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ゆきの谷

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 これに基づき、陸軍発足以来研究開発された国産歩兵銃は、ヨーロッパ製小銃をコピーしただけの「一三年式村田銃(一八八○/明治一三年)」の一一ミリからはじまり、八ミリ、六・五ミリとしだいに小口径へと移行していった。小口径にすることで撃発時の反動も小さく抑えられ、命中精度の向上にもつながったのだ。ヨーロッパ列強国の兵器が、より威力のある大口径へと発展して行った時代に、日本陸軍の小銃だけが逆行していたのである。
 こうした背景事情を理解する源にとって、威力の大きいモーゼル弾を使用するこの銃は、日本人的情感にそぐわないものであると考えていたのだった。
 鬼小隊長こと越智少尉は、先ほど引率してきたばかりの源たちに気づいていないのか、一斉に直立した六人には目もくれずに足早に通り過ぎ、奥の離れたテーブル席に腰かけた。同時にもう一つ右どなりの椅子も引き出し、そこに愛用の「モ式」銃を大事そうに立てかけた。そして、一歩遅れて入室してきた二人の下士官を手招きしながら、テーブルの真ん中に大きな地図を広げた。
 ゆっくりと腰を降ろしながら、源は上半身だけを背伸びさせて地図をのぞこうとしたが、よく見えなかった。

●大男との再会

「ここ、いいか?」
 座ったばかりの五人の少年兵たちが再び起立した。五人の素早い動作と、背後から降りかかった突然の声と大きな影に驚き振り向くと、鬼小隊長にも劣らぬ大男が懐かしい笑顔で立っていた。
「田所軍曹!」
「久しぶりだな吉澤。ちなみに…、いつまでも軍曹やってねえよ、今は曹長だ」
 そう言いながら笑顔で五人に着席を促した田所に、源は座ったまま自分の襟を摘み、胸を張って差し出した。
「おお、オマエ兵長にまでなったんか! 大昇進だなぁ」
「そのうち、田所さんを追い抜いて准尉になっちゃいますよ」
「それはかなわん」
 二人は互いの無事を喜ぶように、堅く両手をにぎり合いながら大声で笑った。しかし笑顔に隠れた源の大脳は、ビルマ山中で上官を射殺した直後に、背を丸め緊張して縮こまっていたこの男の姿を想起していた。
 奥のテーブルで談合する越智少尉の、同じように丸まった背中が、再び「うるせぇーぞ!」と今にもはじけそうな気配を感じながら、(あの時のように、ヤツも撃ってくれりゃいいのに)と、目の前の大男に、届くことのない懇願の念を送り続けた。
「うるせぇーぞ!」
 案の定…。源と田所は黙り込み、姿勢を正して少尉に一礼をした。二人の派手な友情交換を呆然と見ていた五人も、とばっちりを受けた格好ですごすごと三たび立ち上がり、同じように頭を垂れた。源は五人と別れ、田所と二人で庭に出た。
「わずか一年ぶりなんですよね、もう何年も前のことのように感じますよ、ビルマが」
「…そうだな、ずいぶんと昔のことのようだ」
 二人は煙草をくわえ、点火した。(そういえば…)源が煙草を覚えたのも、ビルマ撤退行の最中、山元と出会ってからだったことを思い出した。
「自分はあのあと、ペリリュー島へ送られました」
「本当か! 中川伝説の玉砕島、ペリリュー。ひどかったらしいじゃないか、よく生きて戻れたな」
 源は、「捕虜になって敵米兵と親密になり、帝国海軍将校を騙して潜水艦を渡し船代わりに使い、その米兵と一緒に仲良くここへ来た」と白状したら、間違いなくこの大男は錯乱して自分に殴りかかるだろうなどと考え、悪寒を振払うしぐさをしながら返答した。
「小さな離島のイクサはもうこりごりです、逃げ場がないですからね。ときに曹長は、ビルマのあとどこへ?」
「オレか…、オレはオマエと突撃したあの闘いで負傷し、気づいたらインド人の家にいた。そこで介抱されて命拾いし、シンガポールに戻った」
「…? 曹長、つくならもっとうまい嘘をついてください。あんな密林の中に現地の民間人が散歩しているわけないじゃないですか。戦闘ののちにやって来るのは、日本兵の死体を数える英兵のはずだし…、はっ!」
 まくしたてていた源が、自身の経緯と重ねて「もしや」と思った瞬間、田所の顔が哀し気な表情に変化した。
「これまで誰にも言わなかったが、オマエには本当のことを白状するよ…」
 その声は弱々しくしぼんでいった。
 顔の右側をピクピクと痙攣させる彼の癖は健在のようで、左側にいた源にはそのようすは見えなかったが、屈強な顎の筋肉がそれとわかる小刻みな反復運動を開始していた。
「そうやって右手の指を擦り合わせる癖は相変わらずだな、吉澤」
 源は意外な田所の言葉に閉口した。二人は互いに相手の癖は感知しても、自身の癖には気づいていないようだった。
「…オレ実は、捕虜になったんだ」
「! ………」
 源は(やっぱり)の言葉を呑み込み、無反応のまま二人を包む煙草の白煙を見つめていた。
「あの突撃で助かったのはオレ一人だった。…否、今日はじめて知ったが、オマエと二人だけだったわけだ…」
 源は左脚の古傷をさすりながら、独り言のようにつぶやいた。
「自分は突撃と同時に脚を撃ち抜かれ、左の斜面を転がり落ちて気を失いました。気がついたら野戦病院でした」
「あの直後に、本隊が後続していたようだったからなぁ、それで助けられたんだな」
「奇遇にも、最左翼と最右翼の二人だけが助かったんですね…」
 二人は感慨深げに、煙草をくわえ直した。
「今朝、越智少尉から『小禄まで、吉澤源という狙撃兵を迎えに行って来る』と聞かされたときは、正直言って耳を疑ったよ。同時に無二の親友に再会できる喜びを感じた。本当だぜ、否、ちょっと大げさだったかな」
 冗談っぽく少し笑った田所の顔は、瞬時に悲しげな表情に戻った。
「…運がよかったんだ。捕虜になったオレの監視役が、隠れボース派のインド兵だった。当時チャンドラ・ボースは、英国からのインド独立を目指す親日派の英雄だったから、ヤツは何かとオレによくしてくれた。しばらくすると、物資運搬係の支那人に紛れ込んで脱出する算段までしてくれた。今こうして、煙草を吸っていられるのもヤツのおかげなんだ…」
 そう言うと田所は、まるで深呼吸のあとのように、大きく白煙を吐き出した。源は田所の命を救ったそのインド兵と、つい先ほど蔑視して別れた比嘉を重ね合わせ、複雑な思いを抱きながらこうべを垂れた。
「…みっともない話だよな、苦楽をともにした戦友たちが陛下への忠誠心を全うしようとバタバタ死んでるっていうのに、オレ一人だけ敵の情にすがって生き延びたんだからな」
 冬だというのに沖縄特有の、塩分を含んだ生暖かい湿風が、二人の間を漂っていた。源はゆっくりと頭を上げ重たそうに口を開いた。
「…田所曹長はみっともなくなんてないですよ。あなたほどの人が、『生きて受ける虜囚の恥ずかしめ』に耐え、こうして生還したんですから。もし自害されていたら敵の思うつぼじゃないですか。生きていたからこそ、わずかですが敵に食糧の消費も強要できたし、こうしてまた戦えるんですから。捕らえられて自害するよりも、よっぽどお国のためになっていると思います」
 田所はうなだれたまま黙って源の話を聞いていたが、噛み締めるように小さく幾度かうなづくと、源に顔を向けた。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋