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ゆきの谷

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 源は、父が固執していたという「約束」のことを思い出した。父が誰かと交わしたという約束。その相手が誰で、守るべきことが何だったのか、話してくれた兄の言葉からは詮索することはできなかったが、源はこの「約束」が、何らかの形で(父の死と姉の運命に関わっていたのではないか)という根拠のない直感を、かき消すことができないでいた。しかし、思案にふけっていた源はすぐに我に返り、やっておかなければならない確認作業のことを思い出し、銃をにぎる手に力をこめた。
 前述のとおり、狙撃は一発撃つごとに移動する。二人一組でやや距離をとって展開するのは、相互に援護し合うためである。
 二人は訓練時に何度もくり返した、展開シミュレーションを再確認するため、各壕を指差しながら、「自分はまずここ。オマエは次はあそこ、その次は…」と、移動コースを目でたどった。次に、右斜め下方の本部に送る合図や非常時の撤退コース、自決用手榴弾の装備などを一通り確認し終え、いよいよ戦闘配置についた。武者震いを抑えながら前方に目をやると、島を覆っていた黒煙が徐々に晴れ、二人が見おろす海岸へ向けて、無数の米軍上陸用舟艇が殺到して来るのが傍観できた。
 敵上陸部隊の第一陣、数一◯人が舟艇を飛び降り、水しぶきをあげて上陸しはじめたそのとき、日本軍の銃砲が一斉に火を吹いた。不意をつかれた米兵たちは逃げまどい、あるいは砂浜に身を伏せ、恐慌状態に陥った。幾重にもたたみかける凄まじい爆音と、途切れることのない機銃音が、のどかな南国の海岸を一瞬にして地獄に変えた。
 海岸の浅瀬は、あっという間に赤く血に染まり、被弾して絶叫する者が続出した。波打ち際に横たわる戦友の死体に囲まれた米兵たちの顔に、もはや笑顔はなかった。
「仕事は消火と見まわりだけだ、などと言ったヤツは誰だ」と、誰もが恐怖に震え岩かげにうずくまった。
 あれほどの事前砲爆撃にもかかわらず、日本軍守備隊は、中川大佐と村井少将の指導による頑強な塹壕のおかげで、ほとんど損害を受けることなく待ち構えていたのである。
 源と関川の二人は、敵兵が射程圏内に入るまでは出番がないので、息をのみ無言のままそのようすを観察していた。
 依然として日本軍の集中砲火は激しく続き、米軍はその後も死傷者数を重ねたが、次から次へと途絶えることなく上陸をくり返した。
 しばらくすると、一時の混乱もようやく沈静化へと向かいつつあるようだった。見通しの甘さと楽観ムードを反省し、徐々に態勢を立て直していったのである。そして気がつくと、海岸のそこここに小さな橋頭堡が形成されはじめていた。夕刻になると、さすがに押し寄せる波のような舟艇の数はめっきり減ったが、海岸の米軍橋頭堡は、源の肉眼でもはっきりと確認できるほどに成長していた。
 水際での上陸阻止は、どうやら失敗したようだった。
 陽が落ちても忍者のように音もなくすり寄る日本軍の夜襲は続き、銃声が途絶えることはなかった。源と関川は一睡もせず、海岸付近の閃光のひらめきと銃声の方角を、目をこらして追い続けた。
 上陸第一日目を終えた米軍の損害は、予想をはるかに上まわる、死傷者一、三○○人を数えた。この数字は、米軍側の極度の楽観と見通しの甘さだけではなく、中川大佐の徹底した訓練と周到な準備の賜物といえた。
 源は、あの「無口で無愛想」な大佐の凄さにようやく気づき、感銘を受けた。
「なるほど、何から何まで大佐の言うとおりだ。あの隊長なら、ひょっとすると…」
 源は、絶望の極地にあったこの離島での戦いに、わずからがら光明を見い出していた。
「勝てはせんかも知れんが、そうとうやれそうだ。少なくとも一方的に殺されまくり、二、三日で全滅するようなことはないだろう」と…。

●狙撃戦

 北緯七度二分に位置する南海のペリリュー島は、日中は四○度前後まで気温が上がる。その猛暑の中、翌日以降も死闘は続いたが、「スリー・デイズ・メイビー・ツー」と大口を叩いた第一海兵師団長のルパータス少将は、すっかり意気消沈していた。
 相変わらず日本軍は頑強な陣地に潜み、前進してくる米軍を襲撃しては退く持久戦術に徹していたため、まったく占領の目途が立たなかったからである。ガダルカナルのように、日本軍が大挙して突撃してくれば一気に殲滅できるが、出てこない以上攻撃するしかない。しかし、前進は露出をともなうため損害が増す。思いもよらぬ展開に、上陸二日目にして戦前の自信も霧散し、焦慮するばかりであった。それでも損害を顧みぬ激しい攻撃は続行され、圧倒的な大兵力と物量にものをいわせて、占領地域をジワジワと広げていった。
 米兵たちは、半ば狂ったように撃ちまくった。少しでも動くものがあれば、小銃、機関銃、手榴弾を惜しみなく徹底的に撃ち込み、それから恐る恐る確認する、といった状態だったため「同士撃ち」の悲劇も随所で発生していた。
 数日後、源と関川もいよいよ臨戦態勢に入った。二人が待機する陣地の射程圏内まで米軍が迫ってきたのである。
「いいか関川、落ち着いてオレが教えたとおりにやるんだぞ。銃声をカムフラージュするために、なるべくほかの銃声や爆音にかぶせるよう、タイミングを見はからって撃て。後列の敵から狙うんだぞ。前列のそれを撃てば、後続する者にこの射撃地点が見つかってしまうからな」
 数人の小グループごとに岩かげをたどって前進してくる敵を見下ろしてそう言うと、源は愛用の三八式歩兵銃のボルトを引き、集中した。関川も、耳にタコができるほど聞いた、源のいつもの忠告にうなづきながら銃を構えた。
 狙いを絞った源は、友軍の山砲の発射音を聞くと一呼吸おいて引き金を引いた。すると予想どおり、銃声は砲弾の炸裂音と見事に同期した。敵グループの最後尾の二人が同時に倒れたのを見て、源は関川の方を見た。彼も同じタイミングで撃ったらしく、得意げにボルトを引きながら、源に微笑んだ。
 前を進む三人の敵兵は、砲弾の炸裂音に反応して首をすくめたが、すぐ後ろで倒れた二人にはまったく気づかずに進んできた。今度はやや離れた別のグループの敵兵が、手榴弾をなげる瞬間が視野に入ったので、すかさず源はその手榴弾の炸裂に合わせて撃った。
 一人を倒したが、三人はほとんど横並びだったため今度は気づき、残った二人は地面に伏せてあたりをうかがった。しかし、至近距離で炸裂した手榴弾の音でかき消され、この二人以外のほかの敵はまったく源たちの狙撃に気づいていないようすだった。眼下で始まった激しい銃撃戦に便乗して、まず関川が一人を撃ち、ほぼ同時に残った一人を源がしとめた。
 わずか一分足らずで五人を倒した源と関川は、お互いの武勲を祝福し、ゆるみそうな頬を引き締めて視線を交錯させた。気がつくと、二人は暑さで全身汗だくになっていた。
 その後も、次から次へとやってくる米兵を、二人は競うように倒していった。まるで機械のように引き金を引き、移動し、水を飲み、弾をこめ、再び引き金を引く。これだけ大勢の敵を相手にしていると、「人を殺している」などというセンチメンタルな感傷にふけっている暇はなく、まして的となる敵兵の家族のことなど考える余裕すらなかった。
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋