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私の読む「源氏物語」ー85-手習3-2

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「この世に生きることは出来ないと入水しようと、決心致しました身で、不思議なことで、しかも今日まで存命しておりますことが、つらく情ないと、思いますので、御祈祷を始め何から何まで、私のためにおやり下された僧都の御気持を、いかにも、私は、何と申していいか御礼の言いようもない私の気持で僧都の御厚志はわかりまするけれども、やっぱり、このままですと私は世間なみの気持ではないとばかり、また、結局はこの世に生き残っては居られないと、自然に考えてしまいますから、私をこの際尼にして下されませ。この世に生きていても、私は世間なみの女として、人妻となって、いつまでも長く暮しそうも出来そうもない身であります」
 と浮舟は僧都に受戒のことをお願いする。僧都は、
「まだまだ貴女は、将来希望のありそうな年頃で、どうして、一途にそんなに出家しようと、御決心なされるのですか。なまじっか若くて出家などし、末まで行い澄ませないのは、出家などしないよりも却って、罪障を作る事であります。出家しようと決心して、菩提仏道に入る心、道心を発心なされる時は、道心も堅固であると思いなされるけれども、やがて年月を経てくると、女の体というものは、どうも宜しからぬ罪障も深いものでござる」
 と僧都が諭すように言うと浮舟は、
「幼いときから私は、人生を見つめて物思いばかりしなければならない、不運な境遇なので、親達も、尼にして、面倒を見ようかなあ、などと、考え、また仰せなされた。幼い時代にまして、私が多少とも、物事を分別判断するようになってから以後は、普通の女の状態、人妻などでなくて、尼になって、後世安楽にと、私の思う心が深かったのに、私の死期が、段々と近くなったせいか、気分が弱くばかりなりまするから、されば、このままに置かずやっぱり、何とかして尼にして下されよ」
 と言って浮舟は泣きながら僧都に訴える。その姿を見て僧都は、不思議に、
この女はこのような綺麗な容貌や姿態であるのに、どうして、自分の身を厭い捨てるように、考え初めたのであろうか、あの調伏の時に物怪も、いかにもあのようなことを言ったと、僧都はその時のことと、今女が言ったことを思い合わすと、そのように思うのも無理ない。自分があの当時祈祷しないならば、今日までも生きている事の出来る人でなく死んでいた人である。悪い物怪が見込んでいた者であるから、出家させなければ、どうなるのか恐しくもあり、また不安な事でもある。と僧都は思いこんで、
「理由はどうあろうと、貴女が御決心なされて仰せなさる事を仏が、出家する事をば、大層御褒めなされる事なのであり、法師が、反対申すべきはずの事ではない。受戒のことは簡単に授けることが出来るのであるが、急なことで、山より下りたばかりであるので、今夜は、女一宮のところに参らねばならないのでござる。明日から女一宮への祈祷が始まります、御修法は七日間で、その祈祷が終って宮中から退出するとして、その退出の際に、授戒を致しましょう」
 と僧都が言うので、浮舟は七日の開けまでに、あの妹尼が初瀬から帰ってこられたら、出家の一件を、きっとかれこれ言って邪魔してしまうであろうと、それが残念で、かつて病気の悪かった時に、尼になってしまった風に擬装するために、
「私は大変病気が苦しゆうござりまするから、もし重くなるならば、戒を受けた事が仕方がないのでござりましょうか。僧都にお逢いできて今日は、嬉しい機会であると、私は思っていましたのに」
 と言って泣き崩れてしまったので、僧都は可哀想に思い、
「夜も更けてきたことだし、私も山より下りたばかりで、若かった昔は、苦しいとも何とも思わなかったが、歳を取れば下山も体に応えるので、暫く休んで今宵には内裏に参上しようと思っていたが、貴女のことが急がれるようだから受戒は今夜中に致してしまいましょう」 
 と僧都が言うので浮舟は嬉しくなった。浮舟が鋏を取って櫛の箱の蓋を僧都に差し出すと、
「どれどれ、大徳達此処に参れ」
 と呼ぶ、はじめに宇治で浮舟を発見した夜の阿闍梨が二人とも来ていたので、それを座敷の中へ来させて、
「姫君の御髪を尼剃ぎに剃ぎ申しあげよ」
 尼剃ぎは肩の辺までに切ることである。出家なされるのもなる程、あの当時宇治院では、大変な状態であった、女の様子なのであるから、俗人でこの世にありなされるならば、あまり感心したことではないと、この浮舟を助けた阿闍梨も、浮舟の出家を道理と思うけれども、浮舟と僧都との間の几帳の惟子の綻びの間から髪を出した、その髪は剃ぐには勿体なく、いかにも風情ありげなので、阿闍梨も鋏を持って、そのまま暫時躊躇するのであった。
 このような浮舟剃髪の際に少将の尼は僧都の供で兄の阿闍梨が来たのに逢って、自分の部屋にいた。左衛門女房は、僧都の御供の知人に逢うと言うので、このような、人げもなく物寂しい場所柄であるにつけて、そこに住む人は誰も皆が、それぞれ思い思いに親しくしている人達で、珍しく出かけて来た者に、応対に山里に応じた、ちょつとした饗応をするのを、注意して指図などしているのであった時であるから、こもきが一人、浮舟の前にいたので。
「こんな事をなさいました」
 と少将の尼に告げに来たので、彼女は驚いて来てみると、僧都は自身の衣と袈裟などを、特に儀式だけに着るようにと言う意味で、浮舟に着せて、親を拝むのは、剃髪・着衣の式の後に、四恩を拝する式なのであるから、
「親のお方を拝みなされ」
 と言うが、親達がどちらの方角にあるか分からない状態であるので、悲しさに我慢が出来なくて、浮舟は泣き出した。それを見ていて、少将尼は、
「まあ、呆れた事を。どう言うわけで、深く考えもしないで無分別な事を、してしまわれたのですか。初瀬より妹尼が帰ってこられたら、なんと言われるでしょうか」
 と言うが、これ程までにして浮舟が、実行してしまったことを、つべこべ言うて、彼女の心を乱すのも、彼女にとって面白くないだろうと、思って僧都は少将尼を諫めると、そぱに寄って、止めようと邪魔する事も出来ない。
「流転三界中」
 と僧都が、過去・現在・未来の三界の中に流転していては、恩愛の情を断つ事が出来ない。然るに、出家して無為に人ると報恩が出来る。親に別れる偈、即ち辞親の偈であるのを浮舟に言うと、親子の恩愛の世界を出て、無為真如の世界に入ったのであるのにと、浮舟は思出すにつけても、悲愁は相当なのであつた。浮舟が恩愛の情を断ち切り難いように、阿闍梨(大徳)は彼女の髪も剃ぎ落すのに綺麗に剃げなかったから骨を折り、
「ゆっくりと、後で尼君達に命じてお髪は整えてください」
 と阿闍梨は言う。勿諭、額の髪は、僧都が剃ぎなされる。額髪は、僧都が最初に剃ぐのである。
「美しいお姿を、出家に変えてしまって後悔なさるな」
 僧都は、剃髪の時の讃偈を唱詠したり、袈裟に対する偈や、三帰戒や、十善戒などを、僧都が唱えて授ける。早くに私を出家させそうもなく、妹尼達一同が、その考えを改めるように不心得を説き聞かせなされた出家であるのに、私はとうとう実現させた、嬉しいことであると、出家出来た事だけは、生き甲斐があるので、仏を、自然に有りがたく思われるのであった。