小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ゆきの谷

INDEX|26ページ/91ページ|

次のページ前のページ
 

「結局、その『同一…何とか』っていうのは、イコール島国根性ということか? で、その先を説明してくれよ」
 比嘉は、今度は笑いながら楽しそうに手ぶりを交えて言った。
「『島国根性』は、かなり言い当てていますね。おもしろいことに、ヨーロッパでも大陸の人々は、イギリス人の陰険な態度を指して『島国根性』といいます。オーストラリア人の場合は『大陸根性』と呼ぶのでしょうか」
「? ……」
 源は、比嘉の冗談がわからずにポカンとしていた。
「失礼、『同一指向性』のことでしたね。
 まず、遊牧民族と農耕民族とでは、日常生活における基本的なものごとの発想がまったく逆です。ご承知のとおり遊牧民は小民族ごとに集団を形成し、たくさんのヒツジやヤギなど家畜を飼いながら、牧草地を求めて移動をくり返す生活を日常としていますね。一見、集団生活のようですが実はバラバラで個人主義者の寄り合いなんです。
 なぜなら、みんなが移動を開始しても自分のヒツジがまだ草を食んでいれば動くことはできません。また、となりのヤギの乳が出たからといって自分のヤギが乳を出すとは限りません。こうした日常は、『となりはとなり、自分は自分』という個人主義的な発想を育みます。
 農耕民族の場合は、そうはいきません。周囲の村人の多数が田植えをはじめれば、当然自分もするべきであり、しないのは不自然です。刈り取りも何もかも、すべての農作業は同じ時期に同じことをするわけです。狭い集落の中、つまり同じ気象条件下でイネという同一の作物を作るわけですから、当然といえるでしょう。
 ヤギと違い稲穂の発育はみな一緒です。このような生活を永年くり返していれば、つねに周囲の行動を気にかけ足並みをそろえようとする心理が定着するのは、むしろ当然であるといえます。
 糧を得るための生活習慣から派生した様々な考え方の基本的発想は、何千年もの歴史によって培われた『民族の文化』そのものなのですから…」
 源は、琉球訛ではあるがそのなめらかな日本語に聞き惚れるように、腕を組み真剣に耳を傾けていた。
「農耕民族は決まった土地に定着して暮らしますが、遊牧民は新たな草原を求めて移動します。先ほど指摘された中国や南アジアの人々は、それぞれの時代に訪れた遊牧民と交じり合い、あるいは戦い、よくも悪くも交流を深め、互いに相手文化の影響を受けたのです。
 しかし幸か不幸か日本人は、民族の自我に目覚める前に、このような大規模な『文化交流』の機会を持つことはありませんでした。そのことが、『極端な同一指向性』に大きく偏重した最大の理由であると考えられるのです」
 整然と組み立てられた自身の理論を語る比嘉の態度は、まるで教壇に立つ教授のようであった。山元とはタイプは違うが、鋭い洞察力と観察眼、研究心、そして徹底した合理主義的発想に二人の共通点を見い出したような気がした。
 源はいつの間にか、テーブルに置かれた煙草を勝手に抜き取り、自分で点火して吸っていた。
「…日本人のこのような傾向は、うまく作用すれば『団結力』という民族の優れた一面として力を発揮するでしょうが、一方で大きな危険もはらんでいます。少なくともこの戦争を見る限り後者の可能性が憂慮されます。
 日本社会において、とかく『異端児』は嫌われますが、今は日本人の中から民族滅亡を救うための第一声を上げる、勇気ある『異端児』が出現することを祈らずにはいられません。日本を愛するボクや、それ以上に愛していたボクの父のためにも。
 日本民族が永年かけて培ってきた民族の習性を急に変えることは至難だとは思いますが…、吉澤上等兵、それがあなた以外の人である必要はないのです」
 源は頭を垂れ、迷想した。そしてこの男が、自分にどのような具体的行動を求めているのかを、思い巡らせてみた。比嘉の刺すような視線を感じながら思案にふけていた源は、近づく複数の足音に気づいた。やがて重たそうな鉄のドアが開き、二人の白人兵が入ってきた。
 一人が比嘉に近づくと、何やら話しかけた。どうやら、比嘉を迎えに来たようだった。比嘉は源を見つめたままぶっきらぼうに言い放った。
「吉澤上等兵、ボクは本来の仕事に戻ります。長話につき合ってくれてありがとう。残ったその煙草は差し上げます」
 二人の水兵に促されるように立ち上がった比嘉は、慌ただしく踵を返した。源は突然、何かに急き立てられるように口を開いた。
「比嘉さん、一つだけ教えてください。もしあなたが捕虜になったら生還して英雄になろうと、本当に考えますか? それとも自決しますか、サムライ魂を継承したお父上がそうしたように…」
 比嘉の後ろ姿が凍りついた。一瞬だけ振り向き引きつった顔で源をにらみつけたが、すぐに背を向け出て行った。鉄のきしむ重苦しい音を残して…。源は心の中で(やっぱり)と、つぶやいた。比嘉のあまりにも整然とした戦争論は、理不尽な死に方をした父親への半面教師だったのである。
「…それ以上に愛していたボクの父」…か。
 英語を話しアメリカの軍服を着ていても、魂まではそう簡単に変化するものではない。つい先ほど彼が自ら説いた「彼の民族論」が、父親の非命のヒントになっていたのだ。
 ガランとした広い部屋に一人取り残された源は、すっかり忘れていた疲労と睡魔に気づき、ベッドに身を横たえた。

●雷撃と漂流

 睡魔に身をまかせ、仰向けになって目を閉じていた源は、静寂の中で唯一動いていた身体の一部、右手の指に気づき目を開けた。そして比嘉に指摘された何気ない言葉を思い出した。《キミの右手は、いつも小刻みにうごいていますね。…いつもそうやって、そのタコをいじっているのですか…》
「あっ!」
 源は愕然とした。水上の駐在所で兄が見たという目撃者、丸坊主でやせ形の背広を着た大男、彼も右手の親指と人差し指をこすり合わせる癖があったという…。
「そうか、…そうだったのか」
 源は跳ね起きた。
 (父を撃ったのは猟師ではなく背広の男だったのだ! 山元が指摘したとおり、猟師は身代わりに違いない)。憲兵と対等に話していたこと、妙に落ちつはらった態度、そして人差し指のタコをいじる癖…。(プロだ、プロの狙撃手だ。軍の専門家に違いない。…ということは、やはりあれは事故ではなかった?)。
 源は、以前から自身の心の中にしまってあった大きな黒い影と、このときはじめて向き合おうとしていた。その影とは、不可解な死に方をした父の、秘密めいた半生への様々な疑問である。そしてまどろみの中で、ぼんやりした遠い記憶を模索した。
「軍による計画的な暗殺? 誰が、なぜ父を? そして現場には、いったい何人いたのだろう」
 例え銃を所持してなかったとはいえ陸軍でも有数の狙撃手だった父を相手にするのなら、最低二人は必要であると源は考えた。なぜなら、卓越した狙撃手は当然、攻撃側の心理や段取りを熟知している。万一、初弾が外れた場合、本能的な退避行動によって逃げられてしまう可能性が高いからである。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋