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私の読む「源氏物語」ー85-手習3-2

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 僧都達の一行全部は、夜中に京に出立し、急に辺りが静かになった。夜の風の音に、この僧庵の人達、少将尼や左衛門などは、
「このような寂しい、小野の尼庵生活も、当分の間の事で、やがてその内に、良縁によって、幸運に巡り逢うと、中将に娶わせようと思って、私共が当てにし、待っていたのである。然し、このように尼に姿をかえてしまって、残る長い年月をどの様に送られるのでしょうかねえ」
 少将尼は、
「歳を取って体の弱った人でも、尼となれば、今は一生の終りと、自然に何事も無くなってしまうと思われるので、悲しいことです」
 と浮舟に色々と言い聞かせるが、彼女は授戒して尼になって、現在の境涯は、人に何と言われても、やっぱり、気楽で嬉しい。人並みに人妻などになって、この世に暮さねばならないものである、と言う点は思いもかげずに成れたのは有り難いことであると、胸が開いた気持がしていた。翌朝は、本来の願望ではあったが、出家する事は、妹尼などの許可しない事なのであるから、変わった出家姿を人に見られるのも恥ずかしいく、髪の裾が急にしまりなく乱れ広がった状態であり、その上、乱雑で不揃いに剃がれてあるから、うるさく面倒な小言なども言わなくて、この乱れて不揃いな髪を梳ってくれるような人でもあればよいがなあと思うが、いづれにしても今の尼姿が気恥ずかしいので人に見られたくないから)、室内をはっきりしないように燈火を敢えて暗くして、浮舟は座っていた。浮舟は思うことを流ちょうに人に続けて言うのがもともと小野生活以前からでも、はきはきと上手には語らない身であるのに。出家する前よりも増して今は、やさしく、事の正邪善悪を判断する事の出来る人まで居ないので、ただ硯をすって白紙に向かい、心を集中して。心配が身にあまる場合には、自分で出来る精一杯の事と言えば、歌などの手習ばかりをして、精一杯書いていた。浮舟は、

なきものに身をも人をも思ひつつ
   捨ててし世をぞさらに捨てつる
(私は、この世に亡い物と、我が身をも恋しい人達の薫や匂宮をも諦めながら入水して、かつて捨ててしまった世の中であるのに、いかにも出家して、改めてまた、捨ててしまったのである)
 今はこのように出家して、一切万事に区切りをつけ終りにしてしまったのであるなあ」
 と書いても、この世を捨て難くも感ずるので、やっぱり浮舟自身は、大層しみじみと感慨無量であると、書き終えた自分の歌を見ていた。更に、

限りぞと思ひなりにし世の中を
  かへすがへすもそむきぬるかな
(入水の際に本当にこれが最後であると、その時は諦めてしまったこの世の中を、繰返してまたまあ、背いて尼になってしまった事であるなあ)
 同じような内容の歌を書き遊びしているときに、中将からの文があった。
浮舟の急な出家騒動に、少将尼達が驚いて中将にその状況を知らせたのであった。聞いて中将はがっかりして、出家の気持が、深かった人なのであったから、私に、ちょつとした通り一遍の返事をも、したくないと考えて、私から離れる考なのであったのだ。それに私から離れるのであるとしても、あたらいい女を取り逃がして残念なことであるなあ。趣があって立派だった浮舟の髪を、はっきりと剃髪したか見せてくれよと、一夜中言い続けたが、見せる機会が有ればお見せしましょうと、少将尼は言い、中将は残念に思い折返し、
「たとえ申しあげようとしても申しあげようのない、貴女の出家の件に関しては、

岸遠く漕ぎ離るらんあま船に
   乗りおくれじと急がるるかな
(出家して、極楽の彼岸に向って、遠くこの世を漕ぎ離れるような尼に後れまいと、私も、自然に出家を急がれるなあ)

 いつもと違って、その文を手に取って浮舟は読んだ。出家当座の、何かとしみじみと物を感ずる際で、出家した現在では、万事叶わないと、中将が諦めるにつけても、今まで返事もしなかったのは可哀そうではあるものの、出家した今はどう、自然に思うのであろうか、浮舟は何かの紙の端に、別に返歌と言うのではなくて、

心こそ憂き世の岸を離るれど
  行くへも知らぬあまの浮き木を
(心は、いかにも、この憂き世の、この岸を離れているのであるけれども、今は勿論これからの行先もわからない、蜑の舟の如き身の上であるよ)

 と例によって練習のために書いたものを少将尼が包んで中将に送った。
「手習なので見苦しいからせめて、少将尼が書写しでもして、送る方がよい」
「清書をすれば何枚も書き損じましょう」
 と、そのまま送る。珍しい返事出はあるが、彼女が出家した今となっては悲しいことだけであると、中寿は思った。
 初瀬詣でをしていた妹尼に一行が帰ってきて、浮舟が出家をしたことを聞いて、見て大騒ぎとなった。妹尼は、
「私のような、こんな出家の身の上では、貴女に出家を勧めることは、当然であり、良い事であろうと、考えるのであるが、まだこれから先長い人生を尼としてどの様にしておくると考えておられるのか。自分はこの世にあることが今日明日にでも終わることが分からない世であるので、なんとかして、後の心配なく過ごしなされるように、見届けて置き申したい」と、心配したからこそ初瀬に祈願をしてきたのである」
 と、悲嘆のあまりにころがり倒れる姿を見て、他人である妹尼ですら、悲しく自分の出家を思いなされたにつけても、真実の母が、浮舟の死後、そのまま遺骸もないのであると、途方に暮れたのであったろうと、想像してみると本当に悲しかった。いつもの如く返事もしなくて、妹尼に背中を向けているのが若く可愛らしいので、妹尼は、
「相談もせずに出家するとは、全くどうも、どことなく頼りない貴女の性格ですね」 
 と妹尼は泣く泣く、出家の衣裳の取り揃えを始めた。法衣の濃いねずみ色の鈍色は妹尼が手成れているので妹尼が、浮舟用の鈍色の小袿や袈裟などを仕立てた。尼庵にいる女房達も、浮く舟にこのような色の物を縫い着せるのを、各自は、
「貴女の小野在住は思いがけなく嬉しい、この小野の山里の光であると、私共は毎日貴女を見ていたのですが」
「出家されて残念なことです」
 と浮舟出家を惜しみながら、戒を授けた僧都に不満を言っていた。
 帝の女一宮の病状は、僧都を呼びに来たあの弟子の言うとおり、効験が顕著であることもあって、病気が快方に向かったので、僧都の評判はいやが上にも高くなった。病状がぶり返してもと、御祈祷を日延べなされるから僧都はなかなか横川へ帰ることが出来ずに内裏に居続けたが、雨が降ってしめやかな夜に、明石中宮は僧都を呼ばれて、女一宮の祈祷をするために、夜伽のためにそばに控えさせた。畿日も宿直に勤めて、疲労した女房は局に帰って寛いでいるので、女一宮の前には女房が少なくて、近くにも女房が少ない折であるので、女一宮と同じ御帳台に明石中はおられて、
「貴僧を昔から信頼申している、その中にも、今度の女一宮のことの効験で、ますます後世も、このように、私達を御救い下されるであろうと、貴僧の頼りにすることが多くなった」
 と言われる。僧都は、