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私の読む「源氏物語」ー82-蜻蛉

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何と言うあてもなくて、愚図愚図と過ごしておりまする事を、本当にこれで良いのかと不安を感じています。昔お供しました宇治で、あっけなく亡せてしまいました大君と、同じ血筋である女が、意外な所におりますと言うことを聞きまして、時々意外な所にいても、たしかにその女を世話する事が出来るかと私は思いましたが、世間の噂になるのも面白くなく、きっと噂になったでしょう、その頃私は女二宮との婚姻の当時であったから、表だった行動はしないでその女を見苦しい、辺鄙なあの宇治に、当時住ませて置きましたけれども、京から殆ど宇治に出て行って、世話する事もできなく、また、その女も、外に思う人でもあったのか私一人を力と頼む気持も、格別にないと、推察しましたけれども、尊く重々しい方が本妻としてその女を考えるならば、その私に頼む心のないという態度に、非難はあろうけれども、本妻でないから見許していたが、それはそれとして問題にしないで、女を世話する場合に、欠点もないことで、気が置けなくて可愛いと思っておりました女が、簡単に死んでしまいました。本当にこの世は無常と思えば悲しいことです。その人のことを聞くには及ばないことですね」
 と言って薫は始めて匂宮の前で泣き咽んだ。匂宮が、浮舟のために、袖に溜まらないほど涙を流したのに、薫も、こんなに泣く程悲しいことではない、泣くところを匂宮に見られたくない。見られては馬鹿らしいと思って、こらえていたけれども、涙が一度流れてきたら止めようがなく、少し取乱しているようであるのに匂宮は、沈着な薫なのに、取乱す気持は、自分の秘密を薫が知っていて、内心怨んで自分の耳に障る事を言ったのであろう、気の毒であると、匂宮は思うが、何気ない風で、「それは可哀想なことだなあ。昨日私もそのことをかすかに聞きました。だからどの様にお見舞いを言おうかと考えちゅうでした、薫がわざと人に聞かせないようにしていると、ききましたのでね」
 関係がないような言い方をするが、内心は悲しみが充満していて、匂宮の言葉は少なかった。薫は、
「そう、私一人を力にする気も格別にない女であったから、貴方の隠し妻にさせたい、と思っていた女でした。ひょっとしたら既に貴方の御世話になっている女でしょうか、貴方の御殿にも、当然出入りするはずの理由もありますから」
 と少しづつ、あてこすりを言ってみて薫は更に、
「体調が優れないときに、とりとめもないつまらぬ俗世間の出来事を御耳に入れまして、御耳障りになるのも、どうも不快なことでありましょう。十分に、体に用心なされて御過し遊ばせ」
 などと言い置いて薫は匂宮の許を離れた。
 薫は帰邸すると、匂宮と浮舟のことを考えていた。彼は浮舟を思いきり愛していたのだ。浮舟の一生ははかないものであったが、彼女は流石に女としては、匂宮と薫に思われるような、高い運勢の持ち主であった。現在の帝と后の明石中宮があれほどに慈しみされている親王、匂宮は顔やなりふりから始めとして昨今は匂宮に及ぶ者は居ない。匂宮が世話なされる人(夫人達)と言っても、中君や六君などのように並の平凡な者ではなく、色々の点につけて、この上ない優秀な人をさし置いて浮舟に心を尽くし、又、世の中の人が大騒ぎをして病気平癒の修法・読経・祭・祓いとそれぞれの職種に応じて大騒ぎしている理由は、匂宮が、この浮舟を思慕された原因からの病気のためで、本当に匂宮の気持の誤りであった。自分もこのような身分で、帝の娘の女二宮を妻として迎えながら、この浮舟の可憐な姿に思いを寄せてしまったのは匂宮に劣るであろうか。彼女が生きている時にも増して浮舟を亡き人と思う今は気を静める余裕もない。そう、落ちつけようもなく悲嘆しているのは、馬鹿らしい。こんなに悲嘆はしまい。と薫は思い、我慢しようとするが、帰邸すると色々と思い乱れて、
「人ハ木石二非ズ、皆情有リ」
(人は木や石のような非情の物でないから、誰も皆恋慕の情がある)
 という白民文集、巻四、諷諭四の「幸夫人」の一節を謡って床に入った。浮舟の葬礼などを、右近達が世話して、簡略に執行してしまった事を、中君も、どの様に思いであろうか、哀痛されるであろうと、気の毒で、また張合なく、浮舟の母が、八宮の使用人であったという身分が平凡で低くて、さらに異父の弟などが幾人も立ち合ってなどとあとに言われることを避けて急いで簡略な葬礼をしたのであろうと薫は、不快に思った。宇治の事情の気にかかる事も限りがないから、死ぬ前後の浮舟の様子も薫が出向いて聞かなければと思うのであるが、宇治に長逗留するのも浮舟の死の穢のために、三十日の間は
不都合なのである。そうかといって、行くとして、行って直ぐに帰るような事も、宇治の人達に悪いような気がするなどと薫は色々と考えては悩んでいた。三月が過ぎて、もしも浮舟が存命しているならば、今日(四月十日)京に移る日であったと、思い出すと、その日の夕暮れは薫にとっては情け無い気持ちがした。薫の目の前の橘の木が
懐かしい香りを放っている時に、時鳥が二声ばかり鳴いて飛んでいった。
「亡き人の宿に通はゞほどゝぎすかけて音にのみ泣くと告げなむ」(亡き人の住んでいた家に行ったならば、時鳥よ、私があの人のことを心に掛けて、声をあげて泣いていると告げて欲しい) と独り言を言うのも物足らないから、北の宮の二条院へ匂宮が今日は来る日であるから橘を折り、その枝に、生真面目な竪文を結びつけて、匂宮に挨拶文を送る。その中に次の歌を詠った。

忍びねや君も泣くらむかひもなき
      死出の田長に心通はば
(四月の、忍び音に鳴く時鳥のように、御身も忍び泣きをしているであろうか、泣いても甲斐なく、はかなく死んで行った者(浮舟)に、もし同情の気持が通うならば)

 匂宮は中君が浮舟に良く似ているので、可愛いなあと思い二人で庭をながめてものを考えているときに薫の文が来た。きみの悪いような文だなあと、開けてみて、

橘のかおるあたりは時鳥
   心してこそ鳴くべかりけれ
(昔の人を思出す橘の花の薫っている、薫の所では、時鳥もいかにも気をつけて、当然鳴くべきものであった)
 私にかれこれと恨みを申されては、面倒である」

 返事を匂宮は書く。匂宮が浮舟に通った事のすべては、中君は知っていた。
しみじみと身にしみるように、驚くほどの薄命が、姉大君と言い浮舟と言い、それぞれ違っているが、大君は心深くて、遂に薫に靡かなかった。浮舟も心深くて、薫と匂のどちらにも靡かずに自身で身を亡くした、どちらも思慮深い中に自分一人だけが、心配や苦労を知らないからこのように生き残っているのだろう。それも何時までであろう。と中君は心細く感じていた。匂宮も、浮舟の件は中君にはすっかりわかっているものの、隠していることが苦しいので、これまであった、浮舟とのことなどを、多少は良いように取繕いながら中君に話した。
「かつて、貴女が浮舟を隠しなされた事が、私は辛かった」
 泣き笑いながら中君に話すが、中君の妹のことであるから匂宮に無関係の他人よりは浮舟に親しみがありまたそれだから、よけいに可哀想と思う。