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私の読む「源氏物語」ー82-蜻蛉

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 何事も万事大袈裟で、几帳面で、匂宮の病気につけても、びっくりして大騒ぎをする六君の六条院では、見舞の人が頻繁で、六君の父の夕霧大臣、兄たちと看護に動きまわってうるさいのであるが、此処二条院はひっそりとして気分が休まり、しっくりとして優しい感じがすると匂宮は思った。
 浮舟との秘密な関係は全く夢のようにばかり思われ、なぜ入水自殺などと
急にしてしまったのか、匂宮は気がかりであるから、いつも使う時方や大内記道定などを召し寄せて、女房の右近を迎えに宇治に行かせた。浮舟の母もあらためてこの宇治川の流れの音の気配を聞いてみると、自分も川に飛び込む、と悲しく気分が暗く、宇治ではこの気持が薄らいで落ちつくようでもないから、大層寂しくつらいので、京に帰っていった。宇治に遺った人達は念仏の僧を力になるものとして頼り、日常は大層ひっそりと過ごしている所に、匂宮の使者、時方・道定達がはいって来た所が、以前であれば急いで警戒に当たった宿直の者達が咎めることもなく、最後に匂宮が訪れたときに限って厳しくして匂宮を浮舟に近づけなかった事よと、思出すと、匂宮が気の毒である。不都合な事を、匂宮は思い悩んでやきもきすることを見苦しいように時方達は見ていたが、宇治に来てみれば、匂宮が来訪した夜のことが、匂宮に抱かれて舟に乗り込んだ浮舟がなんとなく美しく見えたこと、思い出すと二人とも気強くないので涙を流すのも憐れなことである。右近も二人に会って涙をするのも当然のことである。時方は、
「匂宮がおっしゃってお迎えに上がりました」
 右近は、
「今更、私が京に参って匂宮に報告しても、人は変な事件であると言い、又は思うであろうと恥ずかしく、また匂宮にも、はっきり宮の質問に得心が行く程に、事情を把握していません。浮舟の四十九日が終わって、物詣でに行くと私が人に言っても、誰もが可笑しいと思わなくなってから京へ参上いたしましょう。私はお仕えした浮舟様の急な死に、悲嘆に堪えられなくて、死ぬかも知れませんが、もしも幸いに生きていましたならば、気の静まったときに、匂宮の仰せがなくても二条院に参って、全く夢のような浮舟のこの度の失踪を匂宮に報告いたしましょう」 と言って右近は動こうともしない。時方も涙して、
「私は今回のことはあまり詳しくは知りません、匂宮と浮舟の関係も知らないで、浮舟をお迎えしようという匂宮の立派なお考えを聞きまして、右近や侍従に、直ぐに急いで、お近づきになろう。浮舟をお迎えになれば結局は、私達が、お世話しなければならないことになる。とお前様方を思っていたのであるが、言葉がない、悲しい浮舟の急死の後は、君たちに対する、私の気持が益々深くなりました」
 時方は更に、
「わざわざ車などを匂宮が心配されてお迎えに上がりましたのに、車が無駄になっては、私は残念に思います。もし右近が今日は動く事も出来ないならば、もう一人侍従でも匂宮邸に来てください」
 と言うと右近は侍従を呼んで、
「是非にと言われるから、貴女行ってください」
「右近が参らないのでは、私などは、尚更何を匂宮に告げるのですか。話が聞きたいにしても、やっぱり、浮舟の御忌中(四十九日)の間には、穢れているから私どもはどうして参られようか。匂宮は死の穢れを忌みなさらないのですか」
 と言うと、時方は、
「病気である匂宮は、祈祷・祭・祓などのために、色々の御慎みなどがあるようですが、宇治の浮舟の穢れは物忌みとは思っていらしゃらない陽です。
又、浮舟とこのように深い契りであれば喪に引籠もりなされて、服喪していて出かけなさらぬ方がよい。忌の残りの日は何日でもない、忌みも薄くなっている。だから一緒に京へ参られよ」
 と頼み込むので侍従は、先夜見た匂宮の容姿も、私は恋しく思っているのであるが、いま、浮舟が亡くなっては、この後どのような時に匂宮とお逢いすることが出来ようか。もう見る機会はないであろう、こんな機会に匂宮にお逢いしておこう。思い直して匂宮の許に伺候した。
 浮舟の服喪中であるから黒い喪服などを着て、身なりを整えた侍従の容貌も清らかであった。裳は、現在は、この山荘に、侍従よりも目上の人がいないために、裳を用いる必要がないから油断して、目上の人の前に出る時は、必ず裳または略式の褶を用いるのが決まりであるのに、鈍(薄墨)色に色も染め変えなかったから、喪中用の鈍色が無いので、間に合わせた紫の薄い色である裳を供の者に持たせてきた。浮舟が生きてお出でであったならば、私が今京に向って行くこの道に、浮舟は、忍んで隠そうと、匂宮が仰せなされたように、人目につかぬようにして京に行かれたのであったろう。侍従は思うにつけても、浮舟を思出してしみじみと悲しい。京への道を侍従は泣きながら道中した。
 匂宮は侍従が参りましたと聞くのも、浮舟を思出してしみじみと悲しい。中君にはなんとなく同席するのは気が引けるので、侍従の来訪を受けなかった。寝殿に匂宮は居たので、車から寝殿に通ずる渡殿に侍従を降ろした。浮舟の生前の様子などを匂宮が詳しく問うので、侍従は、
「そのずっと前から浮舟は何事かを考えて苦しんでおられました。失踪する夜に御泣きなされた様子は、不思議な程まで言葉が少くて、何をお聞きしてもぼんやりとしていて遺言らしいことは何もおしゃられず、遠慮ばかり、される方でしたから。あのように入水自殺をされる勇気がおありだとはとても夢にも考えられず、私達は想像もしていませんでした」
 侍従は匂宮に浮舟の死の前後を詳しく話した。聞いていた匂宮は益々悲嘆にくれて、当然死ぬべき病気などで死ぬならば、どうあろうともこうあろうとも、諦める事も出来るのであろうが、病死よりもどれ程何かと物を考えて決心して宇治川のあんな荒々しい水に飛び込んだのであろうか、と思うと入水を見つけて、もしも浮舟をせき止めたならば、嬉しいのであろうがなあと、胸がわくわくするが、甲斐のないことである。侍従は、
「いただいた文も焼き捨て成されたのを、見ていた私達がどうして気がつかなかったのであろう」
 匂宮が一晩中尋ね問いなされる事に、侍従は答え明かす。巻数の端に浮舟が書きつけた、あの母への返事、

後に又あひ見むことを思はなん
     この世の夢に心まどはで
(今生にはもう逢えまいから死んだ後の世(来世)に、また再会しようと言う事を祈念して欲しい、この世のつまらない色々の出来事に惑わないで。(惑えば、来世の願望も、かなわないから)

鐘の音の絶ゆる響きに音を添へて
    わが世尽きぬと君に伝へよ (誦経の鐘の音が消える余韻に、私の泣く音をも加えて、私の一生が尽きてしまったと、風の音は母君に伝達してくれよ)

この二首の歌を侍従は憶えていて匂宮に披露した。 
 今まではなんと言うこともなく見ていた侍従を、匂宮は親しく可愛く思い、「お前も私の許で仕えてくれないか。中君も、君の主人浮舟の姉であるから、君にとっては、無関係でない縁はあるよ」
 侍従は、
「中君に宮仕して、当宮邸に、もしもおりますとしても、何かと物悲しいばかりであろうと考えますから、宇治で中陰(四十九日間)の最後などを済ました後に参上いたします」
 と答えた。
「また来いよ」