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ゆきの谷

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「自分は沖縄から出たことがないので、雪は見たことがありません」
「そうか…、それじゃもし本土に来る機会があったら、ぜひ一度は脚を延ばしてみろよ、きっとオマエにもその良さがわかるから…」
 源は(あれ?)っと思った。これまで何度となく聞いてきた陸軍名物のお国自慢を、自身がごく自然に語っていたからである。田所の金沢や山元の指宿、広島に千葉、会津、北海道…と、本土に戻ったら地方行脚をせねばならぬほど、これまでたくさん聞かされてきたそれである。
 (結局、日本はどこもみな美しいんだ。そして陸軍将兵は、いや、日本人はみな家族と同様に故郷をこよなく愛しているということか…)。源はようやくそのことを悟り、これまで話してくれた人々のやさしい笑顔を思い出しながら、そう心の中で総括した。
 トラックが大きく揺れた拍子に、源は両手でにぎったままになっていた支給されたばかりの小銃のことを思い出し、ゆっくりと油紙を剥ぎ取ってみた。
 すると、これまでの手慣れた三八式歩兵銃とは異なる、筒が妙に太い小銃が現れた。なんと照準眼鏡まで装着されていた。源を取り囲む五人も、真新しい小銃に目を剥いた。そしてその中の一人が、大声を上げた。
「わっ、すげーっ、すげーっ、九九式狙撃銃だ!」

●三八式、九九式、モ式小銃

 源は自他ともに認める第一級狙撃兵だったが、…恥ずかしながら知らなかった。ガダルカナル戦で少数の九九式狙撃銃が威力を発揮したことは聞いていたが、コレがそれだったことを…。気になっていたマガジンポーチを開けて見ると、三八のものより一まわり大きな弾薬が入っていた。
「七・七ミリ弾です。照準器はレンズが六枚も入っている四倍照準眼鏡です。…兵長は狙撃手なんですか?」
 源は妙に詳しい小太りの少年兵に驚き、銃を擦りながら微笑んだ。
「ああ、オレは狙撃屋だ」
 一堂は驚きと尊敬の眼差しで、しばらく源と小銃を交互に見つめていたが、再び小太りの少年兵が喋り出した。
「兵長、照準器の目盛りは一、五○○メートルまでありますが、実際の精密射程は八○○メートル程度らしいので、使用時には気をつけてくださいね」
 源の驚いた表情に気づくと、小太りの少年兵は笑顔で続けた。
「あ、自分の父はウチナンチュー(沖縄人)ですが、北九州の小倉兵器工廠に徴用され、この銃をはじめいろんな兵器を造っていた職工なんです。だから、自分も陸軍の兵器のことはよく知っています。自分は小倉で召集されて、ここ沖縄に来たのは今回がはじめてですが…」
 源は目を細めてうなづいた。(なるほど、どおりで九州訛が強いわけだ)
「名前は?」
「ち、知花昌秀であります」
「知花二等兵、この九九式狙撃銃を扱う上での注意点が、もしほかにもあったら教えてくれ」
 知花の眼が輝やいた。即答できずにしばらく考えあぐねていたが、源と視線を交錯させるともぞもぞ話し出した。
「…もし兵長が、これまで三八式歩兵銃か九七式狙撃銃を使っていらしたのであれば、射撃時の反動に注意されるべきだと思います。
 三八、九七はどちらも六・五ミリ口径だったわけですから、七・七ミリに大きくなった分、反動は相当増しているはずです。鬼小隊長の『モ式』ほどではないですがね」
「…ん? ちなみにモ式は何ミリ口径なんだ?」
「はい、支那での鹵獲銃だったとしても、規格はドイツ製のままのはずですから七・九二ミリです。しかし、ドイツの実弾は火薬密度が高いため、日本製に比べてはるかに威力が大きいので…」
「七・九二ミリ!」
 源の顔が大きく歪んだ。水上の山中で父親の肢体を貫いた弾も、七・九二ミリだった。(父を撃った銃は『モ式』だったのか?)。
 源の豹変ぶりに驚き、不安げに見つめる五人の視線に気づいた源は、慌ててつくろうようなぎこちない笑顔を急造した。
「あ、ありがとう…、知花二等兵。キミの教訓を肝に命じておくよ」
 源の優しい言葉に、知花も満足そうに笑った。笑顔のまま、五人が装備する小銃を見まわした源は驚いた。ボロボロの三八式を持っている者はそれでもまだましで、日露戦争に使われた三○年式を海軍陸戦隊用に改造した「三五年式小銃」を持たされている者さえ居たのである。三八式が制式採用されて以降は、支那やタイなどに輸出された、故障の多い旧式小銃である。
 源は笑顔を止めて思わずうつむいた。少年たちが自分の銃に羨望の眼差しを向ける理由がわかり、同時に末期的症状を呈してきたこの国の台所事情に悲哀の念を禁じ得なかったからである。
 一番左に位置していた浅黒い、いかにもウチナー顔の朴訥とした少年が、源と知花に問いかけた。
「自分は軽機の玉運びの訓練をさせられたことがあるんですが、重機(重機関銃)と軽機(軽機関銃)っで何が違うんですか?」
 源は丁寧に一発ずつ玉を発射する狙撃手なので、連射によって弾幕を構成する機関銃には縁がなかった。しかし、兵長ともあろう古参軍人が「自分も良くわからない」などとは口が滑っても言えず対応に苦慮していると、知花がすぐに解説した。
「機関銃は連射によって激しく加熱するため、何らかの方法で冷却しないとすぐに壊れてしまう。その冷却方法の違いさ。軽機は空気で冷やす、つまり空冷式。重機は搭載している水で冷やすから水冷式。当然、冷却効率は水の方がはるか優れているので、軽機より重機の方が長時間の連射が可能だ。その代わり大量の水を貯えるタンクが附属するので重たく、機動性は劣る。一長一短さ」
 知花の的確な空冷・水冷機関銃の解説に感服しつつ、源は以前ビルマで田所に射殺された加藤均少尉から聞かされた戦闘機の話を思い出した。
「欧州や米陸軍の戦闘機は概ね水冷式発動機を装備しているが、日本陸海軍機や米海軍機のほとんどが空冷式だ。空気の取り入れ口を必要としない水冷式(液冷式ともいう)発動機を搭載する戦闘機は、機首が空気抵抗の少ない流線型をしているから、概ね空冷式より速度が勝っている。そして空気の薄い高々度でも中・低空とほとんど変わらない高性能を発揮するのが大きな特徴だ。しかし、だからと言って空冷式がまるっきり劣っているというわけではない。
 冷却水を必要としない分、発動機のスペースは小さくて済むし機体重量もかなり軽くできている。そこから生み出させる旋回性能、運動性能の素晴らしさ、そして何より航続距離の長大さは水冷式には決して真似のできない芸当なんだ。
 水冷式の航続距離はせいぜい五〜六○○キロ、長くても九○○キロ程度だが、空冷式のそれは二、○○○~三、○○○キロだ…」
 知花が結んだとおり「確かに一長一短さだ」と改めて理解した源は、納得の大きなうなづきを繰り返した。源がなおも水と空気の物理学的特性を考察していると、少年たちは、突然歌い出した。
 それは島唄でも唱歌でもなく、陸軍省や文部省が推奨する日本の軍歌だった。その歌詞の勇ましさとは裏腹の、声変わりして間もない沖縄訛の澄んだ歌声は、源には例えようがないほどもの哀しく聞こえ、思わず熱く込み上げて来る目頭を押さえずにはいられなかった。
「うるせぇーぞ!」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋