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ゆきの谷

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 ユダヤ人(正確には、ユダヤ教を崇拝するセム民族)は、ディアスポラ(民族離散)の後、一二支族の内の一◯支族が消息を絶った。イスラエル人や世界中に住むユダヤ人たちは、未だに「失われた一◯支族」の行方を追求している。そして極東アジアで固有の歴史を刻んで来た日本人こそ、「一◯支族の末裔なのではないか」という説が、以前から根強く語り継がれている。
 その根拠は、無視するにはあまりにも多過ぎる言語学的、民俗学的、文化的共通点にある。
 ──バビロンの遺跡には、紀元前六○○年頃に建造された「シュタール門」が現存しており、そこには王家の紋章として一六葉の「菊花紋」が刻まれていた。また、エルサレム(イスラエルの首都)神殿の側壁にも同じ紋様が描かれている。言うまでも「一六葉菊花紋」は、現在に至るも日本国天皇家の御家紋である。
 紀元前七二二年、ヘブライ王国の首都サマリアがアッシリア軍に包囲され壊滅し、一○支族が離散してからおよそ六○年後の紀元前六六○年(皇紀元年)、神武天皇が出雲の地に召され倭国を開いたとされる。つまり六○年の時を隔てた、ユダヤ・ヘブライ王家と日本の皇室が同じ紋章だった。
 また、倭国の神社とヘブライの神殿には共通点が少なくない。ソロモン王が建造させたエルサレムの宮殿の入口には、鳥居とそっくりな二本の門柱があった。内部は、西側に御霊を祭った至聖所、北側に供え物を置く聖卓という配置も共通している。ちなみに「トリイ」はヘブライ語で「門」の意である。
 あるいは、天皇は日本書紀などにおいて「スメラ(の)ミコト」と称され、部族の長たちに「アガタヌシ」の称号を与えとされている。これらの意味や語源を日本語に求め、その由来を明確に説明することは困難だが、古代ヘブライ語の一方言(アラム語)では、「スメラミコト」は「サマリアの陛下」、「アガタヌシ」は「アグダ・ナシ」つまり「集団の長」と容易く解釈できるという。
 さらに驚くべきことに、日本書紀と旧約聖書には同じ事柄を綴ったのではないかと思われる一節が存在する。日本人とユダヤ人がともに「約束の地」に旅立つ既述である。
 旧約聖書扌①約束の地は「カナン」。②旅立った一年目に「虎を授かった」。③サハラ(高原)タハト山を経由。④途中「ヤム・サフ」を越えた辺りで穴居族テダに遭遇した。
 日本書紀扌①約束の地は「葦原」。②「キノエトラ」の年に旅立った。③(日向)・曾富里の高千穂峰を経由。④途中「ソウフ」地方で穴居族タダに遭遇した。
 ③と④は固有名が酷似している。そして決定的な共通点が①と②である。約束の地「カナン」はヘブライ語二つの単語の合成語で、「カヌ・ナー(Cnne-Naa)」となり「葦・原」を意味している。そして「キノエトラ」はアラム語に訳すと、そのものズバリ…「虎を授かった」なのだ!
 日本の国歌たる「君が代」の歌詞も、ヘブライ語で書かれたものであるという。確かに日本語では意味不明で理解しがたいが、歌詞の韻をヘブライ語にあてはめて訳すと、次のように整然とした意味が浮かび上がる。
   君が代は…………クムガヨワ…………………【立ちあがれ】
   千代に……………テヨ二………………………【シオンの民】
   八千代に…………ヤ・チヨ二…………………【神(に選ばれた)シオンの民】
   さざれ意思の……サッサレィード……………【喜べ、人類を救う民として】
   巌となりて………イワ・オト・ナリタァ……【神の預言が成熟する】
   苔のむすまで……コ(ル)カノ・ムシュマテ…【全地で語り、鳴り響け】
 明治一三(一八八○)年一◯月二五日に、ドイツ海軍軍楽隊員フランツ・エッケルトによって曲(メロディ)がつけられ完成した「君が代」だが、歌詞は一◯世紀に編纂された「古今和歌集」に収録されている短歌の一つであり、テーマは「皇統の永続性」とされている。明治一四年以後は崇高なる国歌として扱われるようになったが、正式に制定されたのは、時代が下った平成一一(一九九九)年の「国旗及び国歌に関する法令」によってである。
 むろんヘブライ語と日本語にも数え切れないほどの共通点、類似点が存在する(双方の学者によって確認されたものだけで約五◯◯)。比較言語学的な解釈では辺境語・方言・転訛の範疇と理解される「規則的な母音の変化」や「子音(おもにL)の脱落」などを勘案するとほとんど同じ語彙とも認められる。
 後世には日本海軍を象徴する戦艦の名にもなった古代日本の呼称「大和」。これも当時の日本語にその語源を求めることはいかなる解釈を用いても不可能だが、ヘブライ語では同語系アラム語によって容易に理解できるという…。アラム語では「Ya・Umato」となり、 「Ya」は「神」の意、 「Umato」は「民」の意! 戦前・戦中の軍国主義で宣伝された神聖なる国、「神ノ國、日本」…ということになる。
 さらに、有名な京都の「祇園祭」は「シオン祭」が転訛したもので、祇園で出される独特の四角い箱のような山車は、シオン祭の「ノアの箱船」そのものだという。また一般的な日本の祭りで担がれる神輿も、イスラエルにこれとそっくりな「アーク(Ark)」と呼ばれる聖櫃(モーセが神から授かった「十戒石板」を保管するための箱)が存在し、やはり祭りや神事に使われる。
 また、ユダヤ人は現在でも祈りの際に、旧約聖書の文言を収めた「フィラクティリー(Phylactery)」と呼ばれる小さな箱を額に装着するが、これは山伏のそれ(天狗も付けている)と一緒であり、さらに山伏が吹く「ほら貝」の音はユダヤの祭りに使われる「ショーファー(Shofer)」という羊の角でできた吹奏楽器とほとんど同一であるといわれる…。
 近年の研究では一◯支族の一部が中東から極東に至ったルートも解明されつつあり、その随所に両民族にまつわる痕跡が残されているという。ここに列挙したものはほんの一例だが、これらの研究は明らかに、もはや「単なる偶然」では説明のつかない領域にまで達していると言えよう。
 明治三三(一九○○)年生まれの杉原千畝が、このような事情を理解していたか否かは今となっては知る術もないが、非命に怯える多数の同胞を眼前にし、眠っていた彼のDNAが古の時を越えて目覚め、本能的に自身を突き動かしたと解釈するのは、偶然の域を明らかに凌駕する両民族の共通項を見る限り、それほど大きな的外れでもないのではないかとさえ思えて来る…。
 源が尊敬する杉原千畝に想いを寄せている間も、荷台に六人を乗せたトラックは、抜けるような青空の下、轟音をたてて走り続けた。さとうきび畑に囲まれた赤黒い一本道を、土埃を巻き上げながら。
「兵長殿は、どちらのご出身ですか?」
 真向かいに座る一人の少年兵が尋ねた。源は笑顔をつくり、故郷につながっているであろう大空を仰ぐように見上げた。
「オレは群馬県の水上だ」
「ミナカミ?」
「ああ、谷川連峰という高い山々に囲まれた小さな温泉町だ。周囲にも有名な温泉がたくさんある。
冬の寒さは厳しくて雪もけっこう積もる。でも奥利根の清流と紅葉は美しく、とってもいいところだ」
 少年兵たちは、目を輝かせながら聞いていた。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋