小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ゆきの谷

INDEX|18ページ/91ページ|

次のページ前のページ
 

 源は、訓練時に上官から教えられたとおりのことを反復する関川に少々いら立ちを感じたが、平静を装い淡々と述べた。
「違うんだよ。いや、確かにそれもあるかも知れんが、オレが思うに訓練と実戦の本当の違いはそんなことじゃない」
 関川は、源の意外な反応に驚き、汗を拭う手を止めて憧れの上官を注視した。
「実戦の的には訓練の的にないものがある。…それは的の家族だ。その前に『実戦の的は生身の人間だ』と言うべきかも知れんが、それは戦争だから仕方ない。お互い様だしな。
 ただ、満州でもビルマでもそうだったが、オレが銃を構え『的』を捉えると、そいつの顔を通して、いつもそいつの家族が見えてくるんだ。本国で無事の生還を祈っている家族がな。すると次の瞬間、今度はそいつの家族の顔が、なぜかオレの家族の顔にダブってくる。オレの親父やおふくろ、愛する姉、やさしい兄が現れて、まさに今、オレが殺そうとしている相手の無事を祈っているんだぞ。
 未熟だったオレは、ときには涙が込み上げてくることもあった。でもやらなきゃならないんだ。やらなかったら自分がやられる。それが実戦だからな」
「的の家族…」
 関川二等兵は顔を蒼白にして、源の鬼気迫る言葉の一言一言にうなづいていた。源は、これまでに倒した敵の顔と自身の家族の顔を交互に思い浮かべていたが、関川のようすに気づき、我に返って微笑んだ。
「煙草はやらんのか?」
「…はっ、はい、やりません」
「そうか、でも煙草はいいぞ、戦場での唯一の贅沢だ。逆立った神経も和らげてくれるしな。ときに関川、オマエ何歳だ」
 源は川のほとりの防空壕での山元の言葉を、そのまま真似てみた。その鹿児島弁の口調が妙に印象的で、親しみを感じた記憶が残っていたからである。
「自分は一九であります」
「…まだ、未成年か」

●秋田のマタギ

 源はいつの間にか左脚の傷跡を撫でていた。それに気づいた関川は、遠慮がち尋ねた。
「戦傷ですか? 痛むんですか?」
「ああこれか、時々な。ビルマの土産だ、もうほとんど治っている。気にするほどのことではない」
 心配そうに左脚をのぞき込む関川のあどけない顔を見ているうちに、源の脳裏に素朴な疑問が浮上してきた。
「オマエ、まだ入隊して間もないのに、一九の若さでなぜ射撃が得意なんだ?」
「はあ、実は母方の祖父が秋田のマタギだったんです。しかも『シカリ』をしていました。祖父に一度だけ猟に連れて行ってもらったことがあり、それ以来銃の虜になりました。後継者の居なかった祖父も喜び、懇切丁寧に銃の使い方、射撃のイロハを教えてくれました」
「ほお、偶然だなぁ」
 源は驚いた。マタギの話はそう珍しいものではないが、ビルマの壕で山元から聞いたものと同じ《秋田のマタギ》が再登場したからだ。
「…以前にも秋田のマタギの話は聞いたことがあるが、『シカリ』ってなんだ?」
「あ、はい、頭領のことです。つまりマタギ集団の指揮官ですね」
 源は、山元からだけでなく、幼い頃父からも『マタギ』の話を聞いたことがあったので、感慨深げに聞き入った。
「熊や鹿は仕留めたことがあるのか?」
「はい、鹿はやりませんが、熊と兎は捕ったことがあります。熊は鉄砲で、兎はワラダという道具を使って…」
 関川は、物をなげるようなしぐさをくり返しながら楽しそうに話した。
「そのワラダっていうのは、そうやって投げるものなのか?」
 源も関川を真似てモノを投げるしぐさをした。
「はい、マタギがあみ出した兎捕り専用の道具です。
 冬の雪山で兎を見つけると、…こうやって投げるんです。するとワラダは、ちょうど鷹が舞い降りてくるときのような音を出します。音に敏感な兎は瞬時に付近の穴に逃げ込むので、それを確認したら急いで走り寄り、穴をふさいで生け捕りにするんです」
「雪山だと、あれか、…何ていったっけ、こういうのも使うんだよな?」
 源は自分の知識も披露しようと口を挟んだが、道具の名前を度忘れしてしまい、手ぶりで杖のようなものを表現した。
「…ああ、サッテですね。よくご存じで」
 関川の驚いたようすに源は満足し、破顔した。
「熊を仕留めたときは、とても嬉しかったです。一度だけですけどね、へへへ…」
 今度は源が眉を引き上げて感心した表情を示し、話の続きを促した。
「『セコ』と呼ばれる数人の追い立て係りが、大声を出して指示された方向へ熊を追いつめて行きます。行く手の尾根には、事前にシカリの指示どおりに配置された五人の『マッパ』、つまり鉄砲撃ちが待ち構えているんです。その日は、シカリである祖父の特別のはからいで、自分も六人目のマッパとして参加させてもらいました。
 もちろん、まだ一◯代半ばでまったく猟の経験がない自分ですから、シカリははなっから熊の行きそうにない場所に配置しましたが」
 嬉しそうに話す関川の目は、まぶしいほど輝いていた。その視線の先には、まるで美しい秋田の山野が見えているようだった。
「配置について一時間ほどすると、セコの声が次第に大きくなってきました。ここで思わぬ事態が発生しました。シカリの予想に反して、来るはずがないと思われていた自分の方に熊が進路を急変させたんです。熊はどんどん近づいてくるし、マタギ全員の期待が、あろうことか味噌っかすの自分の肩にかかっていました。でも、なぜか不思議なほど冷静でした。
 教えられたとおりに距離を計り、息を殺して自分の射程圏内に熊が入るまでじっと待ちました。そして、なんと一発で仕留めることができたんです。六尺ほどの大きなオスでした」
 関川は誇らしげに両手を広げ、熊の大きさを表現してみせた。
「犬は使わんのか? 昔オレが聞いた話では、マタギは猟犬を使って獲物を追い立てると…」
 ひとしきり耳を傾けていた源は、父の話を思い出して口を挟んだ。
「秋田のマタギは犬は使いません。自分たちで作り上げた道具と手法だけで数百年もの間、狩を続けてきたんです」
 関川は笑みを浮かべたまま宙空に視線を移し、往時を懐かしんでいるようだった。
「へえ、大したもんだ。オマエはそうやって子どもの頃から射撃技術を磨いてきたのか…」
「自分は新潟育ちですが、祖父と奥羽の山に入るのが楽しみで、秋田にはよく母に連れて行ってもらったもんです。だから、半分は秋田育ちと言えるかも知れませんね。父は、難しい本ばかり読んでいる変わった人でしたが、最近ついに召集されてスマトラ方面に展開したようです。
 留守をあずかる母からの手紙に、そう書いてありました。父も母も、陛下と国家国民のためにがんばっているようです」
 話し終えると、関川は笑顔の額に流れる大粒の汗を拭った。その動作を目を細めて見つめていた源は、短くなった煙草を焼ける大地に押しつけて、ゆっくりともみ消した。
 ちょうどそのとき、下の方から「小休止、終わり」の号令が響き、二人は急いで斜面を降りて行った。相変らず、ジリジリと照りつける太陽は、燃えるような熱さで島を包んでいたが、時折吹くさわやかなエメラルド色の潮風が、なんとも言えず心地よかった。

●死闘のはじまり
作品名:ゆきの谷 作家名:尾崎秀秋