ゆきの谷
関川の機敏な動作からもそれはうかがえ、初年兵にありがちな「やらなければ、やられる」という切迫感さえ忘れているようだった。むしろ無気味な冷静ささえ感じられ、射撃技術や集中力はもとより並外れたその度胸に、源は感服させられた。
「たいした器だ。こいつは大物になる」
やがて銃声は、正面から次第に右翼へ移り、斜め後方からも聞こえるようになってきた。
「いよいよ包囲されたようだな。右手の斜面に注意しろ!」
関川は源に促されてタコ壷を出、右側斜面の爆破孔に移り、下に通じる山道の方角に銃を構えた。その直後、ついに発見されたらしく、関川は射撃を開始した。
敵は二手に分かれて斜面を登りはじめたらしく、関川の銃声は頻度を増していった。もはや右翼からの敵が脅威となり、源も関川のとなりに移動して照準もそこそこに応戦した。
手動の旧式小銃では間に合わなくなり、関川は小銃を投げ出して手榴弾攻撃に切り換えた。山道は瞬く間に折り重なる敵兵の死体で埋めつくされたが、果敢な米軍の攻撃は激しさを増すばかりで一向に止む気配はなかった。
下からの機銃弾や迫撃砲弾は激烈をきわめたが、二人は負傷しながらも、中川司令官の命令を尊守し、撃っては隠れ移動しては撃ち、多数の敵を引きつける持久戦法を継続した。
●「谷川岳」陣地、ついに陥落
この頃になると米軍の間でも「攻撃正面の右翼の丘に凄腕のスナイパーがいる」という噂が広まっていた。多少の余裕を感じはじめた第一海兵師団長ルパータス少将は、「丘の上のスナイパーは生け捕りにせよ」と訓令し、兵の競争意識を刺激した。
「せきかわーっ! 手榴弾もなくなった。小銃弾も残りわずかだ。オマエはここを脱出して、司令官のいる第二連隊へ合流しろ」
源が怒鳴ると関川は驚いた表情を示し、悲し気に凍りついた。明らかに脱出を躊躇しているようすである。
「これは命令だぞ、早く行け!」
さらに源が大声で督促すると関川は我に返り素早く敬礼を済ませ、あわただしく自身の小銃を拾い上げて、敵が迫り来る斜面の反対側のガケを滑り降りて行った。
一人になった源は元いた壕に戻り、しゃがみ込んで煙草に火をつけた。敵が放つ銃砲弾が荒れ狂う中、源は自身の最期を悟り、これまでの半生を回想しながら一息、白い煙を吐いた。
「ついに…、いよいよオレは死ぬんだ」と心の中でつぶやき、まるで敵弾が我が身を貫く瞬間を期待するように目を閉じた。
むろん、敵海兵隊の師団長から、直々の「捕獲命令」が出ていることなど知る由もなかった。
やがて一分が過ぎ、五分が過ぎても、圧倒的な銃砲声は続くものの至近弾はなく、身体に衝撃は来なかった。むしろ銃砲声が次第に遠のくような気配を感じ、源は不審に思いあたりのようすをうかがおうと、壕から少し頭を上げた。そして黒い何かが眼前を横切ったかと思った瞬間、大きな衝撃と耳鳴りのような「キーン」という音に襲われた。同時に、真っ青の空とまぶしい太陽が眼前に広がり、次第にハレーションを起こしたように白く溶け、消えていった。
それは源にとって、ついに訪れた永遠とも思える一瞬だった。激しい衝撃の直後、父、母、姉、兄の顔が走馬灯のように脳裏をよぎり、自分を育んだ水上の光景がふわっと浮かび、すぐに消えていった。苦痛も暑さも緊張感も、源の身体からすべての感覚が解き放たれた。
「これが人間『吉澤源』の最期か…」
源の意識は、その能動的機能を停止した。
その頃関川は、敵の進出を警戒してガケ下の斜面から本部壕への退路を大きく迂回し、途中の高台で小休止していた。そこも周囲は艦砲による爆破孔だらけだった。その一つに飛び込み、呼吸を整えると、恐る恐る「谷川岳」の方をのぞき見た。
地面の一点を見つめるように無警戒に佇立する数人の敵兵が見えたが、状況を把握するためにはそれで十分だった。少なくとも、そこに抵抗する源の姿がない以上、彼らが見つめる一点は明白だった。
関川はしばらくの間、無念の思いでその光景を黙視していたが、込み上げてくる熱い激情に後押しされるかのように銃を構えた。
そして、源の教えを反すうしながら照準を定め、引き金を絞った。一五○メートルほどの遠距離射撃であり、風下に位置する関川は自身の銃声を気にする必要がなかったため、続けざまに一カートリッジ全部(五発)を発射し、あっと言う間に五人を倒した。
それでも敵は、ガケ下から湧き出るように出現し、あわてて周囲を警戒しているようすだったが、関川は弾のなくなった小銃を放棄して反転すると、流れる涙をそのままに本部へ向かった。
──米軍主力の第一海兵師団は、ガダルカナル、ニューブリテンの両島で勇戦した精鋭部隊であったが、ここでは依然として戦闘のペースがつかめず、いたずらに損害を重ねていた。
ついに一◯月中旬には、三個連隊のうちの二つが死傷率五○パーセントを越え、師団全体の「戦闘能力喪失」という夢想だにしなかった不名誉な非常事態をむかえ、第八一歩兵師団と交代せざるを得なかった。
しかしこの頃になると、さすがの中川も苦しい戦いを強いられていた。優勢な米軍に大損害を与えるも、もはや島の大部分を失い、残った第二連隊も水府山の本部周辺へと追いつめられていたのである。
副官や参謀の多くが「一斉突撃→玉砕」を望む中、中川一人だけがこれを拒否し、相変わらず持久戦法の継続を主張した。
守備隊の健闘をたたえる天皇の御嘉賞も数回をかぞえ、東京の参謀本部やパラオの第一四師団司令部では、「ペリリューの中川は、まだがんばっとるか」が日常の挨拶になっていた。
部下たちは、これらをもって天皇と御国への忠誠と義務ははたしたと判断し、「玉砕」を主張したのである。しかし頑固な中川は首を激しく横に振り、食糧もとっくに底をつき本部の数百メートルまで敵が迫ってもがんばり続けた。部下に叩き込んできた戦訓を、自ら先頭に立ち実践したのである。
一一回目の御嘉賞を賜った四日後の一一月二四日、ついに敵は陣地まで一○数メートルに迫り、中川は自身の任務をまっとうした旨と、なおも各自持久戦に奮闘せよと、残った五○人の部下に最期の命令を発し軍旗を焼いて自決した。
──およそ二ヵ月ぶりに静寂を取り戻した「南海の楽園」は、以前と変らぬまぶしい陽光とさわやかな風を取り戻した。しかし、焼けただれた島の地表は赤黒く無気味にくすぶり、鉄や油、人が燃える異様な臭気に覆われていた。
寄せては返す潮騒も、ふだんより悲し気なリズムを奏でていた。二万人におよぶ両軍将兵の「無念」を哀れむように…。
●生きて虜囚の辱を…受ける
「源、起きなさい。コラッ、いい加減に、お・き・ろー」
「ゴーッ」と轟く鈍い機械音の中、源の意識はゆっくりと覚醒した。
「…また姉ちゃんに起こされた」
今度は、灰色をした低い鉄製の天上が目の前にあった。源は頭部の激痛に気づき、うずく後頭部を右手でしばらく押えていたが瞬時に飛び起き、あたりを観察しながら必死に記憶をたどった。そこが船の中であることはすぐに理解できたが、はたして日米どちらの船なのか…。
関川と別れた「谷川岳」以降のことは思い出せなかったが、源が悲観的な結論を導き出すまでにはさほど時間はかからなかった。