小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ゆきの谷

INDEX|19ページ/91ページ|

次のページ前のページ
 

 昭和一九(一九四四)年七月にサイパン島を占領し、日本本土進攻への南ルートを確保した米軍は、次にフィリピン奪還のための足がかりを求め、西カロリン諸島への作戦を推進した。検討の結果、戦略的価値が高く、ともに飛行場を持つ「ヤップ島」と「ペリリュー島」がその候補地として選ばれた。
 さっそく米軍は、まずヤップ島に専門の調査隊を潜行させるが、これがあっけなく捕まってしまったため、同島の防備を強固かつ優秀であると誤認し、急遽、鉾先をペリリュー島へと定めることとなった。
 一方、米軍の次期作戦地域をフィリピン方面であると想定していた日本軍も、フィリピン攻略のための前進基地となる、パラオ諸島の重要性を充分に理解していた。そこで、満州の精鋭「関東軍」の中でも最強とうたわれた、「第一四師団」を同地防衛にあてることを決定する。期せずして日米両軍の視線が、パラオ諸島の小島「ペリリュー」に集中したのである。
 第一四師団は師団司令部をパラオ本島に置き、ヤップ、アンガウル、ペリリューに兵力を分散配置した。このうちペリリュー島に展開した部隊は、中川大佐の第二連隊(水戸で編成された現役精強部隊)を主力に、源が所属する第一五連隊の第三大隊のほか、第一四連隊の戦車部隊、独立第三四六大隊、海軍部隊など、約八、○○○人(戦車一二輛、舟艇一○隻)だった。
 ペリリュー島守備隊司令官の中川州男大佐は、熊本出身のまじめな男だった。
「敵を倒さず死ぬのは無駄死にだ」を合い言葉に、部下に妥協のない厳しい訓練を課し、日本が誇る陣地構築の第一人者「村井少将」を特別に招き、周密に計画された強固な陣地を構築させた。特に守備隊本部が置かれた水府山周辺は、縦横に掘りめぐらせた坑道網により、猛烈な砲爆撃にも耐えうる優れた陣地壕となった。
 上官である第一四師団長井上貞衛中将から、「ペリリューで三ヶ月持久せよ」という厳命を受けていた実直な中川は、何としても命令を貫徹しようと堅く決心していたのである。
 中川は前述のように、陣地の構築現場を直接に視察、指導するため、毎日熱心に島中を走りまわった。ときに、下士官が兵を叱る現場に遭遇すると、「あまり兵を殴らんようにな」などと声をかけることもあったため、兵からは「激しい訓練と苛酷な陣地づくりに象徴される厳しさだけでなく、部下思いのやさしさも合わせ持つ、優れた指揮官」であると尊敬された。参謀や下級将校らも、計算された精巧な築城指導と緻密な作戦計画、内に秘めた静かなる闘志などから、大佐に対する尊敬と信頼の気持ちを次第に高めていった。
 こうして、元々寄せ集めだったペリリュー島守備隊約八千人は、中川大佐の人望のもと、強固な闘争心を共有する優れた戦闘集団へとまとまったのである。 大佐は、自分の部隊でもあり長い間苦楽をともにしてきた第二連隊を中央部の本陣周辺に、独立第三四六大隊を北部に、そして第一五連隊の第三大隊を南部に配置し、万難を排して米軍の来襲を待った。
 これに対する米軍は、ロイ・ギーガー海兵少将が指揮する第三水陸両用軍団の二個師団(第一海兵、第八一歩兵)と、支援艦隊要員を含め五万人以上。空母一◯、戦艦四、巡洋艦四、駆逐艦一七、その他艦船多数、戦車一一七輛、各種火砲七三○門、機関銃一、四四○梃の、圧倒的大兵力だった。
 また開戦以来、米海軍の情報収集能力は目覚ましく進歩し、ペリリュー島を守る日本軍の勢力も、ほぼ正確に察知していた。
 第一海兵師団長ルパータス少将が、作戦開始前の訓示の中で述べた「スリー・デイズ・メイビー・ツー(たぶん二、三日)」が、流行語にもなったように、米軍将兵の間で極端な楽観ムードがまん延していたゆえんである。上陸第一陣の中には、「夕食の準備をして待っていてくれ」と、まるで散歩にでも出かけるような気配を残し、笑顔で小型舟艇に乗り込む兵もいた。
 九月一二日、島を取りまく支援艦隊の猛烈な艦砲射撃が開始された。上陸直前の、一五日の朝まで続いた砲撃と、延べ三八○機の空母艦載機による空爆で、ペリリューは島全体が赤黒く燃えた。
 海上で待機していた上陸部隊将兵は、島に上がっても「消火と見まわり」程度の作業しかなく、二、三日どころか半日で作戦は完了するだろうと、ますます楽観心を増幅させて笑った。艦上からながめた島は、全体が黒煙に包まれ、もはやこの中に生物が存在しているとは思えなかったからである。
 一方その頃、これを予想していた日本軍は、砲撃と空爆が止むと防御体制から臨戦体制へと素早く切りかえた。
 源は「戦闘配置」の命令が下達されると、関川二等兵を引き連れて本隊の壕を飛び出し、あらかじめ決められていた小高い丘の射撃拠点へと移動した。
 二人は狙撃の腕をかわれて、本隊とは離れた高地からの遠距離狙撃を命ぜられていたのである。源はここを「谷川岳」と名付けた。「谷川岳」は、群馬と新潟の県境に位置し、南北に広がる二人の故郷を見おろす、標高一、九七七メートルの名峰である。ここは、たかだか二○~三○メートル程度の貧弱な丘だったが、自分の死に場所になじみの名称がついたことに、関川も満足しているようだった。
 丘の頂上付近には、決して広くはないが比較的平坦なスペースがあった。この平坦部から左手山腹までの稜線に沿って、戦闘時の移動シミュレーションに基づいた幾つもの孔を、あらかじめ掘っておいた。
 狙撃は、拠点を発見されればすぐに反撃を受けるため、一箇所に定位して行う攻撃ではなく、「撃っては移動、移動しては撃つ」をくり返さなくてはならないからである。ところが配置についてみると、周囲は敵の艦砲射撃によって無数の大穴ができていた。   
「なんだ、敵さんが艦砲でこんなに穴をつくってくれるのなら、わざわざ汗かいて掘る必要はなかったなぁ」
 源が緊張を解きほぐすように冗談っぽく言うと、関川も笑った。
「どうせなら、もう少し深くていねいに掘ってくれればよかったのに。アメリカ海軍の仕事は大ざっぱですね」
 笑い話もそこそこに、関川は予定されていた物資確保のため、本部壕と「谷川岳」を何度も往復して、計画どおり籠城に必要な弾薬・水・食糧などを運び込んだ。
 源は、搬入作業が終わり、自分用のタコ壷に飛び込んで汗を拭う関川に声をかけた。
「ご苦労。関川、いよいよだな。中川司令官の言葉どおりに、『一人でも多くの敵を倒し、一日でも長くここに留まる』それが、オレたちの仕事だ。みんなとは少し離れた場所だが、ここ「谷川岳」でオマエと一緒に闘い一緒に死ねるのも何かの縁だ。お互いにがんばろうぜ」
 緊張感に顔をこわばらせていた関川も、意を決したように笑顔で応えた。
「はい、吉澤上等兵殿と一緒ですから自分は光栄です。足手間といにならぬようがんばりますので、よろしくお願いします。
 絶対に二人そろって、生きてこの『谷川岳』を下山しましょうね、約束ですよ!」
「ここが死に場所」と決めていた源は逆に部下に励まされ、照れくさそうに大きくうなづいて前方に視線を移した。
「約束…か」
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋