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私の読む「源氏物語」ー84-手習3-1

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 先の初瀬詣りで初瀬の寺に参籠した時に、夢に見たような女を、私は看病したのだと、妹尼は喜んで、浮舟を無理やりに起して坐らせながら、彼女の髪を自分から梳ってやった。病で寐ている間は梳もしないで、呆れるばかり引結んで束ねて、投げやりにしてしまったけれども、そんなにひどくも乱れていなくて、それを櫛で解かしたところ艶が見事にあり清らかであった。伊勢物語に「百年に一年足らぬつくも髪我れを恋ふらし面影に見ゆ」とある、つくも(江浦草)は、淡水に生ずる草で百に一が不足の白から、九十九を老女の白髪の意とし、九十九をつくもと読む。その年よりばかりの中で、浮舟の姿は目も怪しむ程で意味ありげな天人が天降ったのを見たように思うとともに、やがて天に昇って帰ってしまうのではと、危い気がするけれども、妹尼が、
「どうして、貴女はそのように大層情なくしておられるのか、私がこのように貴女を可愛いと大事に扱っているのに、私に御心を隔てて打解けなさらないのですか、貴女のお住まいは何処で、名前はなんと言われるのですか、どうしてあんな大木の下におられたのですか」
 と無理に問うと、浮舟は恥ずかしくて。
「かつて不思議な目にあった間に、私は全部を忘れてしまったようである、外の事もそうであるが、私の昔はどういう暮らしをしていたのか、更に憶えては居ません。ただ仄かに思い出すのは、いかにしてこの世を生きていくのかと、思いつづけて何時も夕方になると端に近い廂のあたりで、物を考えてぼんやりとしていた時に、庭の大木の下から人が現れて私を何処かへ連れて行こうとするようであったその他のことは。自分の身でありながら、私が、誰と言う名とも思い出すことが出来ません」
 と、可愛らしく言って、
「世の中に私がまだ生きていると、人に知られたくない。生きていると聞き知った人があれば、私は大変惨めでありくるしいです」
 と、泣いてしまった。妹尼があまりにもしつこく問うので浮舟は苦しくなった、妹尼はそれ以上問うことを止めた。竹の林の中でかぐや姫を見つけた竹取の翁よりも、珍しい気持がするのに、どの様な隙に浮舟は消えてしまうのであろうかと、どうも気持ちが落ち着かず、妹尼は心配するのであった。この屋の主の母尼も身分の高い人であった。娘の妹尼は、上達部、即ち公卿(公は大臣、卿は納言と三位以上)であった右衛門督の北方であったが、夫が亡くなってからは娘一人を大事に育てて、立派な君達、左近中将を婿として大事に世話をしていたのであるが、その娘も亡くなったので、情ない、これ以上の悲嘆もないと、思いつめて姿を変えて尼となりこのような山里の小野に住むようになったのである。明けても暮れても、始終恋いしい娘の形見にでなるような人をでも、現れてくれればと、どうしようもなく一人物思いに沈んで心細く妹尼は悲しんで心を痛めていたのであるが、このように、考えられない意外な人で、姿も、気性も泣き娘に優っても劣らない人を得たので、妹尼は現実の事柄とも、自然考えられなくて夢かと思うようで、不思議な気がしながら、嬉しいこと、と思うのである。この妹尼は年はふけてしまったけれども、浮舟の目には清楚な人、奥ゆかしく趣があり、姿も、上品で雅やかであった。宇治の山荘よりもこの小野は水の音も和やかである。尼の家は即ち尼庵の造り方と、風情のある、その場所の木立とは、興趣があり、その上、庭の植込みも風情の有りったけを見せてあった。秋になるに従って空の景色もしみじみと物寂しく感じるのである。庵の門の外にある田の稲を刈ると言うのでその場所に相応しい百姓の物まねをしながら、この庵にいる若い女達は、稲刈歌を謡って楽しんでいた。綱を引いて鳴子を鳴らす音も、興趣を添え、かつて見た常陸時代の事なども浮舟は思い出して、悲しかった。
 あの夕霧の落葉宮の母、一條の御息所(朱雀院后)が晩年過ごした山里よりは、浮舟の居るところは少し奥になり、小野の山に、一部分は造りかけた
片懸けた)家であるから松の影が覆い、風の音も大層心寂しい、その上に、何のなす事もなく、手持無沙汰である故に仏道の行いをしながら、何時もひっそりとしていた。妹尼などは月の明るい夜は七絃琴などを演奏する。妹尼に仕えている、少将の尼君などと呼ばれる人は琵琶を演奏して妹尼の琴に合わせて楽しむ。
「このようなことをなさいますか。貴女は何もすることがなくて寂しいでしょう」
 と浮舟に言う。
「昔も、私は、思えば、(父八宮は子と認めず、継父に従って常陸に育ったような)不思議な境遇を経た身の上なので、ゆっくり落ちついて、そのような音楽のわざを稽古する事の出来る時期もなかったので、風流趣味の身につけたものは何一つもなく成長しました」 と答えて、このように琴などを弾くような事をして、盛りを過ぎてしまった老尼達が、気を慰め晴らすように見える、その時その時には浮舟は思いつかなかった。それで昔の事を思出しても、やっはり呆れる程に、何となしに取りえのない、つまらない自分であると手なぐさみに、次の歌を書いた。この事から浮舟の事を「手習の君」とも此処では皆が言うようになった。 

身を投げし涙の川の早き瀬に
  しがらみかけてたれかとどめし
(悲運の故に、かつて私が身投げをした宇治川の、水勢の早い瀬の波を立てて流れている所に、しがらみを設けて、誰が私を助け,とめたのであるか)

 救助せられたのは、思いもよらない事なので、情けなくつらいから、これからも、どのようになるであろうかと気がかりで、また意外な目に逢うであろうかと、いやになるまで自分の将来の心配がある。月の輝く夜は、老いた尼達は風流な気持で歌を詠み、また過ぎた過去を思い出しながら、色々と語りあうのを浮舟は仲間に入って話すこともないので、一人月を眺めて、

われかくて浮き世の中にめぐるとも
      たれかは知らん月の都に
(自分がこのような状態で、たとい生き長らえているとしても、その事を誰が知っていようか、誰も知らない)

 今を限りと入水を思いついた頃は、恋しい人も匂宮や薫やと沢山あったけれども、生き返った現在では、それらの人々は、格別それ程まあ、思出す事が出来ず、ただ母親は、どんなに悲しんで途方に幕れなされた事であろうか、乳母は、万事何かにつけて私を何とかして、人並に良き婿を迎えて幸運にしてやろうと、考えて甚だあせっていたのに、私の行方不明を張合のない気がした事であろう。今は、どこにいるのか。私が生きていると言うことは乳母は知る方法がないであろう。気心の合った者も、私には、無かったが、隠すこともなく語りあった馴れ親しんでいた右近は、私がこの世にある物とは、どうして知るであろうか、知らないであろうとも、時々は浮舟は思い出していた。若い女で、小野のような寂しい山里に、憂き世も、今はこれまでと、世を諦め、思い捨て切って籠もるのは、困難な事なのであったから、ただ、大変歳を取った老尼七八人が、常住の人として住んでいるのであった。その他は、それら老尼の娘や孫などで、都で宮仕えする者、宮仕と違う状態である者が時々京より此処へ通ってくる。