身に生を授け、育ててくれた両親だった。その尊敬する両親が崇拝したのもそのまた両親、そしてそのまた…と、祖先へのルーツを何十代も遡れる名家の人も、数代前を記す過去帳すら持たない民も、みなが平等に先祖を敬う信仰の対象として、出雲の国に舞い降りて日本国を創造したとされる神武天皇にまで遡るとされた。その直系の、日本国民を象徴する存在として、天皇は君臨していたはずである。
であるならば、本来的には「陛下のため」は、そのまま天皇の子孫にあたる「国民のため」でなくてはならない。そう考えると、昭和初期の軍国主義は、真の天皇制をも中途半端にしか具現していなかったとさえ思えてくる。こうした、軍における国体啓蒙の矛盾が、想定外の負け戦という非常時において、最も悲惨な形で表面化してしまったのだ。
源は、自身も皇軍の一部であったという立場から、自戒と後悔の念を交錯させつつ、あろうことかその悲劇が、平和を愛する純朴で従順な沖縄人の間で起きたことに、一層の衝撃を受けたのである。
源は、山元の戦争論を思い出した。
「勝者は眠り、敗者は学ぶ…」
沖縄人だけでなく、一般の日本人や韓国・朝鮮人、中国人、東南アジアの多くの人々に惨禍をもたらした大東亜戦争は、明治維新以来破竹の勢いで成長を遂げてきた日本人の「犯罪的なおごり」と「致命的な常勝への慣れ」が引き起こした悲劇であると、元軍人としての源は結論づけた。
このような考察はむろん後世のものであり、「慶良間の悲劇」が進行している間も、源の戦争は継続していた。
●比嘉の死
その頃──、民間人としてヤンバル(本島北部)を目指すことを決心した比嘉は、小禄の収容施設を抜け出し、途中で入手した着物に着替えて徒歩で北に向かった。
那覇市内を抜け、浦添に差しかかったあたりで、被災難民を満載した牛車の隊列に遭遇した。比嘉は歩行中に痛めた右膝を引きづりながら歩み寄り、便乗を頼んだ。交渉の結果、幸運にも最後列の負傷者用荷車に乗せてもらうことができた。そこには軍服姿の負傷兵をはじめ、米軍の艦砲射撃や空襲にやられた種々雑多な傷病者がごった返していた。みな一応に異臭と悪臭を放っていたが、比嘉は引きつった笑顔を維持したまま、後部のわずかなすき間にもぐり込んだ。
宜野湾を過ぎ、北谷を通過し、嘉手納に差しかかった頃、同乗する一人の中年兵が、前方に向かって叫んだ。彼の襟に階級章はなく、くっきりとわかる剥ぎ取った跡が、比嘉の知る日本と沖縄の微妙な関係を象徴しているように思えた。
「死体を降ろすから、一旦止まってくれ」
見ると中年兵の足元には、目を見開いたまま硬直した老人が横たわっていた。比嘉は顔をしかめ黙ったまま見つめていたが、中年兵と周囲の何人かが無造作に死体を持ち上げ、道端に投げ捨てた。すぐに出発の合図をしたその中年兵は、二、三歩後ずさり、比嘉のとなりに場所を見つけ腰を降ろした。
「あんた若そうだが、どうしたね。どこへ行く?」
刺すような鋭い視線でにらまれた比嘉は、動揺を隠すように目をそらして応えた。
「オ、オマエのような腰抜けは無用だと叱られ、原隊を追い出されました。故郷の東村に帰るところです」
中年兵はしばらく黙ったまま、比嘉を凝視していた。
「一五、六の子どもまで引っ張っていく日本軍にか?」
比嘉は何も応えず黙り込んだ。車列は進み、読谷を越えて恩納村の山間部を通過していた。なおも刺すような視線を浴びせる中年兵の圧力に屈するかのように、比嘉は口を開いた。
「この辺は、防御陣地の整備がかなり進んでいるようですね」
比嘉の声に、中年兵と周囲の数人がその視線を追った。そしてそれと気づくと、みな一斉に殺気立った視線を比嘉に向けた。何ごとかと不安げな面持ちでようすをうかがっていると、中年兵が前方に停止を指示し、短刀や木刀を持った軽傷者数人が比嘉を取り囲んだ。
「念のためあえて尋ねるが、あれは何か」
比嘉は緊張した。自分の何に対してみなが反応したのか、理解できなかったからだ。まさか潜水艦の結城艦長が冗談で指摘してみせた、「アメリカの臭い」でもあるまい…。中年兵が指差す先には、石造りの丸い構造物があった。
「日本軍の防衛拠点、つまりトーチカでは…」
中年兵は比嘉の言葉を確認すると、さらに目をつり上げた。
「アメリカがいくら多民族国家でも、整備された敷地内に厳然と突き立てられた十字架が何を意味するか、よもや知らん者はおらんだろう」
比嘉は絶句した。(まさか、あれは…)
「あれは亀甲墓だ。比嘉とか名乗っておったようじゃが、そんなことも知らんようじゃオマエはウチナンチューではないな。冥土の土産に、教えてやろう。
亀甲墓の丸っぽい形は、女性の子宮を表現している。『母胎回帰』の思想から生まれたからだ。一族が代々眠るため、あんなに大きく造られているんだ。元々大陸から伝わったもので、沖縄だけでなく台湾、香港、中国南部にもあるが、ここ沖縄では…、ごく一般的な墓だ」
比嘉は目を閉じ、潜水艦に救助されたときに直感したことを思い出した。それは「日本人について少しばかり研究した程度の自分が、日本人に成りすますことなどできるはずない、必ず見破られる」という不安だった。吉澤源という有名人のフォローのおかげで、何とか乗り切ったかと思えた艦内でも、結局のところ艦長には見破られていた。片や日本人は、イシカリ将軍のように容姿と肩書きを隠されれば欧米人と区別ができないほど、見事に欧米文化に溶け込んでいたというのに。
(これは民族性の違いによるものなのか、それとも個人レベルの器量の差なのか…)。無念の涙を浮かべる比嘉に、中年兵は下車を指示した。
牛車の列を背に歩を進める比嘉は、自分の半生を回想した。そして海軍入隊以来、自分が人を騙し続けてきたことに気づいた。
米海軍情報部に配属されたときは、すでに日米関係が悪化しはじめていた時期だったため、日系二世である素性を隠し、アメリカンインディオと華僑のハーフを装い、しきりに日本人らしさ、沖縄人らしさの排除に努めた。そして乗艦が沈められ日本海軍の潜水艦に救出されてからは、逆に米国人らしさの封印に腐心してきた。他人を騙し続けることで、自身の真のアイデンティティをどこかに置き忘れてきてしまったことに、遅ればせながら気づいたのだった。
道路脇の草むらに座らされた比嘉を、先ほどにらみつけた数人が取り囲んだ。そして中年兵が短刀を振りかざしたその時、比嘉は乾いた力ない声で言った。
「なぜ自分を殺すのですか…」
「オマエは得体が知れないからだ」
「! ……」