私の読む「源氏物語」ー83-蜻蛉ー2
と、若い女房達が悔しがって言い、殆どの女房は里に帰らずにこの六条院に詰めていた。喪も開けたので、池の景色や月を愛でて演奏会も絶えず催されて、常よりも演奏が当世風に景気よく賑かであるから、匂宮は、いかにも、このような演案が好きでこの上もなく楽人を引立てなされる。朝夕と毎日見慣れていても匂宮はやっばり、新しく今見るような、初めて咲いた花の容姿をしていたのに、薫は特にそんなにまで頻繁に、明石中宮の許に出入りなどはしないので、女房達は薫を油断のならない気のつまる人として緊張して見ていた、。二人匂宮と薫が明石中宮の前に揃っておられるときは、あの女房の侍従が物陰から覗き見すると、もしも靡くとするならば、薫か匂宮かのこちらにでもあちらにでも靡き寄って、世の人から、立派な前世の御因縁でありますとうらやましがられて、浮舟はこの世に過ごされたことであろう。投身自殺とは情けないことをされたものだ、など人にはその辺の事情を、決して口に出さない事であるから、侍従は自分だけが浮舟の自殺を残念に思っていた。匂宮は内裏内のことを事細かに母親の明石中宮に話すので、馨は中宮の前から立ち去った。侍従は自分が明石中宮方に宮仕をしている事を薫に見つけられたくはない。浮舟の一周忌をも過ごさなくて、宮仕に出るとは、浮舟への情愛が薄いと、薫に思われるのではないかと思うと、侍従は姿を隠した。東の対から泉殿に行く廊、八講の折に女一宮の住んだ西の渡殿と反対側にある東の廊に、廊に在る局(部屋)の、丁度工合よく開いていた戸口に。、女房達が多く集まって小声で話し合っているところに薫も混じっていて、
「私を、何としても、女房は、親しい者と当然思いなさることであるなあ。私のように、こんなに気が置けない者は女同士だからといって万が一にもそんなにはいらっしゃらないでしょう。然しながら、私は、当然知ってなければならない琴とか琵琶とかその他を、貴女方に教えてあげてもいいよ。貴女方はだんだんと私を理解なさるように思われるから、私としては嬉しいことであります」
女房達はどう答えていいのか困っていると、弁の御許という物馴れた年輩の女房が、
「そもそも一体、貴方と親しくもない女房が、貴方に恥ずかしく思うのが当然であるのに狎れ狎れしくするのであろうか。物事は万事、貴方と親しくする理由のない者が、却って親しくなるようであります。私は必ずしも、その狎れ狎れしくする理由を辿って、遠慮する事もなく、また気を許して、御目にかかるのではありませんが、私のようにこれ程までに厚かましく、生れついた者として、恥ずかしがって許りいて貴方の問いに応答の任を負わないとすれば、それもきまりが悪いので、御返事申します」
と言うのに薫は、
「恥ずかしく思うのが当然であるや、物事は万事貴方と親しくする理由のない者が云々、などと言われたが、私に恥ずかしがるべき理由はあるまいと思うと、見くびりなされてしまったのであった事が、いかにも残念である」
と言いながら弁御許を見ると唐衣を背中からすべらすように脱いで後ろに押しやって、何の気兼ねbなく習字を始めた。手本を硯の蓋で押さえて、
「心もとなき花の末/\手折りて、 もてあそびけり」(何の花ともおぼつかない花の、枝の先々を折って持ち遊んでいるのであった)と書いてあった。
女房達のある者は、几帳があるので、その陰にそっと隠れ、また或る者は、顔を見られぬように薫に背を向け、または、押しあけてある戸の所に、誰が誰であるかわからないように紛らしながら外を眺めている、頭の格好がそれぞれ、面白い形であると見渡しながら、薫は弁御許の硯を引き寄せて、
女郎花乱るる野べにまじるとも
露のあだ名をわれにかけめや
(美しい女房達が多勢いる中(女郎花が乱れ咲いている野)に、私が一緒にいるとしても、私は真面目であるから、少しの浮名(露のあだ名)を、君達は私に負わせようか、負わせないであろう)
そのように真面目であるものを安心と、私を思いなさらなくて、不安がりなされる」
と書き、直ぐそばの襖の所に、薫の方を背にしている女房にこの歌を見せると、この女房は身動きもせず、ゆったりと落ちついて、すぐに、
花といへば名こそあだなれ女郎花
なべての露に乱れやはする
(単に花と申せば、その名はいかにも浮気であるが、今御詠みの女郎花(私達)は、あり触れたと(誰)の露(情)に、乱れ散る(靡く)事を、まあするか、靡かない)
と書いた筆蹟は、取りあえず書いたのを見ただけで、ほんの一部分であるけれども、立派な筆蹟で、この女房は誰であろうかと薫は歌を見ていた。今、明石中宮の前に参上するところの通路に、薫に邪魔されてそのために立ち止っていた女房であろうと見た。弁の御許は、
「露のあだ名を云々など、あまりに実直過ぎて大層さっばりで色気がない老人言葉は、憎いものである」
と言って、
旅寝してなほ試みよ女郎花
盛りの色に移り移らず
(露のあだ名を我にかげめやと、色気もなく仰せられまするが、ここに一夜旅寝して、試しなされよ、女郎花の盛りに咲いている色彩の美しさ(女房達)に、御心が移るか移らないかを)
そう(旅寝)なされて後に、浮名を負うか否かを、判定申しあげましょう」
薫は
宿貸さば一夜は寝なんおほかたの
花に移らぬ心なりとも
(宿を貸すならば一夜はきっと寝よう、大抵の花(女)に移らない私の心であるとしても)
弁は、
「何で、私共を、花に移らぬなどと、恥ずかしめ相手にせず見下げなされるか。私のために旅寝して欲しいと言うのではなくて、野辺に旅寝すると人の言う一般的な利口ぶった言い方を言われる」
何でもないつまらぬ事を薫が少し言っても女房達はその残りを全部聞きたいと思うのであった。
「通路を塞いでいる気の利かぬ者が、通路をあけましょうよ。特に、貴女には、あの匂宮などに関する事で御物恥じの理由が、きっとあるに違いないときであるように、私は思うと、「花といへば」と詠んだ女(中将君)」
に言葉を掛けて、立ち塞がっていた所から立ち去るので、この辺にいた女房は、ここの女房は、全体が揃って、弁御許のように、無遠慮であろうと、薫が思ったであろうと、気分を害する女房も居た。
寝殿の東の勾欄に寄りかかって、タ日の影がさす頃になるにつれて花の咲いている明石中宮の前の草むらを薫が見渡すのは、女一宮を思う心で気持が重く、
「黄昏、独リ立テリ仏堂ノ前ニ 地ニ満テルノ槐花、樹ニ満テルノ蝉、大抵四時ハ心総べデ苦シケレドモ 中ニ就イテ腸ノ断ユルハ是レ秋天」
と白氏文集、巻十四の「暮ニ立テリ」の詩の結句を小声で謡い一宮をしのんで居た。女房の衣の摺る音などが、はっきり聞こえて、寝殿の母屋の襖から抜けて、内の方へ入っていった。たまたま匂宮がそこにいて、
「あそこに行く女房は誰か」
女房が、
「女一宮のお付きの中将君でござりまする」
作品名:私の読む「源氏物語」ー83-蜻蛉ー2 作家名:陽高慈雨