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私の読む「源氏物語」ー85-手習3-2

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「変なことをおっしゃって、琴を止めさせる僧都ですなあ。極楽と申すところでは、菩薩達も管弦で遊び、天人も舞い踊るというのが尊い仏道であります。奏楽をしたからと言って罪になることはありません。今宵は母尼の和琴を聞かしていただきましょう」
 とおだて上げるので、さてそれでは、と母尼は思って、
「甥、主殿の女房、和琴を取って参れ」
 と言うのにも、咳は止まらない。周りの人達は見苦しい演奏をするのではと、思うのであるが、母尼が、僧都にまでも、自分が琴を止められたことを恨めしそうに訴えて、中将に言い聞かせるから、弾かせないのも可哀想なのでことの成り行きに任せた。
 和琴が来たら、中将の今の調子も尋ねないで母尼は、只自分の気持を満足させて得意になって東の調べを爪音を爽かに掻き鳴らす。調子が合わないから、外の楽器は全部弾奏をやめてしまったのに母尼は、和琴をだけ聞き入っていると思って、
「たけふち、ちり/\ 、たりたな」
 弾き返して、軽い調子に、和琴を弾いた歌詞などは、非常に古風であった。
中将は、
「面白いです、今では聞く事の出来ない歌詞を、いかにも御弾きなされるのであった」
 と褒めると、母尼は耳が遠いので、中将の言葉を側の女房に聞いて、
「今時の若い人はこのような音楽を、どうも好まれないようですねえ。この庵に最近から住んでいる姫君も、姿は大変清らかで美しいですが、音楽のような無駄な事などは、少しもなさらず、奥に引っこんでありなされるようである」
 自分一人が偉そうに浮舟のことを馬鹿にしたように中将に話すのを、妹尼達は笑止なことをと、思う。
 母尼の和琴のために、今夜の奏楽の興味がすっかり薄くなって、中将が帰る頃に、山から吹きおろす風が吹くのでそれに連れて聞こえてくる笛の音が何ともなく綺麗に聞こえて、尼達が徹夜した翌日早朝に、中将からの文で、
「昨夜は亡妻とあの女と、あれやこれやに心が悩みましたから、私は急いで退出しました。

忘られぬ音のことも笛竹の
  継ぎし節にも音ぞ泣かれける
(忘れる事の出来ない亡妻の事につけても、また、あの女の冷淡な点につけても、私は声を出して、どうも泣かずにはいられないのであった)

 前のようでなくてやっぱり、少し私の心を思い知りなされる程、あの女のことを教え下されよ。私も我慢が出来るならば、これ程に好色であるまで、
何でまあ頼みましょうか、頼みは致しませぬ」
 中将より一段と、亡き娘を物悲しく思っている妹尼は、涙を止めようがない状態であったが、返事を書いた。

笛の音に昔のことも忍ばれて
    帰りしほども袖ぞ濡れにし
(貴方の笛の音に、亡き娘の事が自然に思出されるので、貴方の帰られた時は袖が濡れてしまっていました)
 不思議に、物事を考えて理解がないのであろうかと、まで思いますあの女のことは、母尼の、昨夜の勝手に語った話でお分かりになったことでしょう」
 妹尼の珍しくない平凡な返事と返歌で、見る価値が無い気がするので、貰った中将は見る気がしなくてそのまま置いてしまったであろう。
 始終、荻の葉に吹いて来る風にも負けない程、時折、中将から続いて文があるのが本当にうるさく、いやな事である。男の気持は、無理勝手な物なのであったなあと、前に匂宮などによって体験してしまったその状況も、浮舟は次第に思出されてくるに従って、やっぱりこのような懸想の事を、中将にも、当然思切らせることが出来るように尼に、早くなってしまいたいと思って、浮舟は経を勉学し読経に専念した。心の中にも念仏を欠かさなかった。祖のような浮舟を見ていて、妹尼は、このように世の中の総てにこの女は捨てるから、若い女の身といっても、彼女には風流めいている事もこれと言って無く陰気で晴れ晴れしていない、生れつきであるように見える、と浮舟を見ている妹尼は思うのであった。彼女の容貌は美しく見る価値があり、その上に可愛らしいので、欠点は大目に見て、毎日彼女を眺めていると妹尼の心が癒されると、浮舟を慰めに見る物と思うことにした。浮舟が少し笑うと有り難い結構なことと妹尼は思った。
 九月なが月になって、妹尼はまた、初瀬に参詣した。娘と死別して、長年の間、心寂しい身の上であり、恋しい亡き娘に関し ても、以前は忘れる事が出来なかったのに、このように、亡き娘ではない女であるとも、思われない慰めになる浮舟を得たことは、初瀬観音の御利益が嬉しいと思って、御礼参りの風にして参詣に出掛けたのであった。妹尼は、
「さあ、初瀬参詣に、貴女もお出かけなさい。よその人は、貴女の正体を知ろうとするでよう。初瀬の観音も、仏は同じ仏であるけれども、初瀬のような霊験のある寺で行をすれば霊験が顕著で、幸運な例が沢山ある」
 と言って浮舟も誘うが、彼女は、昔母や乳母達もこの妹尼の言うように、私を説き伏せながら初瀬に度々参ったのであるが、今は逆境にいて観音の御利益もなく不運でその上、命までが死のうとして死に切れず、他に例のない、ひどい目に逢っているのは、初瀬参詣の効験がないのであるように思えると、
情なく思っている時に、気心もまだよくわからない妹尼について、勤行するような旅行を、もしもしたならばそれはどうであろうかなあと浮舟は、はっきりではないが恐ろしく感じた。強くは言わないで、
「私はなんとなく気持ちが悪いのが続いていますから、初瀬までのあの道のりを私は如何かと、せっかくのお誘いも気のりがしないのです」
 と妹尼に返事をする。妹尼は浮舟を、恐がりの人だと思って、浮舟を強いて誘わなかった。浮舟の、

はかなくて世にふる河の
       憂き瀬には
     尋ねも行かじ二本の杉
(頼りなくつらい状態で、この世を過ごしている情ない境遇(憂き瀬)では、尋ねて行く意志はない、初瀬川の旧の川筋のほとりにある二本の杉を)

 書きよごしの紙の中にまじっていたのを妹尼が見付けて、
「二本の杉との歌は、古今集に「初瀬川古川のへに二本ある杉 年を経て又もあひ見ん二本ある杉」とあります、貴女も、もう一度逢いたいと、思いなさる二人の人があるでしょう」
 冗談で、二本を二人とあて推量で言い当てた時に、胸がどきどきして、浮舟が顔を赤くしたのも愛敬があって可愛らしい。妹尼は、

ふる川の杉の本立知らねども
   過ぎにし人によそへてぞ見る
(私は貴女のもとの素姓(本立)を存じませぬけれども、亡くなってしまった娘に準じて、いかにも貴女を思っている)

 格別勝れた事もない返歌を、妹尼は即座に言う。目立たぬように参詣しようと言うけれども、皆々が参詣について行きたがっていて供をするから、ここ小野の尼庵には、人が少なくなり、浮舟が残るのを妹尼は気の毒がって、気転の利く少将尼と、左衛門と呼ばれて仕えている年輩の女房と女童だけを、残しておいた。